第398話 魔人の集落
俺達の前には真っ白な雪原が広がり、後ろにはまっすぐな足跡が延々と連なっている。ところどころ雪に覆われていない地表や岩肌も見えるが、草木の一つも生えていない。
もう数時間ほども歩いていると思うのだが、景色は全く変わらない。ジェシカはいったいどこへ俺たちを連れて行こうとしているのだろう。名も無き村と言ってはいたが……こんな極寒の地に人の住む村が本当にあるというのか?
幸いにして天候は穏やかだが、凍え震えるほどに寒い。急遽防寒のために、貴重な属性魔晶石を加工した懐炉をアリスに人数分作ってもらった。
火喰い狼の毛を裏地に編み込んだアスカのローブは高い防寒性能を誇るとのことだったが、さすがにこの極寒の地では通用しないようだ。他の皆もシルヴィア大森林で揃えた防寒具を着ているのだが、やはりこの寒さには歯が立たない。皆、毛布で全身を包んでなんとか寒さに耐えている。
魔物が一切出てこないのが、せめてもの救いではある。まあ、魔物は河川沿いや海辺、森林などの自然の恵みや魔素が豊富な場所に生息するものだ。こんな草木も全く生えていないような土地では魔物すら生息出来ないのかもしれない。
「いったいどこまで行くつもりなの?」
エルサが刺々しい言葉で、ジェシカに問う。
「……もう少しなの。疲れた? 休憩する?」
「疲れたんじゃないわよ!」
エルサがかなり苛ついている。相手は魔人だし、目的地や所要時間の詳細を告げられないまま歩いているんだから、苛つくのもしょうがないことだけど……。
「ジェシカ、君の村に行くとは聞いたが、どれぐらいの距離なのか、どのぐらい時間がかかるのかぐらいは教えてくれないか」
「……このまま行けば、あと1時間ぐらいなの」
「そうか。じゃあ案内を続けてくれ」
ジェシカはこくんと頷くと、再び歩き出した。俺はエルサに近づき耳打ちする。
「エルサ。ジェシカから出来るだけ情報を仕入れておきたい。今は彼女に付いていこう」
「……わかったわ。ごめんなさい、冷静じゃなかったわね」
「仕方がないさ。あいつは、魔人。世界中で争いの種をまき、動乱を起こしてきた種族で、聖女キャロルの仇なんだ」
「そうね……」
「この先で罠を張っているのかもしれない。油断せずに行こう」
「ええ」
自分で言っておいてなんだが、ジェシカが罠を張っている可能性は低いと思っている。罠を張るぐらいなら、大尖塔で俺達を放置して助けなければよかったのだから。
あ、いや。ジェシカがここに連れてきたとも限らないのか。だとしたら保身を図るために仲間が待っている居住地に連れ込もうとしてる可能性もある?
ああ……考えていたら俺も頭がぐちゃぐちゃして苛ついてきたな。とても受け止められないこと、理解が及ばないこと、わからないことが多すぎる。
とりあえず、出たとこ勝負にはなってしまうけど、ジェシカについていくしかないか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「着いたの。ここが目的地」
ジェシカの宣言通り1時間ほど歩くと、目的地にたどり着いた。ジェシカの指し示した先には、海沿いの岸壁にぽっかりと口を開けた洞穴があった。
「ここが、君たちの村なのか?」
岸壁には吹き付ける風で冷たい波しぶきが舞い、海面には巨大な氷山と流氷が漂っている。
「ええ。世界に拒絶された魔人族が暮らす村。案内するの」
ジェシカは洞穴の中に入っていき、俺達もその後に続く。
ここからは何が起こるかわからない。顔を見合わせて、それぞれ武器に手を伸ばす。
皆、聖武具は奪われてしまったので『王家の武器シリーズ』を持っている。アリスは『ガリシアの手甲』、エルサは『アストゥリアの短杖』、ユーゴーは『シルヴィアの大槍』、ローズは『ジブラルタの大杖』だ。俺はギルバードから奪った白銀の剣だけど。
「ここを下りるの」
洞穴自体はさほど広さは無く、奥に地下へと降りる梯子があった。穴の下は地下にもかかわらず外と同じように光に満ちている。
「これは……白光石の鉱脈か?」
「そう。この鉱脈があったから魔人族は生き延びることができた」
そう言ってジェシカは地下へとふわりと飛び降りた。ユーゴーを先頭に皆それに続き、俺はアスカを横抱きにして飛び降りる。飛び降りた先は長細い坑道で、進むにつれてだんだんと幅が広くなっている。
坑道の壁にはところどころに苔が生えていた。そう言えば、だんだんと温かくなってきた気がする。
「すごい! ほんとにジオフロントだ!!」
「知っていたのかアスカ?」
「いや、ついノリで」
坑道の先には地下空間が広がっていた。中央に地下水脈が通っていて、その両脇には見たことの無い穀物らしき植物が所狭しと植えられていた。一見、米に似ている気もするが粒がかなり小粒だ。
「あれはミレットなの。冷たく、痩せたこの地でも育つ唯一の穀物なの」
俺が畑を見ているのに気付いたのかジェシカが教えてくれた。魔人族とはいえ人の種族の一つには違いない。穀物を栽培していてもおかしいことはない……のだが、俺はそんな当たり前の営みに違和感を覚えた。
「魔人に農耕文化があるんだな……」
そう呟いた俺にジェシカは冷ややかな目線を向けて、先に歩き出す。畑の間を縫うように進む道の先には、農作業をしている魔人族と……神人がいた。
「おー、ジェシカちゃん、お帰り!!」
魔人族の男性が親しげに笑顔を浮かべて手を振る。
「ヨシフさん、ただいまなの!!」
驚いたことにジェシカも笑顔を浮かべて手を振り返した。さっきまでの仮面のような表情と淡々とした声からは考えられない変化だ。
「お帰り! お、なんだいそいつらは。また、漂流者かい?」
今度は神人族の男性がにこやかに語り掛ける。その表情と優しい声音に、エルサが目を丸くしている。
「そんなとこなの。ジェシカ達の家に連れてくの」
「そうなんだ。アザゼル様は一緒じゃないのかい?」
「アザゼルは別行動なの」
「そっか。とにかく無事でよかったよ、ジェシカちゃん。アンタらも、幸運だったな。ジェシカちゃんに見つけてもらえなかったら凍死は避けられなかっただろ」
「うんうん。無事でよかったよ。ここは火晶石と白光石の鉱脈があるから寒さに凍えることは無い。ひとまず安心だよ」
「あ、ああ……」
親しげに声をかけてくる男性達に戸惑い、俺はろくに返事もできなかった。
その後も、この地の住民たちとすれ違う。魔人族が大半ではあるが、央人、獣人、土人の姿もあった。
住民達はジェシカを見つけると、まるで自分の娘と接するような親しげで優しい笑顔を向ける。ジェシカもまた、住民たちに笑顔を振りまいていた。
やがて地下空間の奥の壁までたどり着く。そこには動物の巣穴のような横穴がいくつも空いていた。ジェシカはその中でも比較的大きな穴へと入っていく。
穴の中には粗末で原始的な生活空間があった。石を切り出して作ったのであろう簡素なテーブルと椅子、稲藁のようなものを詰めた粗末なベッドがあり、火晶石の柔らかな灯りがそれらを照らしている。
「さあ、そっちの椅子に座るの。約束通り、ジェシカが知る限りのことは答えてあげるの」
ジェシカはベッドにどさっと腰を下ろし、テーブルセットを指し示す。その表情には先ほどのような笑顔はなく、凍りついた仮面のような表情が張り付いていた。




