第322話 魔人ジェシカ
灰色のローブを纏った褐色の肌の少女が世界樹の枝から飛び降りる。紅い瞳の上で一直線に切り揃えた前髪と、肩まで伸びた銀色の髪がふわりと揺れる。
十代前半にしか見えない小柄な少女だが、その身に纏う魔力は本物だ。ピリピリと突き刺すような威圧感を放ちながら、薄い微笑みを浮かべていた。
「ごきげんようなの、龍の従者たち。ジェシカ・プライド。ジェシカって呼んで欲しいの」
魔人族の少女ジェシカは、レースやフリルで飾られた真っ黒なスカートを詰まんで優雅に御辞儀をする。
「【紫電】!」
そんな挨拶の一切を無視しエルサが雷撃を放つ。だがジェシカは、まるでエルサの奇襲を読んでいたかのように身を翻して雷撃を躱した。
「ずいぶんなご挨拶なの。エルサは礼儀作法をお勉強するべきなの」
「魔人族は火をもって遇する。それが私の礼儀よ」
エルサがジェシカを睨みつけながら答える。
「あなたの妹を殺したのはアザゼルなの。仕返しはアザゼルにしてほしいの」
ジェシカが、面倒この上ないといった顔つきでため息を吐く。
その反応が癪に障ったのか、エルサは天龍の聖短杖を突き出して【岩弾】を放つ。
魔法の発動速度は、習熟度と魔力の高さに依存する。俺よりも魔力が高いエルサが放つ、詠唱の短い第一位階の魔法は、神速と表現するに足る速さだった。
だが、ジェシカはそれすらも易々と躱してみせた。黒い編み上げのブーツでステップを踏み、スカートがふわりと揺れる。
今の歩法は……【暗歩】? 【暗殺者】の加護持ちか?
「ジェシカ、と言ったな? やはり、お前達は20年前の惨劇を再現しようとしているのか?」
俺は油断なく盾を前に構えてジェシカに尋ねる。
「知らないの。ジェシカの役目は、龍の従者達を足止めすることなの」
薄い微笑みを受かべて淡々と述べるジェシカ。口角が僅かに上がっているため微笑んでいるように見えるが、その表情からは感情の動きが感じられない。まるで観賞用の精巧な人形のような印象を受ける。
「足止め、か」
魔物達がマナ・シルヴィアを蹂躙するまでの足止めってことか。
やはり、アスカの言っていた通りなのかもしれない。魔人族は20年前の歴史を再現しようとしているのではないかと、アスカは予想していたのだ。
シルヴィア大森林の覇権を奪い合って獣人族同士が争い、その背後で魔人族が暗躍する。今回はマナ・ルヴィア側が獅子人族で、攻め入る側が狼人族だという立ち位置の違いはあるものの、この戦争の本質は20年前と同じだ。
「そう。貴方達にはしばらく、ここに留まってもらうの」
ジェシカが右手を顔の前に上げ、パチンと指を鳴らす。
その乾いた音が鳴った直後に、俺達の頭上と背後に巨大な気配が現れた。
「なっ、翡翠竜!? こいつは、狂獣か!?」
頭上に浮かんでいたのは翡翠竜、背後に現れたのは二本の角を持つ巨大な牛のような獣だ。
「嘘だろ……? こんなデカいヤツの接近に気付かなかったなんて」
リア王達やユーゴーと対峙しながらも、俺は警戒を怠っていなかった。こんなに巨大な気配が近づいて来れば、気付かないはずが無いのだ。
そもそも、世界樹の近辺は深い霧が漂っている。人だけでなく、魔物も入り込めないはずなのに。
「たぶん、斥候系の上級職【忍者】のスキル、【隠遁】だね」
「正解なの。気配を消すのはジェシカの得意技なの」
アスカの呟きに、ジェシカが薄笑みを浮かべて返答する。
「アルも使える【隠密】の上位互換だよ」
なんでここに魔物が入り込めたのかは考えても無駄か。それを言ったら俺達も、なんで純血の灰狼族以外を寄せ付けないはずの森に来れたのかって話だもんな。
「最初から隠れてたってわけか……」
さて……どうする?
