第435話 神の断片
「かはっ……!」
内壁に打ち付けられた衝撃で、一瞬意識が飛びかける。暗転しかけた視界を晴らそうと息を大きく吸い込むと、胸が焼けるように痛んだ。
「はぁっ、はぁっ……」
なんとか受け身は取れたから骨に異常は無い。背中と胸が痛むが、これぐらいなら【気合】で癒えるだろう。
ゴォーン、ゴォーン、ゴォーン……
闘技場の一角にある塔から鐘の音が鳴り響き、巻き上がった砂埃の中からルクスが姿を現す。身体を覆う炎のような揺らめきが一層厚みを増し、周囲の空間を歪めている。
「それが……龍の力か」
おそらくルクスは身体に纏った魔力そのものをぶつけて来た。腕を振るうだけで魔力を放ったのだ。
俺も渾身の魔力を注ぎ込んで【魔弾】を発動すれば似たようなことは出来る。だがヤツは詠唱すらしていなかった。
アレは魔法やスキルでは無い。魔法やスキルに似た何か……龍の力なのだろう。
「そうだ。世界にあまねく遍在する神の断片を支配する権限。それが龍の力だ」
さっきも神の使いだとか女神の眷族だとか言っていたが、また意味が分からないことを言い出したな。
……まあ、語ってくれるんなら、時間稼ぎをしたいこっちとしては好都合だ。魔素崩壊の魔法陣が発動するまでルクスを引き付けなければならないのだから。
「神の断片……ね。さっき言っていたテラってのは、聖ルクス教の前に信じられていた教えか何かか?」
合図の鐘が鳴ってから15秒が経過。発動まであと75秒……
俺は発動の瞬間を正確につかむため、合図の鐘の音が聞こえた瞬間に【気合】を発動した。
瞬身・不撓・気合などの身体能力を向上させたり、体力や魔力を継続回復するスキルは、きっちり90秒間効果が持続する。そして魔法陣の方も90秒が経過した直後に発動することになっている。
タイミングを誤って魔素崩壊に巻き込まれたら確実に消滅してしまう。ローズ達の命を預かっているのだから失敗は決して許されない。
かといって早く離脱しすぎてしまうとルクスに罠を感づかれて逃げられてしまう。発動の瞬間ギリギリまで離脱は出来ない。
アザゼルの作戦を聞いてから嫌になるぐらい発動を繰り返して感覚を掴んだから、今なら1秒のズレも無くスキルの残時間を把握することが出来るようになっている。
大丈夫だ……。あと1分強、この化け物を引き付ける。そして、発動の瞬間に【転移】で離脱するんだ。
「ふむ……女神を知らない? 加護を授かったのではないのか? 現界に顕現する力は既に失っているはずだが……」
ルクスがぶつぶつと何事かをつぶやく。いいね、このまま会話して時間を……
「まあいい。いずれにせよ、人族を生かすつもりはない」
「うおっ!?」
ルクスがその場で開いた手を突き出し、俺は再び不可視の衝撃に襲われる。
だが今度は防御が間に合った。全身を覆うように【鉄壁】を常時発動し、同時に【不撓】を発動して衝撃に耐える。跳ね飛ばされはしたが、なんとか体勢を立て直す。
残り60秒……
無銘の剣の切っ先をまっすぐにルクスに向けて柄を腰の横に構え、混沌の円盾を前に突き出した防御主体の態勢を取った。
「聖剣? いや……違うな。まあいい」
「なっ!!?」
次の瞬間、ルクスが真正面から殴りかかって来た。牽制や囮動作も無く、ただ真っ直ぐに右拳を突き出す、素人丸出しな打撃だ。
だが早いっ!!
