第339話 王都マルフィ
「ふあぁぁっ! これが海なのです!?」
アリスが初めて目にする海を前に、感嘆の声を漏らす。
チェスターは内海に面しているから馴染みはあるけれど、俺も海を目にするのは久しぶりだ。
「綺麗だな……」
目の前の断崖絶壁の下には、瑠璃を思わせる深い青緑色の海が広がっている。チェスターのオンタリオ海よりも透明度が高い気がする。
「あそこがジブラルタ王国の首都、海洋都市マルフィですよ」
案内人が指し示す方に目を向けると、三方を断崖絶壁に囲まれた狭い土地に、白い建物が密集している都市が見えた。
そして、入り組んだ地形が湾を形成しており、海が陸地に深く入り込んでいる。その湾の中に、無数の白亜の塔が林立していた。
海岸沿いにでは無く、湾のど真ん中に塔が生えているのだ。
「海人族の大半は、あの海の中に立つ塔で暮らしています。あそこに見える一際背の高い塔が、ジブラルタ王家の王城ですよ」
湾のほぼ中央に丸みを帯びた円錐状の塔が立ち、その周りを同心円状に塔が取り囲んでいる。塔と塔の間には空中回廊が渡され、海面にはたくさんの船が停泊していた。
「海人族以外の種族は陸地に?」
「中には塔で暮らす物好きもいますが、大抵は陸ですね。海人とちがって我々は海の上では自由に動けませんから」
「なるほど……。それで、マルフィへはどうやって?」
俺達がいるマルフィの転移陣は断崖絶壁の上にある。まさか、ここから飛び下りる、なんてことはないよな? エースの【天駆】があるから、俺達は下りれないことも無いけど……。
「マルフィと反対方向に山を下りれば、山を貫いて街へと繋がる坑道があるんです。そこそこ広い坑道ですから、馬車で移動できますよ」
そりゃ、そうだよな。じゃあ、さっそくマルフィに行きますか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
長い坑道を抜けると港町だった。暖かく湿った風が髪を揺らす。坑道出口の関門に幌馬車を止める。案内人が馬車を下りて、槍を持つ兵士に通行の許可を取りに行った。
「あったかいねー」
初秋だというのに、鎧下が汗ばむほどの暖かさだ。ジブラルタ王国は暖かい海流に面しているため、一年を通して温和な土地柄なのだそうだ。
「あの橙色の屋根の建物が、冒険者ギルドです」
坑道の出口は山の中腹にあったため、マルフィの街並みを見下ろすことが出来る。ほとんどの建物は白一色だから、ギルドの黄色い屋根はわかりやすかった。
「ありがとうございました」
案内人とはここで別れる。彼は商人ギルドへ急ぎ、アストゥリアやマナ・シルヴィアの動向を伝えるのだそうだ。
「じゃあギルドに行こっか」
「探索者ギルドの方じゃなくていいのか?」
「んー。探索者ギルドってWOTには無かったから、どういうとこかわかんないんだよねー。とりあえず冒険者ギルドに行って、話を聞くって感じでいいんじゃない?」
「賛成。『支える籠手』の人達に聞いた話だと、冒険者ギルドと対立関係にあるみたいだから、事前に話を聞いておいた方が良いと思うわ。Aランクのアルがいれば、邪険には扱われないでしょう」
「そうだな。じゃあ行こうか」
マルフィは三方を山に囲まれたすり鉢状の地形のため、急こう配の山地に住宅地が造成されている。俺達は山道を縫うように走る坂道を通り、中心の陸地部に下って行った。
「ここか」
マルフィの建物はほとんどが石造りだ。石灰の白い家並みが斜面にひしめくように密集している。陸地が狭いだけに高層の建物が多く、冒険者ギルドも四階建てだった。