相手は魔人族ジェシカと翡翠竜に狂獣。
空に浮かぶ翡翠竜と戦えるのは、遠距離魔法攻撃が出来る俺とエルサだ。
後ろの狂獣はどう見てもパワータイプ。同じくパワータイプのアリスが、相性が良い。
ジェシカは身のこなしが鋭い斥候系の加護持ちだ。あの速さについて行けそうなのは、俺だけだろう。
翡翠竜はエルサが魔法で牽制、狂獣はアリスに抑えてもらってアスカがサポート、ジェシカは俺だな。Aランク級の魔物や魔人族相手に一対一で戦うのは危険だが仕方ない。
エウレカの地下墓所みたいに、魔力を吸われてスキルも魔法もろくに使えない状況よりはマシか。
「よしっ、ジェシカは俺がやる! エルサは翡翠竜を……」
「【岩弾】!」
俺が指示を出そうとしたら、エルサが岩弾を放ちつつ、白銀の細剣を抜き放ってジェシカに突貫した。ジェシカは当然の様に岩弾を避け、両手に短剣を持ってエルサと対峙する。
「ちょっ、ジェシカは俺が……」
って聞いてねえな、エルサ!? ダメだ、完全に頭に血が上ってる!
「グオオォォォッ!」
そうこうしてる間に、狂獣が雄たけびを上げて突っこんで来た。
「くそっ、アリス! 狂獣を相手してくれ! アスカ、エースと一緒にサポートを!」
「了解なのです!」
「おっけー!」
【鉄壁】で狂獣の体当たりを受け止めつつ叫ぶ。アリスが戦槌を大きく振るって、割って入った。
「【岩弾】!」
狂獣の相手をアリス達に任せ、俺は翡翠竜を牽制する。エルサの背に向かって降下していた翡翠竜は、急反転して上空へと舞い上がった。追撃で岩弾を連発するも、上下左右に飛び回って躱されてしまう。
「【岩槍】!」
「アギャァッ!!」
ならばと、岩弾よりも詠唱時間が長いが、目標への到達速度と威力が高い岩槍を放つ。対して翡翠竜は空中に静止し、何らかのスキルで岩槍を撃ち落とした。
「ちっ、【岩弾】!」
おそらく第一位階風魔法の【風衝】の様に、圧縮した空気の塊を飛ばすスキルだ。岩弾は躱され、岩槍も撃ち落とされるとなると、俺の魔法じゃ手の打ちようがないな……。俺よりも魔法発動が速いエルサならなんとかなったかもしれないが、エルサはジェシカに執着してしまっている。
ジェシカはエルサから距離を取って駆けまわり、回避に専念しているようだ。エルサの放つ魔法を躱し、時には双剣で弾いている。
翡翠竜は上空から下りてくるつもりは無いようで、俺が放つ魔法から逃げ回っている。牽制をやめると【風刃】に似たスキルを放ってくるため、放置するわけにもいかない。
アリスはアスカに回復をしてもらいながら、狂獣と一進一退の戦いを繰り広げている。アリスは戦闘スキルを持たないため、決め手に欠ける状態が続いているようだ。
くそっ、完全に時間稼ぎをされているな……。あと一手、あと一手あれば、状況を変えられるのだが……。
「助太刀する!」
動かない状況に焦っていると、ユーゴーが大剣を振りかざして狂獣の方へと駆けていく。ユールの護衛はリア王達に任せたようだ。
「助かる!」
よしっ、アリスとユーゴーなら狂獣を倒してしまえるだろう。翡翠竜は降りてくる様子が無いので、俺はこのまま牽制し続けるしかないが、これで状況は好転する!
「ヒヒィィーンッ!!」
ユーゴーと入れ替わりで、エースとアスカがこっちに向かってき……って、えぇっ!?
視界の端に映ったのは、アスカを背に乗せ、空に駆け上がっていくエースの姿だった。




