第472話 オークヴィルの新任代官
クレア視点です
「第三区画までの整地が完了いたしました。外濠と土塁の造成工事も滞りなく進んでいます」
「……第二次再開発計画も予定通り進められそうですわね。ありがとう、セシリー」
商人ギルドの副ギルド長に就任したセシリーからオークヴィル再開発計画の進捗報告を受け、胸をなでおろしました。
オークヴィルは竜頭半島との交易の経由地として、一日も早い復興が期待されています。物流拠点として以前の倍近い規模の開発をアイザック・ウェイクリング陛下から命じられていますので遅延は許されません。
レスリー前代官の後任として代官を任されたのですから、オークヴィル復興の全責任はわたくしにあります。順調に工事が進んでいることがわかり、重圧が少しだけやわらいだ気がしました。
「クレア様は頑張りすぎですよ。少し休憩にしましょう。さあ、さあ」
「ちょ、ちょっと、セシリー! もう……わかりましたわ」
セシリーはわたくしを無理やりソファに座らせ、お茶を用意すると言って執務室から出ていきました。まだまだ仕事は山積みなのですが……また机に向かっていたらセシリーに怒られそうです。
過労は美容に良くないと言いますし、セシリーの忠告に従って少しだけ休憩することにいたしましょう。わたくしは、肩の力を抜き、ソファの背もたれに身を預けました。
「本当に……目まぐるしい3か月でしたものね」
まさに激動の日々。信じがたい報せが続々と届き、ウェイクリング領をとりまく環境も大きく変化しました。
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3か月前のこと。行方不明となっていたギルバード様が、不意にチェスターに帰ってこられました。
そして、驚きの顛末を告げたのです。
神龍ルクスに身体を乗っ取られ、世界中の都市に滅びをもたらしてしまったこと。王都クレイトンで竜の大群との激戦が繰り広げられたこと。アル兄さまが神龍ルクスを討伐せしめたこと。そして……アスカさんが命を落としてしまったこと。あまりに荒唐無稽な話でしたので、当初はギルバード様の気が触れてしまったのかと疑ってしまいました。
ですが、ジブラルタ王国の王都マルフィが海に沈んでしまったことは既に伝え聞いていました。それなら、世界各国の都市が滅んだという信じ難い話も事実なのかもしれません。
おじ様――アイザック・ウェイクリング辺境伯閣下は各地に密偵を放ち、事態の把握に乗り出しました。そして、密偵が持ち帰った情報により王都クレイトンの半壊が判明すると、おじ様は苦悩の末にとある声明を発されたのです。
セントルイス王国からの独立とウェイクリング王国の建国宣言。
元よりウェイクリング家は辺境伯としてウルグラン山脈以西随一の武力と影響力を持っていました。周辺の貴族は次々と恭順を示し、その結果ウルグラン山脈の西側ほぼ全域が領土となりました。
当然ながら、セントルイス王家や大貴族の多くは、おじ様を強く非難しました。ですが彼らには非難する以外に、何もできませんでした。
王都クレイトンの中心街と平民街は荒野と化し、セントルイス王家の権威は失墜。エクルストン侯爵領は火竜の群れに蹂躙され、領都ヴァリアハートを含む領地のほとんどが壊滅状態です。マーカス王子殿下や王女殿下が避難されたというデンバー公爵家は健在ですが、王都クレイトンの北に位置しているため遠く離れたウェイクリング領への影響力はほとんどありません。
さらに、ウェイクリング王国の西に位置する大国、ジブラルタ王国は王都マルフィが沈没しています。ジブラルタ王族はアナスタージア王女殿下ただ一人を残して、お隠れになったそうです。
今後、央人族のセントルイス王国と海人族のジブラルタ王国は分裂離散してしまうだろうとおじ様は予想されました。一昔前のマナ・シルヴィア王国のように、小国家が乱立し内戦を繰り広げる……なんてことも考えられるでしょう。
ですが、求心力を失くしたセントルイス王家に、それを止める手立てはありません。そのためアイザック陛下は、いち早くウルグラン山脈以西をまとめ、領地と周辺地域の安定を図られたのです。