ギルドの中は他所の街と大して変わらない。入り口付近の壁には掲示板があり、常設依頼が所狭しと貼られている。丸テーブルと椅子が並べられた談話スペースがあって、軽食を持ち込んだ冒険者達が騒いでいる。海人族の姿は無く、冒険者達の大半は央人だ。
「いらっしゃい。ここは初めて?」
「ああ、たった今この街に着いたところなんだ」
受付の女性は手渡したメンバー全員の冒険者タグを見て、ヒュゥと口笛を鳴らした。
「Aランクなんて珍しいね。お仲間もBにC……あら、あなたはFランク? とてもそうは見えないけど……」
ユーゴーは傭兵ギルドでの個人ランクはAだったらしいが、冒険者ランクは未だFだ。達成依頼はクレアの護衛だけで、路銀稼ぎのために魔石をいくつか売っただけらしいのでランクはほとんど上がっていない。ぱっと見た目でわかるほどに強者の雰囲気を醸し出しているので、とても低ランク冒険者には見えないだろうけどね。
「海底迷宮に挑戦しに来たんだ。必要な手続きがあれば教えてもらえないか?」
そう言うと、受付の女性は眉間に皺を寄せて、困ったと言うように唸った。
「ええと、念のために聞くけど、パーティメンバーにジブラルタ王国民はいる?」
「いや、いないが……。それが何か?」
「他国の出身者が海底迷宮に入るには、ジブラルタ王国民のパーティリーダーが必要なのよ」
受付女性が言うには、数年前までは他国出身の者でも冒険者ギルドか傭兵ギルドの登録があれば、自由に海底迷宮に出入りすることが出来たらしい。だが迷宮で起こったとある事件をきっかけに、ジブラルタ女王が海人族以外の立ち入りを制限したのだそうだ。
「聖ルクス教国出身の冒険者達が組織的に上層の資源を取りつくして、しかもその資源をジブラルタには一切卸さないで国外に持ち出しちゃったの。迷宮の資源は一定の時間が経てば回復するんだけど、一度に取りつくされてしまうと回復に時間がかかるのよ。一時的に資源が出回らなくなってしまって、マルフィ市民の生活にまで大きな影響が出たのよ」
他種族でもジブラルタ国民であれば迷宮に出入りすることは出来る。ただし、他国出身者は海人族がリーダーをつとめるパーティーに入っていないと立ち入りが許されないらしい。
「ポーターでもいいからジブラルタ王国民のメンバーをリーダーってことにすれば迷宮には入れるんだけどね」
なるほどね……。それは仕方ないかもしれない。
例えば鉱山都市レリダにセントルイスの鉱夫が大挙して訪れ、鉱石を掘りつくした上に持ち出してしまったら……。当然、ガリシアの族長は土人以外の鉱山への立ち入りを制限するだろう。
「うーん……じゃあ、ギルドでジブラルタ王国民の冒険者を紹介してもらえたりしないか?」
「ちょっと前なら紹介も出来たんだけどねぇ……。つい最近、ジブラルタ王国民の登録者を探索者ギルドにごっそり引き抜かれちゃったのよ」
いきなり暗礁に乗り上げてしまった……。なんとか海底迷宮に入る方法は無いものかな?
「探索者ギルドに登録するというのはどうかしら? 制限されているのは他国出身の冒険者ギルドか傭兵ギルドの登録者なんでしょう?」
おっ、いい案だな、エルサ。冒険者ギルドとは関係が悪いそうだから、ここでは口に出さない方が良かったと思うけど。
「それも難しいわね。探索者ギルドに登録できるのもジブラルタ王国民だけなのよ。貴方達もこの都市で1年暮らして、人頭税を払ったら登録できるけど」
1年……。それはちょっとなぁ。魔人族が海底迷宮で何か企んでいるかもしれないんだ。そんな悠長なことはしていられない。
「ここで悩んでてもしょうがなさそうだね。とりあえず、今日の宿を探しに行かない?」
アスカがそう提案したため、受付女性に街の地理とお勧めの宿を聞き、俺達はギルドを後にした。




