第472話 サローナ大陸に射す光
ジェシカ視点です
ルクスとの戦いから約2か月が過ぎ、ランメルでの生活にもようやく慣れてきた。母様や村の皆はアリスの一族と共に生き生きと暮らしている。
ランメル鉱山で採掘し、魔物を倒して素材を集め、鍛冶師と学者が武具や生活用品を作る。商人が遊牧民や行商と物々交換をして、手に入れた種子や苗で農民が作物を植える。世界中のどこででも行われている人の営みが、ここランメルにも根付き始めた。
ガリシア氏族の土人達にとっては当たり前の営みだろう。でも、サローナ大陸の狭い穴倉で生まれ、凍える大地に囲まれた世界しか知らなかった村の皆にとっては違う。
魔物すら生息できない過酷な地で暮らし、地下の瘦せた土地で育てた雑穀を食み、数世代にわたって使い込んだ襤褸を羽織る。それが魔人族にとっての当たり前だった。
暖かな日が差し、心地よい風が吹き、清らかな水が流れ、草原には多種多様の魔物が生息している。穀物を育てるのには向いていない土地だそうだけど、サローナの地下に比べれば遥かに豊かだ。お腹いっぱい食べて、清潔で新しい衣服に身を包み、居心地のいい家屋で眠ることが出来る。それだけで望外の喜びと言える。
「準備はできたの? それじゃ、サローナに転移するの」
今日、ジェシカ達はサローナ大陸の旧魔人族の村に赴く。火晶石と白光石の採掘に行くのだ。
魔人族の村は火晶石と白光石の鉱脈を掘り、長い時をかけて広げた地下空間にあった。火晶石で暖を取り、白光石の明かりで雑穀を育てることが出来たから、魔人族はあの極寒の大地でもどうにか生きていけたのだ。
その火晶石と白光石で交易品を作りたいから、採掘させて欲しいとアリスの父ジオットと従妹イレーネに頭を下げられた。火晶石と白光石は希少な鉱物なのだそうだ。
ジオットとイレーネ、アリスのおかげで、魔人族は排斥されずに暮らせているのだ。二つ返事で了承した。
「『龍脈の腕輪』」
サローナの転移陣を思い浮かべて、ラヴィニアの形見でもある腕輪に魔力を込める。想定以上に魔力を吸い取られ、思わず顔を歪めてしまう。
アリスとイレーネだけではなく、十数人の坑夫達も連れての転移だから魔力消費が激しい。軽々と『龍脈の腕輪』を操っていたアスカはやはり規格外だったのだと、あらためて思う。
白光に包まれ、視界が切り替わる。目に飛び込んできたのは馴染みの風景だ。どこまでも続く真っ白な雪原、草木の一つも生えない荒涼とした大地。
だが、ほんの少し違和感がある。何かが違う。そう感じるが、何が違うのか分からない。
「さあ、こっちなの。案内するの」
いったん頭を切り替えて、坑夫達を先導する。アリスとイレーネ、その後ろに坑夫達がぞろぞろと続いた。数分歩いたところで、ようやく何が違っていたのかわかった。
日差しがいつもより少しだけ強い。雪に覆われていない地表が少しだけ広い。そして、突き抜けるように空が青い。
この大陸には数千年前から幻影がかけられている。幻影に遮られるため、暖かい陽光が注がれることなどないはずなのだ。
「どうして……なの」
アザゼル……いえ、勇者エドワウ・エヴェロンは、冥龍ニグラードの魔晶石を用いて、サローナ大陸に幻影をかけた。
守護龍達は自らの魔石を用いて栄えよと言い残して死んだという。その言葉に従い、エドワウは【賢者】の加護を持つ者達とともに世界を巡り、守護龍の魔晶石を利用した魔法陣を築いた。
土人族は尽きない鉱山を、獣人族は魔物が近寄れない土地を、そして神人族は豊かな生活を望み、エドワウはその望みを叶えた。
