第292話 大森林
「アルセニーさん、本当にありがとうございました」
「どういたしまして。こちらこそ助かりました」
「うんうん。楽しみだね! 森と調和して生きる獣人族の里マナ・シルヴィア、そして絢爛の王都クレイトン! ねえ、あんた!」
「そうだねぇ。まさかこの年になって王国の地を踏めるとは考えてもおらんかったよ」
エルサの熟練度稼ぎをいったん終えた俺達は、アルセニーさん達と合流してシルヴィアの転移陣にやって来た。アルセニーさんが転移石を使って連れてきてくれたのだ。
アルセニーさんはアストゥリアから放浪の旅に出て王都クレイトンに辿り着くまでの間に、シルヴィアの転移陣に立ち寄っていたのだそうだ。その当時はマナ・シルヴィアと北の小国家群ではなく、シルヴィア王国だったらしいけど。
なお、アルセニーさん達と呼んでいるのは、マイヤさんとそのパートナーも同行しているからだ。アルセニーさんがクレイトンに戻るのはわかるけど、まさかマイヤさんとパートナーまでついて来るとは思わなかった。
なんでも、アルセニーさんがマイヤさん達をクレイトンに一緒に行かないかと誘ったらしい。マイヤさんのパートナーは王都クレイトンの出だったそうで、せっかくだから里帰りして余生を過ごすことにしたのだそうだ。
ちなみに、マイヤさんのパートナーはわりとお年を召した央人だ。仕事上のパートナーだと思っていたら、なんとマイヤさんの夫だと言うから驚きだ。マイヤさんは20代中盤ぐらいにしか見えないから、親子どころか爺孫ほどに年が離れて見える。
あの選民意識の強いエウレカで生まれ育った神人が、央人と夫婦になるなんてこともあるんだな。ああ、だから神人族以外の種族が住む第三区画に店を構えていたのかな?
「こちらが商人ギルドのギルド長宛て、こちらがアリンガム商会、それとスタントン商会宛てです。それと、これが約束の転移石」
「ご丁寧にありがとうございます。貴重な物まで頂いてしまって……」
「ありがとね、アルフレッド!」
王都に着いたらアルセニーさんは冒険者稼業を再開するそうだが、マイヤさん達は魔道具店を開くつもりらしい。せっかくだから王都の知己への紹介状を書いてあげることにした。ギルド長のシンシアさんや、王都の有力商人であるボビー・スタントン准男爵やアリンガム准男爵家とは繋がりを持って損はないだろう。
特に、アリンガム商会は衣服や織物を扱っているから、装身具を取り扱う【祈り子】のマイヤさんとは相性がいいはず。クレアが王都にいないのが残念だ。
転移石は彼等への餞別だ。アルセニーさんにはかなりお世話になったし、マイヤさんには高品質の装身具をたくさん作ってもらったから、そのお礼も兼ねて報酬として渡すことにした。それに、マイヤさんのパートナーに長旅は堪えるだろうしね。
これでパウラから巻き上げた転移石は残り二つだ。あとはジブラルタ王国に行く際に使うだけだから2個もあれば足りるだろう。ジブラルタ海底迷宮の深層に潜ればいくらでも手に入るとアスカが言っていたから問題は無い。
「では、私達はマナ・シルヴィアに向かいますね」
「ええ、お気をつけて」
「王都に来たらマイヤ魔道具店に立ち寄ってね!」
マナ・シルヴィアに立ち寄るというアルセニーさん達は転移陣から北に、レグラム王国を目指す俺達は南に行くので、ここでお別れだ。俺達は互いに手を振り合って、別の方向へと歩み始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
旧シルヴィア王国の国土の大部分は、木々に覆いつくされている。天を衝くほどの大樹だという世界樹がいずこかにあるという『シルヴィア大森林』だ。転移陣の周囲も見渡す限りに木々が鬱蒼と茂っていて、それが延々と続いていた。
とはいえ、森をかき分けて進んでいるわけではなく、一応は各小国家をつなぐ街道を通っている。馬車がなんとか2台すれ違える程度の道幅しか無いし、行き交う隊商や旅人が踏み均したろくに整備もされていない道ではあるが。
