第463話 死闘
鋭く尖った牙が並ぶ咢が大きく開かれ、その口腔で碧い魔力光が眩く輝く。龍王ルクスが大空洞の底で這いつくばる俺を真っ直ぐに見据え、刺すような殺気を放った。
全身がカタカタと震えるのを抑えられない。これは、身体の裡から湧き上がる恐怖心からなのか。それとも血を流しすぎたからなのか。
ルクスの咆哮が来る。もう数秒のいとまもない。
転移で退避を……。いや、無理だ。スキルを発動する余裕が無い。
全身が激しく痛み、スキルや魔法を使う集中力が保てそうにない。それに、さっきの一撃に全魔力を注ぎ込んだために魔力ももうスカスカだ。
もう、打つ手が……無い。
ルクスが纏う圧倒的な魔力によって大地が震え、小石や土埃が舞い上がる。周囲の風景がやけにゆっくりと流れているように感じられた。
ああ、これ、死の直前に見る光景ってやつか?
ふふ……なら、せめて、最期まで立ち向かってやる。
俺は激痛を無理矢理抑え込んで、ゆっくりと立ち上がる。拾い上げた龍殺しの剣を杖のように地面に立て、ルクスに向かってどうにか一歩を踏み出した。
ルクスの口腔で瞬く碧い魔力光がなおいっそうに強い輝きを放ち、圧縮された魔力塊が小刻みに揺れている。今にも弾け飛びそうだ。
ルクスの目が嘲笑するかのように歪む。ブレスの準備が整ったのだろう。
ここまで、か……。
死ぬときは前のめりだ。せめて堂々と。そう思ってルクスの目を睨みつけた、その時だった。
「おおおぉぉっ!!」
白銀に輝く翼を羽ばたかせたエースがルクスの前に躍り出た。その背の上で、シルヴィアの大槍を構えたユーゴーが裂帛の怒号を放つ。
「【漆黒の諸刃・献魂一擲】!!!」
ユーゴーの奥の手。著しく攻撃力を引き上げる代わりに発動後は全ステータスが著しく低下してしまう【獣騎士】のスキル【漆黒の諸刃】、そして全魔力を消費することで苛烈な一撃を放つ【獣王】のスキル【献魂一擲】の合わせ技だ。
ユーゴーはエースの【天駆】の勢いを乗せて、ルクスの咢に向かって大槍を投擲する。シルヴィアの大槍は、解き放たれる寸前の碧い魔力塊を貫通して下顎に突き刺さった。
瞬間、魔力塊が放射状に弾け、目が眩むほどの魔力光が衝撃波とともに大空洞の底に放たれる。
「うぐぁっ!?」
既に満身創痍の俺は、その衝撃波に堪えきれず仰向けに倒れ込んだ。
「アル!!」
アスカとローズの声だ。見ると、いつの間に降下していた水竜の背から、皆が飛び降りるところだった。
「【上級回復薬】!」
「【治癒】!【回復】!」
「無茶なことして! パラシュート無しのスカイダイビングなんて! 何千メートルあったと思ってるの!?」
アスカが今にも泣きだしそうな顔で怒鳴り、それと同時に俺は青緑色の光に包まれる。
「アスカ、説教は後! 魔力回復を!」
「う、うん。【上級魔力回復薬】!」
「二人とも、すまない……心配をかけた」
「ほんとだよ! 気が気じゃなかったんだから!」
砕けた骨が、裂けた傷が癒えていく。全身の骨という骨が折れるほどの重症だけに直ぐには治ってくれないが、だんだんと痛みは引いてきた。
「ギュオォォォォッ!!!」
ルクスが再び獣じみた咆哮をあげる。総毛立つほどの悍ましい雄叫びだが、その声音からは怒りと憎しみだけではなく苦痛と焦りも感じられた。
発動寸前のブレスの魔力塊が口腔内で弾けたからだろう。ルクスの鋭く尖った牙のほとんどが、根元から折れてしまっていた。
「……向こうも余裕が無くなってきたみたいだ」
ルクスは首を半ばまで断ち切られるほどの重傷を負っている。自殺まがいの特攻を仕掛けたのだから、余裕の仮面ぐらいは剥げてくれないと困るが……。