だけどエドワウは魔人族の望みを聞かなかった。
龍王ルクスに操られた人族が守護龍の加護と祝福を手にし、封印を解いてしまうかもしれない。そう考えたエドワウは、サローナに冥龍の魔晶石を安置して、大陸全体を幻影で覆ったのだ。
幻影に隠されたサローナ大陸は人族の目に映らない。偶然船で近づいたとしても幻に包まれて、いつの間にか引き返してしまう。
そしてエドワウはたった一人でサローナ大陸に残り、唯一の入り口である転移陣を封印した。さらに、自分自身に【冥王の喚び声】をかけて不死者と化した。冥龍ニグラードから授かった加護と祝福を誰にも渡さず、龍王ルクスの封印を守るために。
そんなエドワウを嘲笑うかのように龍王ルクスは狡猾な罠を仕掛ける。神人族を操りエヴェロン王国を滅ぼし、世界中の人族を操って魔人族を排斥したのだ。嵌められた同胞を見捨てることが出来なかったエドワウは、止む無く転移陣の封印を解いてサローナに迎え入れた。
とはいえ、極寒のサローナ大陸は人が生きられる環境ではない。数万人もいた魔人族は凍え、飢えて死んでいき、あの村を残して滅んでしまった。同胞が死にゆく様を見続けたエドワウは嘆き苦しみ、ついには他種族を贄として魔人族だけが生き残る盟約を龍王ルクスと結んでしまった。
永い、永い時間がエドワウの精神を蝕んでしまったのかもしれない。エドワウは同胞に生き残れる道を示し、自身は命を賭して龍王ルクスに一矢報いることを選んだ。
結局、エドワウはルクスの封印を守れなかった。でも、何千年もの間、龍王ルクスの封印は維持された。エドワウの献身と冥龍ニグラードの幻影によって。
その幻影が……無くなっている?
「ジェシカ、どうしたのです?」
「ううん……なんでもないの」
アリスが心配そうな顔を向けてくれる。
思い過ごしかもしれない。皆を無用に心配させてはいけない。幻影のことは後で考えよう。そう思った、その時だった。
――――魔人族の王エドワウの末裔よ
不意に声が響いた。聞こえたのではない。頭の中に声が響いたのだ。
「これは!? 龍の言の葉なのです!?」
「ま、まさかっ、ル、ルクスなの!?」
白銀の短剣を抜き、もう片方の手をポーチに突っ込む。いつでも口寄せできるように魔石の感触を確かめつつ、周囲の気配を探る。
「上なのっ!」
鍛え上げた索敵のスキルで、いち早く察知する。この声の主は、遥か上空。青空の一点の染みのような黒い影だ。
あれは……ルクス……ではない? 強大ではあるけどルクスに比べると魔力が小さい。
黒点はあっという間に飛来し、ジェシカ達の直上に静止する。漆黒の鱗に覆われ、三対六枚の翼を持つその威容は……
――――我は冥龍ニグラード
――――魔人族の王エドワウの末裔に告ぐ
やはり龍だ。それも魔人族の守護龍である冥龍ニグラード。
だけどなぜ……。冥龍ニグラードは死んだはずでは……
――――龍は決して滅びない
頭の中に浮かんだ疑問に答えるように、ニグラードの声が響く。その声は優しく語りかけるようで、敵意は全く感じない。むしろ、この想いは……慈しみ?
――――魔人族の王エドワウの末裔よ
――――武闘家と龍騎士を探すのだ
「え、【武闘家】に【龍騎士】なの?」
思わず問い返してしまう。これは所謂、守護龍ニグラードの天命というものだろうか。拳士と槍術士の最上位加護を持つ者を探せということ?
――――然り
――――女神の使徒に引き合わせよ
そう言い残し、冥龍ニグラードは翻り、あっという間に飛び去った。
女神の使徒って……アルフレッドのこと?




