傷だらけの公爵令嬢の話②
高等学部に進学し、デルカは伝気学を専攻に選んだ。サザルク公爵からは何も言われなかったので、好きにした。
代わりに、公爵からはエルドル・シャールの成人祝賀パーティーに出席するよう連絡があった。
ドレスと共に送り込まれた侍女の手によりデルカのうねった赤毛はきつく編み込まれ、重く動きにくいドレスを着せられた。鞭で打たれながら叩き込まれた作法のおかげで無様を晒さずには済むが、表情は暗くなってしまう。
それに、迎えに来たマティアの顔を見てまた一段気持ちが下がる。
「……良くお似合いです」
「あ、ありがとう……ございます」
平坦な声で褒められても嬉しい気持ちはない。学園生活を通して最低限の会話を交わすこともできるようになってきたデルカだったが、話す機会が存在しないマティアとの仲はまったく修復されなかった。
そもそも、デルカはマティアが嫌いだ。
デルカが間違っていることを突きつけてくるから。それに加えて、彼自身も間違っていたから。その認識は、パーティーでさらに深まった。
エルドルの成人祝賀パーティーには、エディール王子も出席していた。彼らは仲が良さげに話しており、それを見るシャール侯爵の顔は暗い。シャール侯爵もまたマティアを後継にしたい一人のようだったが、エルドルが下りる理由はやはり一つもないのだ。
マティアも、彼の周りの友人たちも、それを突きつけられたようだった。こそこそと「やっぱりマティア様じゃなくてエルドル様だよな……」と口に出している人すらいた。
そのうち、マティアはエスコートすら放り出してどこかに行ってしまったが、デルカとしては一人のほうがまだマシだった。いつ頃帰ればいいのだろうと思いつつ、重たいドレスを引きずってぼうっと虚空を見つめる。
「ごきげんよう、サザルク嬢」
――まさか、今日の主役であるエルドルに話しかけられるとは思ってはいなかったが。
エルドルは、デルカが伝導器の研究をしていることを知っているようだった。
彼が言及したユーストス教授は、デルカが初等学部のときに書いたレポート課題に目をつけてくれた人だ。デルカに直々に声をかけてくれて、デルカはようやく教師に質問をしていいことを知った。
それからは早かった。尋ねれば答えが返ってくる。答えがないものでも、自己流で調べていたころよりはずっと効率的に探し物ができたし、実験室にも入れてくれた。
頭の中にだけあったものを、実現できる。ペンを握っても痛まない手を動かせる環境がある。間違っていることを一つずつ潰していって、限りなく正解に近い道を探し出す。デルカはあっという間に研究に夢中になった。
エルドルに話をしたいと言われたデルカは、パーティーのあとに学園のサロンに呼び出された。なぜかエディール王子も同席している。
何を話すのかと憂鬱になっていた気分はすぐに吹っ飛んだ。エルドルもエディール王子も、ユーストス教授と同様にデルカの研究の有用性を認めてくれた。しかもエルドルに至っては手伝いをしてくれるとまで言う。
マティアよりもエルドルだ、とデルカは頷いた。マティアはデルカが何を専攻しているかすら知らないだろう。彼が認めるのは、デルカのサザルク公爵令嬢という肩書だけだ。彼はきっと、肩書と結婚したかったのだ。侯爵になるために。
エルドルがデルカをシャール侯爵領に招き、研究所を用意してくれるという話はとんとん拍子に進んだ。なぜかデルカを迎えに来たのはマティアだったが、それはどうでもいい。大事なのは研究だ。
シャール侯爵領でデルカに与えられた研究所は、侯爵家の敷地内ではなく街中にあった。ぱっと見は研究所と分かりにくい建物で、兄の研究所と雰囲気が違うことに安心する。
設備は最新のものが揃っており、過不足がない。エルドルが研究の内容をよくわかっている証拠だ。足りないものがあれば揃えると言われたが、しばらくその必要はなさそうだった。
デルカはエルドルに深い感謝を捧げ、存分に研究に没頭した。楽しかった。こういう日がずっと続けばいいと思った。
だが、その平穏は、エルドル暗殺未遂事件ですぐに消え去った。
知らせを受け、デルカは絶句した。嫌な予感がする。急いで屋敷へ向かい、届けられた爆発物を見てその予感が的中したことを知った。
見覚えのある機構。――兄が開発していた、爆発伝導器だ。
あれが何のためのものか、幼いデルカは知らなかった。考えすらしなかった。だが、今わかった。これは、人を殺すための道具だ。サザルク公爵家の敵を排除するためのものだ。
同時に、こんなものを開発していたと知られたら罪に問われるとも思い至った。許されないことだ。サザルク公爵家が王妃の外戚だとしても。対立する王弟の息子であるエディール王子と仲がいいエルドルを殺すために兄の研究成果が使われたなんて、世間に知られたらどうなるだろう?
