第321話 混乱
意識を失ったユーゴーをそっと寝かせる。雷撃のダメージと火傷で重傷ではあるが、心音と呼吸は弱いながらも安定している。
傷だらけのユーゴーを地面に放置することに罪悪感を覚えるが、いったんこのままにさせてもらう。回復してあげたいところだけど、また襲い掛かられても困るし。
あとで治癒をかけてあげるから、少しの間ガマンしてくれ。俺は自分に【治癒】をかけつつアスカ達の下へと足を向ける。
俺がユーゴーと戦っている間に、アリスとエルサは猫人と獅子人の兵士を片付けていた。猫人の方は両脚がひしゃげてあらぬ方向を向いているし、獅子人の方は全身に浅くは無い斬り傷と火傷を負って蹲っている。ギリギリ生きてはいそうだが、もう戦闘不能だろう。
「……まさか『怒れる女狼』と我が軍の精鋭が、こうも簡単に沈められるとはな」
獅子人族の王、リア・レイヨーナが目を伏せて呟く。
「リア王、世界樹の霧を元に戻せ。風竜がマナ・シルヴィアを襲っているのは事実だ。このままだと大勢の民が死ぬぞ」
「…………」
「拒否すると言うなら貴方には死んでもらう。貴方が死んだ後に、そこの灰狼族の女性……ユールに霧を元に戻してもらえばいいからな」
闇魔法の【隷属】は、術者を殺せば、その効果を解除できる。『隷属の魔道具』は闇魔法【隷属】を道具に【付与】したものなので、所有者を殺せば、その効果を解除することが出来るのだ。
「ふふ。ならば最後の抵抗をするとしようか」
そう言って、リア王は俺の身の丈ほどもある戦斧を構え、自嘲気味な笑みを浮かべる。
その分厚い体躯と身に纏う威圧感からも、リア王は熟達した戦士なのだろう。だが、華美な装飾が施された新品同様の戦斧と豪奢な装いを見るに、実戦からは離れて久しいことがうかがえる。
頼みの精鋭を下され、もう勝機は無いと半ば諦めたのか? まあ、A級冒険者のパーティに囲まれて、生き延びることが出来ると思えるほど愚かではないだろう。
ならば、水を向けてみようか。
「もし、すぐにユールを解放し、霧を元に戻してくれるなら、貴方達を見逃してもいい」
「なんだと?」
突然の俺の提案に、リア王が怪訝な表情を浮かべる。何を言っているのかわからない、と言わんばかりだ。
「だから、霧を元に戻すなら、貴方達を即時解放すると言っているんだ」
「何の……つもりだ? 貴様等はレグラムの手の者なのだろう? 敵軍の将を前にして、捕虜にもせず解放するだと?」
全く理解できないといった顔で戸惑うリア王。
まあ、そりゃそうだろうね。この状況じゃ殺されるか、捕縛されるかのどっちかだ。ユールを解放するつもりがないなら、死ぬしか選択肢は無いもんな。
「俺達はゼノ・レグラムから、貴方を止めろと依頼を受けてここに来た。貴方を殺せとも、捕縛しろとも言われていない。霧を元に戻してくれさえすれば、貴方に用は無いんだ」
というか受けた依頼は、あくまでゼノの護衛だからな。そもそも『魔人族が現れたら、その排除を優先する』という契約だったのだから、既に契約は完了しているとも言える。『リア王を止めろ』という命令すら、本当は従う必要も無いのだ。
「ここで我を仕留めれば、レグラム卿率いる黒狼族が獣人族の覇権を握るだろう。長年にわたる内戦に決着がつくかも知れんぞ?」
俺達がレグラム勢に与したのは、リア王と魔人族との繋がりを疑ったからだ。そして、霧が晴れたままだとマナ・シルヴィアの民の命が失われてしまうと思ったから、世界樹のもとに駆け付けたのだ。
「俺達は獣人同士の縄張り争いに興味は無い。それは民の命よりも優先すべきことなのか?」
それにリア王をここで仕留めた後に、ユールが霧を戻してくれるという確証が無い。リア王の命令で霧を戻してくれるなら、その方が確実だ。
「くっくっく…………」
突然、リア王が頭を抱えて低い声で笑い出す。
「おい、笑ってる場合じゃ…」
「【解呪】」
俺の言葉を遮りリア王が呟くと、ユールの首元が明滅し、ぴたりと張り付いていた首輪が緩んだ。
「ユール・シルヴィア、其方の枷を解いた。世界樹の恵みをあるべき姿に戻し、娘と共にどこへなりとも行くが良い」
純血の灰狼族ユールは、わなわなと手を震わせて、首元に触れる。次第に、その瞳には意思の光が、凍り付いていた表情には温かみが戻ってくる。
「…………っ!! ユーゴー!!」
ユールが隷属の首輪を引きちぎり、俺達には目もくれずユーゴーのもとへと走っていく。
え?