そうなると問題になるのが跡継ぎです。継承順第一位はもちろんアル兄さまですが、王都クレイトンでの神龍ルクスとの戦い以降、行方不明となっています。第二位のギルバード様は、傭兵団『鋼の鎧』によるオークヴィル襲撃の件で領内での信頼を失っています。
そこで、後継者候補に急浮上したのが、アル兄さまの異母弟にあたる第二妃の子息です。今年、成人を迎えて【騎士】の加護を授かっていますので、騎士の名門であるウェイクリング家の跡継ぎとしての最低条件は満たしています。
ですが、第二妃は出自が良くありません。アリンガム准男爵家現当主の妹で、わたくしの叔母にあたる方なのです。
准男爵家は当主のみが貴族として扱われますので、叔母は貴族ではなくアイザック陛下との婚姻によって貴族となった元平民と見做されています。ウェイクリング家が王家を名乗る以上、跡継ぎが平民の子というのは好ましくありません。
元よりエセ貴族とかゴマスリ男爵などと揶揄されていたアリンガム家です。ウェイクリング王家麾下の貴族達が、反発するであろうことは目に見えていました。
そのため、陛下はわたくしの父バイロン・アリンガムを、ジブラルタ王国から割譲されたシエラ山脈一帯の領主として伯爵に叙したのです。オークヴィル襲撃の際にジブラルタ王国軍討伐の戦費のほとんどを受け持った功績を評価したという名目です。
陛下は何代にもわたって血縁関係にあるアリンガム家を、名実ともに側近として遇してくださいました。賠償として得たシエラ山脈の鉱山を運用するにあたり、アリンガム家の財力と販路をあてにしたというのも理由の一つでしょう。
そんな顛末で、わたくしはアリンガム伯爵家の令嬢となってしまいました。寝耳に水の話ではありましたが、アリンガム家にとっては大きな躍進です。
喜ばしいことではありますが、わたくしにとっては少し複雑でした。だって……わたくしがウェイクリング家に嫁ぐ必要がなくなってしまったのですから。
わたくしは両家の関係をより密にするため、ウェイクリング家の後継者の第二夫人となることになっていました。そのため、当初はアル兄さま、アル兄さまが森番となってからはギルバード様の婚約者となっていたのです。
ですが、アリンガム伯爵家当主の甥がウェイクリング王家の後継者となるのであれば、わたくしを嫁がせる必要がありません。ウェイクリング家としても他の貴族との関係も深めなくてはならないため、アリンガム家長女のわたくしを妻に迎えたいとは考えませんでした。
そして、わたくしは陛下にアル兄さまが戻ってくるのを待たなくてもいいと言われてしまいました。アル兄さまの帰還を待たせて、わたくしが婚期を逸するのは不憫だとの配慮でもあったのでしょう。
わたくしも、もう18歳です。結婚して子供がいてもおかしくない年齢です。婚約者のアル兄さまが失踪したことを知った貴族から、縁談の申し込みも多いと聞いています。父様も出来れば他家との縁を結びたい考えているようです。
ですが、わたくしは縁談の一切をお断りしました。わたくしはアル兄さまの婚約者ですから。妻は夫の帰りを待つものです。
アル兄さまは必ず帰ってこられます。行方不明で何をしているのかもわからないということでしたが、私にはわかります。
アル兄さまは神龍ルクスを滅した後も、為すべきことを為すために旅を続けていらっしゃるのです。おそらくは……いえ、間違いなくアスカさんのために。
森番となって、始まりの森の聖域に閉じ込められたアル兄さまを世界に連れ出したアスカさん。アル兄さまが単身で盗賊のアジトに飛び込んだのも、決闘士として武者修行をされたのも、全てはアスカさんを助け、彼女の願いを叶えるため。アル兄さまが行動を起こされるのは、いつもアスカさんのためでした。
アル兄さまが、各国を旅して高位の加護を持つ方を探しているということは、エルサ様達から伝え聞いています。何のためかはわかりませんが……アスカさんのために違いありません。
そして為すべきことを為した後には、きっとこの地に戻ってこられます。ウェイクリング家を継ぐおつもりは無いなでしょう。ですが、それならそれで構いません。もう、アリンガム家の長女としてウェイクリング家に嫁ぐ必要は無いのですから。
わたくしは、アリンガム家の長女としてではなく、クレア個人として、アル兄さまの帰還をお待ち致します。