デルカは、不幸だった。
生まれも育ちも、全てが間違っていた。サザルク公爵家のせいだ。その元凶を、排除できるとしたら?
ぞくりと肌が粟立った。今から起きる出来事は、デルカの選択一つで決まるのだ。もちろん、サザルク公爵家が罪に問われるのなら、デルカだって無事に済まないかもしれない。それでもいい。
自分の中に、深く暗い憎悪があることに気がついた。もう見て見ぬ振りはできなかった。
エルドルが目覚めたと聞き、デルカは覚悟を決めて会いに行った。自分の手の中にあるカードは、エルドルに、そしてエディール王子にとって有効だと知っているから。
――そうしてデルカが見たのは、顔面にひどい傷を負ったエルドルだった。
自分の手と同じ痕だ。皮膚が引き攣れて痛む気がする。ペンを握ったときの痛みを思い出す気がする。
でも、エルドルはそんな素振りを見せなかった。
穏やかに微笑んでいる。エルドルの仮面は、だいたいそういうものだった。彼には冷たい空気があり、しかし人を拒むようなことはしない。シャール侯爵の座を奪おうとしていたマティアにだって、優しく声をかけていた。
優秀なエルドル。優しいエルドル。冷静に人を値踏みし、しかし冷酷ではないエルドル。デルカの研究を手伝っているのは、きっと彼に利があるからなのだろう。
傷を負ったからといって、彼の優しげで冷たい仮面に傷は残らない。傷は烙印ではないのだと、ようやく気づいた。
だから、傷を見せることを恐れる必要はない。そう自分に言い聞かせた。
とはいえ、流石にこの傷が綺麗さっぱり消え失せることになるとはデルカも想像していなかった。
デルカは治癒師の存在を知ってはいたが、自分には無縁のものだと思っていた。治癒師を雇うのはひどく高額だからだ。けれどエルドルは密告の報酬なのか哀れみなのか、デルカの手の傷を治すために治癒師を派遣してくれた。
治癒を受ける中で、デルカの好奇心が湧き上がったのは当然の流れだった。自己治癒と他者治癒の何が違うのか、治癒師を質問攻めにし、どうすれば伝導器で再現できるか試行錯誤した。完成した機器の試用をエルドルと、彼と同様に傷を負った侍従に頼んだのはほぼ勢いだった。おかげでデータは取れたわけだが。
そんなふうに研究に没頭していたデルカは、サザルク公爵家がどうなったかなど全く気にしていなかった。学年が上がった時に金が届いたので、まだ生きているのかと思い出した程度だ。
「サザルク嬢、急で申し訳ありませんが、荷物をまとめていただけますか?」
エルドルがそう告げてきたのは本当に急だった。
彼の婚約者であるセリリアや王太子妃が唐突に訳のわからない婚約破棄を宣言した、エディール王子の成人祝賀パーティーのすぐ後だった。件のパーティーがきっかけで、何かが変わるような気はしていた。
そのうちの一つが、サザルク公爵家の件なのかもしれないとデルカは思い至る。何がどう繋がっているかはさっぱりわからないけれど。
「ま、まとめて、どうすれば、……いいのでしょう?」
「我が家のタウンハウスにご案内します。身の安全のためとお思いください」
「わ、わかりました」
デルカは少ない荷物をまとめ、すぐさまシャール侯爵家のタウンハウスに送られた。本邸の隅の部屋がデルカに与えられ、侍女も二人つけられた。
そこで、デルカはこの後起きることを説明された。王太子妃が怪我をしたことはデルカも聞いていた。それは本来はエディール王子を狙った暗殺未遂事件であり、犯行に使われたのはサザルク公爵家の開発した爆発伝導器だったらしい。
サザルク公爵家は処刑されるだろう。デルカが縁者だと分かると危険なので、今後は名前で呼ぶと言われても特に反対する理由はなかった。
そんなわけでただのデルカになったデルカは、シャール侯爵家の片隅で大人しく過ごした。大人しくできたのは、エルドルが別館にデルカの研究機器を持ち込んでくれたからだ。エルドルに暗殺未遂事件について聞いた時から何かが頭に引っかかっていたが、それを忘れて没頭できた。いや、現実逃避だったのかもしれない。
