そして、次期侯爵は微笑む
抱えた花束からにおいが濃く香る。我が家は花を飾る家ではないので、どこか場違いな気がした。
「お嬢様、お部屋にお飾りいたします」
「ありがとう。お願いするわ」
声をかけてくれた侍女に渡してしまうと肩の荷が下りた気がする。正直、どうすればいいかわからなかったのですもの。
侍女が花束を持っていくのと入れ替わりに、執事が姿を現した。エメラルドの瞳を細めて話しかけられる。いつものことだけれど、顔が良すぎて腹が立つわね。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
「そう。着替えてから向かうわ」
「エナン卿もおいでですから、そのおつもりで」
「叔父様が?わかりました」
叔父様が我が家に来るのは珍しい。なんの用だろうと首を傾げながら部屋に戻る。叔父様にお会いするなら外出着のままでもいいのだけれど、今日はきっちりとした正装だったので肩が凝ってしまったわ。比較的楽なドレスを選ぶ。
そうして向かったのは応接室だ。
「お父様、ラドミラでございます」
ドアをノックして中に入る。途端に、なんとも言えない空気を察知した。
「ララ!久しぶりだね」
叔父様がさっと立ち上がる。私はつい眉を顰めそうになったけれど、内心を隠して微笑んだ。
「ごきげんよう、叔父様。お父様、なんのご用でしょうか?」
「帰宅早々に呼び立ててごめんね、ラドミラ。お茶会はどうだった?」
「王宮の庭をご案内していただきました。楽しゅうございましたわ」
「そう、庭に出られるくらいに体調がよろしかったんだね。さ、座って」
促されてお父様の隣に座る。叔父様も気まずそうに腰を下ろして、なにか縋るような視線を私に向けた。やっぱり楽しい話ではなさそうね。
「君を呼んだのはね、あることを決めてもらおうと思って」
「はい」
「マティアがエナン男爵家を自分の子に継がせたいんだって」
私はぱちくりと瞬いた。
「以前からそう決めていたではありませんか。問題がありますの?」
「あ、ああ、ララ。私の子というのは、その……シャール侯爵家の子ではなく、エナン男爵家の……」
叔父様が歯切れが悪く言うので、私は合点がいった。
「叔父様の不倫相手が子供を成したので、その子を後継にしたいというのですね」
「っ!ちがう、そうではなく……」
「そうだよ」
否定しようとした叔父様をお父様が両断する。叔父様が不倫していることは以前から知っていたけれど、まさかできた子に爵位を継がせようとするなんて。
「なんとまあ。おじい様にそっくりですのね。叔母様はまだ生きていらっしゃるの?」
そう言うと叔父様は目を見開いて絶句した。
「な……なんてことを言うんだ!」
「あら、おかしなことを言いました?」
「私がセリリアを殺すなど……!実の父親に向かってなんて言い草だ!」
お父様が私にこの件を決めてもらうと言ったその心がわかった。
叔父様は私の実の父親であるから、いざとなれば私が言うことを聞くと思っている。その勘違いを今ここで徹底的に叩きのめさなければ禍根になる。そういうことでしょう。お父様には逆らえないのにわたくしに逆らおうだなんて、シャール侯爵家を馬鹿にしているのかしら?