「ギュオォォッ!!」
ルクスがその巨体からは信じられないほどの速さで丸太のような両腕を振り回す。そこにアリスとジェシカが召喚した狂獣の王や金剛人形が突っ込んでいった。爪に切り裂かれ、尾で薙ぎ払われ、次々と破壊され霧散していくが、アリスとジェシカは構わずに召喚獣をけしかける。
「【氷槍】!【岩槍】!【瀑布】!」
「ヒヒィン!!」
エルサが詠唱時間の短い魔法を連発し、エースが隙を見計らっては螺旋角を前に突進攻撃を仕掛ける。
龍殺しの剣でないとルクスを傷つけることは出来ない。だから、エルサは火や風ではなく、氷や岩のような質量がある魔法を選んでいた。
エースもまた得意の雷撃を放つことなく、ルクスの攻撃を体当たりで迎撃している。皆が時間稼ぎと足止めのために、全身全霊をかけてくれている。
ユーゴーは渾身の一撃を放った後、いったん退避したようだ。全ての魔力を使い果たし、著しくステータスが低下したユーゴーは離れた場所でぐったりしている。
あれは回復魔法や薬でなんとかできるものじゃないから、しばらくは動けないだろう。ユーゴーは残念ながらここで戦線離脱だ。
すまない、エルサ、アリス、ジェシカ。もう少しだ。あともう少しで俺も復帰できる。あと少しだけ耐えてくれ。
「【口寄せ】!」
「【人形召喚】!」
「【二重・岩槍】!
「グルルァッ!!」
だが、そう上手く事は運ばない。
ルクスの爪の一振りで金剛人形がまるで粘土細工のように砕かれ、狂獣の王と鬼王が尾の一振りで薙ぎ払われる。エルサの二重詠唱魔法ですらも、ほんの一瞬だけルクスの動きを押し留めることしか出来ない。
「っ……魔石が切れたのです! って、きゃぁっ!?」
「このっ、【二重・岩槍】!」
「【土遁】!」
砕けて飛び散った金剛人形の破片が直撃し、アリスが昏倒してしまう。召喚をやめて魔法攻撃に切り替えたところを見るに、ジェシカも魔石が切れたのだろう。盾となっていた召喚獣がいなくなったのなら、もう前線は維持できない。
「もう十分だ! 俺も出る!」
「だめ! まだ治ってない!」
「もう待てない!」
アイテムでの魔力充填はもう済んだ。骨はまだ万全ではないようだが、動けるならば良し。
「【大鉄壁】! エース、アリスを下げろ! エルサ、強化を!」
「ヒィンッ!」
「了解!【土装】!」
軋む身体を無理やり動かし、最前線に躍り出てルクスの尾撃を弾く。受け流せなかった衝撃で身体の内側から乾いた音が聞こえたが、後ろから飛んできたローズの光魔法が癒してくれる。
「【接続】アスカ! 出し惜しみは無しだ! ジェシカ、援護を!」
「わかったの!」
碧色に戻った龍殺しの剣で爪を弾き、混沌の盾で尾撃を受け流す。『励起』する最適な加護はアスカが選んでくれる。俺は守りを優先し【騎士】の加護を合わせるだけでいい。
エルサの強化魔法、アスカの強化ポーション、ローズの回復魔法が次々と飛んでくる。受け流せなかったダメージはすぐに癒える。骨に響く衝撃が少しずつ少しずつ溜まっていくが、まだ耐えられる。
ジェシカとエースが飛び回ってルクスの攻撃を撃墜し、龍殺しの剣を振るう僅かな時間を作ってくれる。踏み込むほどの隙は出来ないが、腕や尾に僅かな傷を負わせていくことは出来ている。
斬りつけるたびに、龍殺しの剣は少しずつ龍の力を奪っている。積み重ねれば、龍の力を宿した一撃を放てるだろう。
俺達の集中力の限界が早いか。それとも反撃の準備が整うのが早いか。
「おおぉぉぉっ!!」
「グルァァァッ!!」
我慢比べだ、ルクス。