咄嗟に合わせた盾を殴りつけられ、身体を打ち上げられる。装備も合わせれば100キロを優に超える俺を宙に浮かせるなんて凄まじい膂力だ。早いだけじゃない。
俺は受け身を取ろうと空中で半回転する。だが俺の落下よりも早く、ルクスが目の前にまで詰め寄っていた。
「くっ!!」
追撃の左拳を撃墜せんと無銘の剣を振るう。ギャリンッと金属同士をぶつけたような擦過音が鳴り、反動でさらに弾き飛ばされる。
「ぐぁっ!!」
俺は小石のように何度も地面を跳ね、反対側の内壁に激突する。
それでもルクスの猛攻は止まらない。今度は巨大な火球が俺に迫っていた。
「くっ……【鉄壁】!」
即座に身体を起こし魔力盾を展開する。だが、【鉄壁】だけではルクスの魔法を受け止めることは出来ない。
「【盾撃】!」
俺は魔力盾を斜めにずらし、衝突の瞬間に盾撃を合わせて火球を後方斜め上へと受け流した。ルクスは観客席の方へと飛んで行った火球を見て、忌々し気に目尻を吊り上げた。
「【光の盾・鉄壁】『常時発動』!」
白色の魔力光を身に纏いルクスに対峙する。魔力を纏うのは別にお前の専売特許じゃない。普通に発動するよりも効果は低くなるが、身に纏うことで消費魔力を抑えられるし、動き易くなる。
「図に乗るな、央人!」
「ぐっ、おぉぉぉっ!」
ルクスが放つ拳打や蹴撃を、混沌の円盾と無銘の剣で弾き、逸らす。
あまりに動きが早く、躱すことなんて出来やしない。今は防御力に優れる【騎士】と【竜騎士】の加護を励起しているが、敏捷性に優れる【暗殺者】と【弓術士】の加護に変えたところで結果は同じだろう。
かといって防御主体の加護とスキルを発動していても、ルクスの攻撃をまともに受け止めることもできはしないだろう。ふっ飛ばされて、追撃を食らうのが落ちだ。
俺に出来ることは強大な膂力をもって放たれる拳や蹴りを受け流すことだけ。とんでもない速さで放たれるものの、ルクスは技巧の欠片もない直線的な動きしかしてこないため、攻撃の起こりや狙いは読みやすい。【心眼】や【看破】を使うまでも無い。
盾を振り上げて拳を払い、剣を打ち付けて蹴りを逸らす。直撃を避けることだけに集中する。
残り40秒……
いくら受け流しているとはいえ、段々と骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げ始める。
打ち付けられる槌を逸らすには、横から相応の力を加えなければならない。ルクスの強大な膂力をもって放たれた打撃を逸らすには、全力で盾や剣をぶつけ続けなければならないのだ。当然、その反動と疲労による負荷は次第に積み重なっていく。
一発だって、まともに受け止められない。掠るだけでも致命傷を負ってしまう。かといって躱すことも出来ない。反撃をする隙なんて微塵も無い。ルクスの猛攻を凌ぐだけで精いっぱいだ。
「【治癒】!」
ローズが飛ばしてくれる回復魔法が生命線だ。痛みが消え、僅かに体力が戻ってくる。
まだ戦える。あと数十秒なら魔力はもつし、集中力も維持できる。
残り25秒……
子供の喧嘩のように拳と脚を振り回し続けていたルクスが、不意に動きを止めた。身体に纏っていた陽炎も、刺すように放たれていた殺気も消え失せた。
「な……んだ?」
魔力が尽きたのか?
いや、そうじゃない。未だ膨大な魔力がルクスの内に在る。俺達と違ってルクスは全く消耗していない。
「なかなかにやるな、女神の眷族よ」
凌ぐことしか出来ないけどな。
ヒトの肉体に慣れていないルクスは強大な魔法を放つか、身体ごとぶつかってくるような稚拙な攻撃しかできない。そもそも竜のように頑健で巨大な肉体を持つ生物には、技巧や駆け引きなんてものは必要なかったのだろう。
「お褒め頂き光栄だな、龍王ルクス。それで、まだ続けるのか? クレイトンから引くつもりなら、見逃してやってもいいぞ」
あと15秒……
攻め手に欠くと判断し、引くつもりかもしれない。言葉で煽りつつ、【挑発】を発動する。もう少し、もう少しだけ、龍王ルクスを引き付けるんだ。
「ふん……そうだな。ここで引かせてもらおう。我は貴様らの自殺に付き合うつもりはない」
「な、にを……」
「さきほどから龍の魔力が騒めいている。守護龍どもの力を解き放つつもりなのだろう? 気づいていないとでも思ったか?」
ルクスは口角を吊り上げ、にやりと嗤う。
「この都はイグニスの魔力が尽きてから滅ぼしてくれよう」
「なっ……」
唐突に背中に一対の飛膜翼が現れる。
「くそっ、逃がすか!!」
即座に【暗殺者】と【弓術士】の加護を励起させ、【瞬身】と【風装】を同時発動。何としても足止めをせんと無銘の剣を振るう。
「さらばだ」
剣は一歩届かず空を斬り、ルクスはふわりと上空に舞い上がった。