「客観的にご自分を見ることですわね。叔父様のなさろうとしていることはおじい様と同じですわ。正統な跡取りがおりますのに、なぜ庶子になど爵位を与えなければなりませんの?」
「え、エナン男爵は私だぞ!」
「では今日を持ってエナン男爵位は返却してくださいませ。わたくしが継ぎますので」
「ララ!お前に何が分かるというのだ!今までエナン男爵領を管理していたのは私だ!小娘に何ができる!」
「あらまあ」
叔父様がエナン男爵領を切り盛りしていたのは事実だ。エナン男爵領は豊かで、男爵といえどもなかなかの暮らしをできていたことでしょう。だから勘違いしてしまったのね。嘆かわしいわ。
「わたくしは次期シャール侯爵です。今の発言は、わたくしに侯爵家を継ぐ器量がないということかしら?叔父様は、いつシャール侯爵家の後継問題に口を出せるほど偉くなりましたの?」
「私はお前の父親で――シャール侯爵家の次男だぞ!」
「そうですの?わたくしの父親というなら、なぜわたくしがエナン男爵位を継ぐことを反対なさるの?」
小首を傾げて尋ねると、叔父様はもどかしそうに繰り返した。
「だから、お前のような小娘になど」
「ええ、ええ。叔父様はこれまで男爵を務めていらっしゃったのですものね。でも、それは叔父様の愛人が産む子だって同じでしょう?どうしてわたくしとその子を区別するのかしら」
「それは……」
叔父様が答えられるはずがない。理由なんてないからだ。いいえ、理由を答えるわけにはいかないから。
「叔父様、道理の通っていないお話は聞くに値しませんの。勘違いなさらないで?父親の責務を果たしていない人間が権利を振りかざせるはずがないでしょう」
「わ、私は!お前を娘だと思っている!兄上がお前を取り上げたから……!」
「なおさらわたくしがエナン男爵位を継ぐことに問題はありませんわね」
淡々と告げると、叔父様は歯噛みして私を睨んだ。もうどう言い繕っても無駄なのだから、諦めてくれればいいのに。
仕方がないからさっさとトドメを刺すことにする。
「だいたい、わたくしに向かってお前などと、口の利き方がなっていなくてよ。男爵位は取り上げます」
「ラドミラ!お前だって私と同じはず……!」
「何度も言わせないでくださる?わたくしは次期シャール侯爵で、わたくしの婚約者は王族ですの。そんなこともわかっていないお前に呆れているのよ」
「貴様ッ!」
立ち上がった叔父様――マティアを、護衛が取り押さえる。何か口汚く罵り始めたので、ため息をついた。
「黙らせて」
マティアの顔を護衛が蹴り飛ばした。歯が壁まで吹っ飛び、血と唾がカーペットに滴り、私は今度こそ眉を顰めた。
「ちょっと、汚していいとは言っていないわ」
「申し訳ありません、お嬢様」
「仕方ないわね。ソレは牢にでも入れておいてちょうだい。断種措置を施してから、そうね。叔母様と一緒に大叔父様のところで面倒を見てもらおうかしら。どう?お父様」
「いい案だね。今はもう空き家になってる場所があるから、そこに入れてもらえばいい」
空き家になっている場所?首を傾げたけど、ちょうどいい幽閉場所があるということでしょう。マティアはそのまま護衛に連れられて応接室から出された。もう二度と顔を合わせることはないわね。
冷めた紅茶を下げさせて、新しく淹れてもらったものに口をつける。まったく、先ほどまで楽しい時間を過ごしていたのに台無しだわ。
「そういえばお父様。マティアの愛人はどうしましょう?堕胎させますか?」
「ああ、あれは妊娠もしていないから。放置で構わないよ」
「そうでしたか。……お父様はご存じでしたのね?」
「そうだよ」
マティアも知らなかったようなことを当然のように知っているお父様は、いつものように微笑んでいた。
「マティアもいい子にしてくれていたら最後まで面倒を見たのにねえ。用もなくなったから、丁度よかったけど」
ふむ、と考えてみる。マティアにあった用、というのは、つまり種馬の役割だ。
私も弟妹たちも、全員がマティアとセリリア夫人の子だ。お父さまは結婚こそしているけれど、デルカ様は侯爵夫人の役割を果たしていない。これは私の推測だけれど、閨も共にしていないんじゃないかしら。
お父様がわざわざデルカ様を妻に迎えた理由はわからない。デルカ様は伝気学の研究者として名高い存在で、シャール侯爵夫人としての肩書を持っていることで我が家に利益をもたらしている。だとして、子を産まない妻を選ぶものかしら。