それでも、この広大な大森林を切り崩して街道を通したのだから、先人達の多大な苦労が偲ばれるというものだ。おかげで馬車で移動が出来るのだから、感謝しないとな。
王都クレイトンを出る際に購入した軍馬はエウレカで売却したので、俺達は幌馬車に乗り込んでいる。野営のテント代わりではなく、初めて本来の用途で馬車を使った気がする。
ちなみに、馬車はエースが一頭だけで引いてくれている。本来なら二頭立ての馬車なのだがエースは楽々引いてしまう。
黙っていてもすれ違う馬車を勝手に避けてくれるし、なるべく揺れないように道を選んでくれるから、手綱を握る必要すら無い。御者台にアリスかエルサが座っていれば、常にご機嫌で馬車を引いてくれる。
そう。アリスかエルサが座っていれば、だ。
エルサを紹介するとエースは嬉しそうに顔を嘗め回し、股座に顔を突っ込んで匂いを嗅ぎ、大興奮していた。アリスに続いてエルサも大変に気に入ったようだ。アスカは『高齢処……』などと呟いていたが……うん、俺はコメントを控えよう。
「ここから一番近いのは鳥人族の部落のようなのです」
「鳥人族か……初めて目にするな」
「私も」
獣人族と一口に言っても様々な種族がいる。狼人族、犬人族、猫人族、獅子人族、虎人族、牛人族……と枚挙にいとまがないほどだ。
生殖の関係から種族ごとに部落を作っていて、交雑が可能な種族同士が寄り集まって国を名乗っているのだそうだ。これから向かうレグラム王国は狼人族が治める国家で、犬人、狼人、央人が人口の大半を占めるらしい。
ちなみに、どの国家も人口の2,3割は央人が占めている。理由は単純で、獣人と央人の間では生殖が可能だからだ。逆に神人や土人とは生殖が不可能なため、ほとんどいないそうだ。
なぜ央人だけが生殖可能なのかはわかっていない。ただ歴史がそれを証明しているだけだ。生殖可能とは言っても亜種同士よりは、妊娠確率は低いそうだけどね。
当然だが、獣人族の前で生殖とか交雑とか亜種なんて言葉は使うべきではない。同じ央人同士だって、住む地域によって肌の色や顔貌、背丈体格などは多少異なる。それを亜種とか、交雑などと表現したら、冷ややかな目を向けられるだろう? それと同じだ。
「とりあえず予定通り冒険者ギルドか傭兵ギルドがありそうな規模の部落には立ち寄って、それ以外は通り過ぎるって方針で良いか?」
「…………」
「アスカ?」
「……えっ、あ、そうだね」
うーーん……。なんだか最近、アスカが気もそぞろに考えごとをしていることが多い気がする。様子は普段とそう変わらないし、話し合いの時は積極的に意見もするんだけど……。
アスカって一人で考えこむ癖があるんだよな。この世界に来たばかりの時もそうだったし、王都クレイトンにいた時もそうだった。
何か思い悩むようなことがあるなら、聞いてあげたいんだけど……。こういう時って何を言っても『なんでもない』か『大丈夫』しか返って来ないんだよな。
ま、それでも聞かないよりマシか。二人きりになった時にでも聞いてみよう。
「霧が深くなってきたのです」
「部落が近いってことなのよね?」
「ああ、そうらしいな。木柱か石碑で道標があるそうだから、気を付けてくれ」
この大森林には常にうっすらと霧がかかっている。これは世界樹の根から漏れ出した魔素が空気中の水と結びついて出来るそうで、人里に近くなると霧が濃くなっていくらしい。
この濃霧は人族には視界が悪くなる以外に何の影響も無いが、体内に魔石を持つ生き物、つまり魔物の方向感覚を狂わせる効果があるらしい。獣人族はそういった霧が深い場所に部落を設けて、魔物による被害を避けている。
この霧があるから魔物が蔓延る大森林の中で人族が暮らしていける。世界樹が神龍や守護龍と同様に信仰の対象となるのも当然だな。
そうこうするうちに、段々と霧が濃くなってきた。鳥人族の部落は近い。