その違和感の正体は、サザルク家の者たちが逮捕され、エルドルがデルカの今後について話に来たときにわかった。
「デルカ、実は君の父親と前シャール侯爵の間に結ばれた契約は、君を次のシャール侯爵の婚約者とするというものなんだ。つまり、君には僕の婚約者になる資格がある。どうかな?」
まさか、そんな話をされるとは思っていなかった。デルカは反射的に断ったが、エルドルも食い下がる。
彼はデルカが優秀な技術者だから、外に出せないと言った。エルドルの妻にならないのなら、自由を奪って閉じ込めるとも。だが、それはいくら優秀な技術者相手でも不自然な扱いだ。
デルカがサザルク公爵家の縁者であるのも理由の一つだと説明されて、それで思い至った。
エルドルは嘘を言っていない。
爆発伝導器はサザルク公爵家が開発したものだ。
それで、王太子妃は怪我をした。
だが、その暗殺未遂事件は本当にサザルク公爵家が仕組んだものだろうか?
――王太子妃を傷つけた爆発伝導器。あれは、デルカが手を加えたものだ。
エルドルに頼まれて、デルカは時限式装置を作った。そして爆発伝導器も再現した。
結果として、それがきっかけでサザルク公爵家の者たちは罪に問われた。デルカは、カードを二枚持っていたのだ。
もしかすると気づいていないカードがまだあるのかもしれない。だからエルドルは自分を妻にしたいのかもしれない。
冷たい空気は、今も自分たちの間にあるのだろうか?デルカはエルドルに視線を向ける。なくならないでほしい。デルカは、マティアたちのような空気の中で息はできない。
かといって、サザルク公爵家で暮らしていた頃のような痛みも苦しみも味わいたくはない。
シャール侯爵夫人になれば、もはや誰もデルカに鞭打つことはできないだろう。その場合は自由がある。いち研究員として監視されるよりもずっと。
そして、エルドルに渡したカードは、まだデルカの頭の中にもあるのだ。いざとなれば彼を殺せる。本当の犯人を告発できる。
今はもう、黙って手を焼かれる幼い自分ではないのだから。
あとの懸念点は子供のことだったが、エルドルは拍子抜けするくらい簡単に養子をとることに賛成した。
たぶん、エルドルにはデルカとの間に子供を持たない理由が別にあるのだろう。そのためにマティアを処分しなかったのだろう。そう思えるくらいに。
自分が母のようにも父のようにもならないで済むことにデルカは安堵した。血のつながらない養子の養育はデルカの仕事ではない。産まなければよかったと呪詛を吐く理由もなければ、泣かないことも、動かないことも、黙っていることも強要しなくていいのだ。
そうして、デルカ・サザルクはこの世からいなくなった。
ヴィルテ伯爵家の養子になり、学園に残りの年数を通った。エルドルは侯爵位を継いだためにとっとと成果を出して卒業してしまったが、デルカは大学にも進んだ。デルカ・シャールになったのはその頃で、知らないうちにシャール侯爵家には子供ができていた。
デルカは本当に、侯爵夫人としての役割を一切果たさなかった。せいぜい貴族として出席するパーティーに同伴するくらいだ。
そうなるとエルドルはただのパトロンのようだった。彼はたまにデルカの下を訪れて親し気に話をした。エルドルのほうがデルカに惚れているのだと周囲に言われるくらいにはマメで、夫婦の関係を疑われることはなかった。
でも、エルドルにはずっと冷たい空気があった。
彼がデルカに恋愛感情を持っていないと言ったことは絶対に間違いがない。他人同士の集合体のほうが気楽だと言った言葉にも嘘はない。シャール侯爵家の家名を名乗ることを許された何人かの子供たちにも、優しく冷静に値踏みをしていた。
だから彼を信じることができる。
手袋の下に傷はもう残っていない。
デルカは、不幸ではなかった。