お父様だって、私の血筋上の父親であるマティアが口を出してくることくらい想像していたはずだ。今回の愛人もお父様の仕込みかもしれない。処分するための言い訳をつくるための。私だったらそうするもの。
「……お父様」
「どうかした?」
「お父様はどうして異母弟の子を養子にすることにしたのです?デルカ様を正妻にする利点があるとして、それこそ愛人でも作ったほうが簡単だったのではありませんか?」
「ああ、そのことか。愛人ってイメージ悪いでしょう?僕は嫌いだよ」
はっきり言うお父様は、きっとおばあ様の件を言っている。おじい様はおばあ様を殺し、愛人だったマティアの母親を迎えている。それはもう、愛人なんて地雷でしょう。失言だったかしら。
「あとね、そもそもだけど。ラドミラはデルカが子を作れないと思っている?」
「はい」
「それが間違いだよ。僕が不能なんだ」
「……」
驚いてまじまじとお父様を見つめてしまった。
世間的には、デルカ様のほうが出産できないから、と思われていると思う。私もそう思っていた。
――因果関係が逆だったということね。お父様は不能だから、デルカ様と結婚した。
ちらりとお父様の侍従の顔を見ると、彼女も目を丸くしていた。いつもお父様についているダルクが知らないということは、もしかして誰も知らなかったのでないかしら。デルカ様も。
「子どもを作らないという条件はデルカから言い出したからね。まあ、社交界に出ないデルカに原因があると思ってもらったほうが楽でしょう」
「お父様……。だったらマティアに爵位を譲ればよかったのでは?」
「生殖機能だけが爵位を継ぐ条件ではないよ。僕が証明した。ラドミラは納得しない?」
それはしますけれども。
前侯爵の時代、シャール侯爵家はパッとしない家だと言われていたらしい。私からすると信じられない。国王陛下の覚えもめでたいお父様と、伝気学研究の第一人者のデルカ様。二人の下でシャール侯爵領は大いに栄えた。
マティアがこれを成し遂げられたかというと、絶対に無理でしょうね。男爵領で神輿になっているのがせいぜいの男ですもの。
歴史書ではシャール侯爵家の中興の祖とでも語られそうなお父様は、優しげだけれど厳しい人だ。
私は長子だけれど、最初から爵位を継ぐと決まっていたわけではない。ぽんぽん増える弟妹たちと比較され、一番向いている者が次期シャール侯爵の肩書を得るのだとずっと言われてきた。
幸いなことに私は一番初めに生まれたという優位性があったので、弟妹を抑えてなんとか勝ち取った。その決め手となったのは、私の婚約者だ。
私の婚約者は国王陛下の長男だ。年下の、いわゆる幼馴染だった。そして体が弱かった。
幼い頃、私と上の弟が遊び相手として選ばれたけれど、弟はやんちゃだったのでベッドの住人の王子とは相性が悪かった。反対に私はとびきり優しく接してあげた。もちろん、打算ですとも。
国王陛下の覚えが良くなった方が有利でしょう?あるいは、将来の国王となる可能性が高い王子と仲良くなった方が有利だわ。お父様はそうしていたもの。後ろ盾が王族なら誰も文句を言えない。
結局、王子は成長しても体が弱いままで、立太子はしなかった。その王子とて、結婚しないわけにはいかない。
婿入り先をどうするか。王族の血統を保存するレクサム公爵家が第一候補に挙がるところだけれど、王妃陛下がレクサムの公女様だもの。血が少し近すぎる。
そんな中でシャール侯爵家が候補に挙がったのは当然だ。私は王子のお気に入りですもの。そして、王子が婿入りする相手が当主にならないわけがないでしょう?
「……そうですわね。お父様のお言葉で、不安が解消しましたわ」
そう言って微笑んでみせた。体の弱い王子に生殖能力がなかったら話はややこしくなる。けれど、お父様がこう言うのだものね。私にも彼にも、瑕疵はないのだわ。周りを黙らせる能力さえあれば。
私の発言の意図が分かったのか、お父様は苦笑した。
「まったく。誰に似たんだか……」
「あら、わたくしはお父様に似たのだとよく言われますわよ?」
「そうかな。私はラドミラほど要領良くはなかったけれど」
「では、似たのは顔だけかしら」
おばあ様によく似たお父様に、おばあ様と血がつながっていない私が似ているわけがない。
でも、お父様は気づいていないのかしら。国王陛下――エディールおじ様が私を気に入っているのは、お父様にそっくりだからよ。
特に、侯爵の肩書に執着するところが。――なんて、お父様には言いませんけれどね?
番外編もこれにて完結です。
最後までお読みいただきありがとうございました。