え!?
娘!?
「ふっ……『王を名乗る者』か……。貴様の言う通り、我にその資格は無かったのかもしれんな」
俺の戸惑いを無視して、太く低い声でリア王がそう言った。良い声してるよなリア王。
って、いや、そうじゃなくて。ユーゴーが……ユールの娘?
「この先に、世界樹の根元へと続く洞がある。霧を元に戻すのなら、洞の奥にある『龍の間』へとユールを連れて行け」
「え、あ、ああ。わかった」
リア王の言葉に、慌てて答える。
そうだそうだ。先にそっちを片付けないと。マナ・シルヴィアを包む霧を戻し、魔物がこれ以上侵入してこないようにしなければ。
「我は一足先にマナ・シルヴィアへ戻らせてもらう。せめて、身を守る術を持たぬ民だけでも救ってみせよう」
「……そうか。じゃあ、そこの二人に使ってやってくれ。少しでも戦力が多い方が良いだろう」
俺はポーチに入れてあった回復薬を二本取り出し、リア王に向けて投げ渡す。
さて。俺は、俺のすべきことをしよう。俺は意識の無いユーゴーを抱きしめるユールの元に駆け寄り、【治癒】を発動する。
「ユール・シルヴィアさん、貴方にお願いがあります」
「はい。わかっています、霧を元に戻すのですね」
良かった。ついさっきまで、ユールは意思が全く感じられない目つきで、口の端から涎を垂らしていた。廃人同然だったから心配したが、状況はきちんと把握しているようだ。
「……話が早くて助かります。私は」
「火龍の従者、アルフレッド殿ですね。娘の命の恩人であることも承知しています。この娘は、言葉を発することも、表情を動かすことすら禁じられていた私にも、色々なことを語りかけてくれましたから」
そう言って、ぎこちなく微笑むユール。
「う……うーん……」
ユールに抱きかかえられたユーゴーがゆっくりと目を開ける。
「ユーゴー!」
「アルフレッド……アスカも……、はっ、母上!?」
ユーゴーが、がばっと跳ね起きる。うん、電撃の火傷痕もきれいに消えたし、意識も問題なさそうだ。
「母上……首輪が……」
「ええ、ユーゴー。アルフレッド殿のおかげで、奴隷から解放されたのです」
「ああ……母上……」
ユーゴーのゴールデンイエローの瞳から、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちる。ユールもまた瞳を潤ませ、ユーゴーのアッシュグレーの髪を優しく撫でて微笑んだ。
感動の親子の対面をしているところ、大変申し訳ないのだが……今はそれよりも優先すべき事があるんだ。
「ユールさん、ユーゴー、すまないが」
「アルフレッド」
そこに配下二人を回復させたリア王が割って入ってきた。
「リア・レイヨーナッ!!」
ユーゴーが怒声をあげ、大剣を掴み取る。
状況から察するに、ユーゴーが俺を相手取ってでも引かなかったのは、ユールの身柄をリア王に抑えられていたからなのだろう。隷属の首輪でユールを従えていたのだから、ユーゴーがリア王を憎むのも当然だ。
「ユーゴー! 今は、その男にかまっている場合ではありません! 世界樹の恵みたる瘴霧を戻さなければならないのです!」
「ぐっ……」
ユールの言葉に、ユーゴーは振り上げかけていた大剣を下ろす。大剣の柄を握る拳を怒りに震わせながら、視線で呪い殺そうとでもしているかのようにリア王を睨みつけた。
「……龍の従者アルフレッド、霧を戻した後で構わん。マナ・シルヴィアでの魔物討伐への協力を願いたい」
「貴様っ! どの口がほざいている!」
激憤を露わに、ユーゴーが叫ぶ。
ユーゴーの怒りはもっともだ。この混乱を招き、マナ・シルヴィアを危機に陥れたのは、他ならぬリア王自身なのだ。
「……わかった」
「アルフレッド!?」
だが……今、優先すべきは、霧を元に戻すこと。そして出来るだけ多くの民を救うことだ。あの風竜の群れを討つには、俺達の力も必要だろう。
まずはユールを連れて『龍の間』に向かい、霧を元に戻して魔物が新たに入って来れないようにする。そして、可及的速やかにマナ・シルヴィアに戻り、霧の内側に残った魔物を殲滅する。
マナ・シルヴィアの民を救えるか否かは、時間との勝負だ。
「話は後だ。急ごう」
そう皆を促したところで、不意に世界樹の太い枝の上から、女児のような高い声が聞こえた。
「それは、困るの。貴方達にはもう少しここにいて貰わなくてはならないの」




