第265話 神人族区画
「ね、ね、アル? コレとコレ、どっちがいいと思う?」
アスカが2枚のワンピースを持って問いかけてきた。片方は前開きのシャツの丈を長くしたような細身のもの。もう一つはゆったりとした輪郭のもので、サイドに深いスリットが入っている。
「うーん……」
女性の『どっちがいいと思う?』には、安易に答えてはならない。
この問いかけには、『客観的な意見を求めている場合』と、『相手に決めて欲しいと思っている場合』、そして『実は欲しい方は決まっていて共感を求めている場合』の3つのパターンがあるのだ。王都クレイトンにいた時に、真剣な顔をしたボビーにそう教わった。
これは選択を誤ると機嫌と信頼を損ねてしまうという、厳しい試練なのだ。俺の全力を以て取り組まねばなるまい。
さて、まず一つ目の、『客観的な意見を俺に求めている場合』。
この場合、俺に聞くという事は『冒険者の旅装として実用的かどうか』を問うているということになるだろう。今回、アスカが選んだものは両方とも麻製で、丈夫な作りのワンピースだ。俺に聞かずとも、旅での使用に耐える物を選択している。ということは、冒険者としての客観的な意見を求めているというのは除外してもいいのではないだろうか。
続いて2番目の、『俺に決めて欲しいと思っている場合』。
これはボビーによると『貴方の好みに合わせたいの』という意味だそうだから……有り得ない。あのアスカが俺の好みに合わせる? そんな殊勝な考え方をするわけがないだろう!?
そして3番目。『欲しい方は既に決まっていて共感を求めている場合』だ。
アスカが欲しいと思っている方はどちらか。これは予想がつく。アスカはオークヴィルでジェイニーが贈ってくれた、少し大きめなローブを好んで羽織っている。だぼっとした服が好きだとも言っていたはず。となると、アスカの欲しいと思いそうなのは、ゆったりとした方のはずだ。
そう。正解は、3番目の『欲しい方は決まっていて共感して欲しい場合』、スリットの入ったゆったりワンピースだ!
ここまでをほんの数秒で高速思考し、俺は回答する。
「そっちの細身のシャツっぽい方がいいな」
「えーそう? こっちの方がよくない?」
俺の回答にアスカはやや不満そうだ。やはり正解は、ゆったりした輪郭のワンピースだったか。だが……それはダメだ。
「そっちの深いスリットが入ったワンピースは、着て欲しくない。アスカの脚が、他の男に見られてしまうじゃないか!」
そのワンピースには、スリットが股あたりまで深く入っているのだ。そんなのを着て出歩いたら、世の下賤な男共の目を集めてしまうに違いない。
生きとし生ける男共は皆、野獣なのだ。魔物を前にして【挑発】を放つようなものじゃないか。そんな危険な真似をするなんて、アスカの騎士として断固許容できない。
「えっと……パンツと合わせるつもりなんだけど……旅装だし……」
え?
ああ、上にワンピースを着て、下にパンツを履くのか。
……うん、ならば良し!
「じゃあ、そっちのスリットがある方が似合うんじゃないか?」
「でしょー? じゃあ、こっちにしよっかな!」
そう言いつつ、アスカがニヤニヤと笑う。
「なんだよ?」
「えー? アル君は、あたしの脚が見られるの、そんなにヤなんだー? ぷふふー、独占欲ってヤツかなー?」
「はぁ? 何言ってんだよ……」
「照れるな、照れるな」
アスカが俺の肩をポンポンと叩く。
「当たり前じゃないか。他の男には見せたくない。アスカの脚を見ていいのは俺だけだ」
「おふっ……そ……そう、だね。うん、ぁ、ぁたしも、アル、にしか、見せなぃょ……」
顔を赤くしたアスカが小声で呟く。うん、そうしてくれ。
「……ねぇ、アリス。あなた、いつもこんなの見せられてるの?」
「……はい。今日は、まだ控えめな方なのです」
「あなたも大変ね……」
買い物に付き合ってくれているエルサとアリスが、背後で何か呟いている。
すまんな、二人とも。だけど、これははっきり言っておかなければならないんだ。あんな破廉恥なスリット入りワンピースなんて、パンツと合わせない限りアスカに着せるわけにはいかないのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「次はどこに行きたい?」
今日はエルサに第一区画と第二区画を案内してもらっている。聞いていた通り神人族しか出歩いていなかったが、他種族の俺達が歩いても文句を言われることはなかった。たぶんエルサが一緒にいたからだろう。
第一区画と第二区画は、神人族以外の種族が住む第三区画とはまるで雰囲気が違った。緑が多く、建物がおしなべて豪奢なのだ。
碁盤目状に区画整理されているのは同じなのだが、随所に緑地が設けられ噴水が据えられている。街路は広く、建物の間も十分な余裕がある。人口は他種族の合計よりもはるかに少ないそうだが、エウレカの半分以上の土地を神人族だけで占有しているだけあって街並みが広々としていた。
「あ、エルサ! 魔道具屋に行きたい!」
「いいわよ。じゃあ第一区画に行きましょう。トレス家の御用達の店を紹介するわ」
そう言ってエルサが連れて行ってくれた魔道具店は、予想通り壮麗華美な店構えだった。柱という柱に緻密な彫刻が施され、ステンドグラスから差し込む光が神秘的な空間を演出している。これが聖ルクス教の聖堂などではなく、ただの店舗だと言うのだから驚きだ。
「いらっしゃいませ、エルサ・アストゥリア様」
店に入ると黒い礼服に身を包んだ神人族の男性が、優雅な礼でエルサを出迎えた。
「セントルイスから来た友人を連れてきたの。案内してもらえるかしら?」
「……かしこまりました。どうぞこちらへ」
執事風の店員は値踏みするような目線を俺達に向けた後に、慇懃な仕草でソファが置かれたブースに案内した。
「どういった商品をお探しでしょうか?」
「身体能力を向上させる護身用の装身具を見せてくれ。俺たちは見ての通り冒険者なんだが、お勧めの商品があったら提案して欲しい」
「……いくつかご用意してまいります」
店員が軽く一礼をして立ち去っていく。その所作は丁寧ではあるのだが、表情に笑顔は無い。エルサに言われたから仕方なく対応しているという感情がありありと透けて見えた。
「……ごめんなさい。不快な思いをさせてしまって」
「気にすることないさ。ここも、普段は神人族以外が利用できる店じゃないんだろう?」
「ええ。ここは神人族しか立ち入りを許されていない区画だから……」
「仕方がないさ。央人の貴族や豪商だって、いけ好かない奴はたくさんいる。支配階層というのは、往々にして傲慢なものさ」
「私も……この都を出て世界を知るまでは、神人族のことを他種族と一線を画する高貴な種族だと信じて疑わなかった、傲慢な女だったわ。恥ずかしい話ね……」
エルサはそう言ってため息をつく。
今日は、この魔道具店と仕立て屋だけでなく、生活用品や食品を取り扱う商店なども回ったのだが、その全ての店で慇懃無礼な対応をされた。中には俺達とは一切言葉を交わさず、エルサだけとしか話をしない店員なんかもいた。エルサがいてコレなのだから、もしいなかったら早々に叩きだされていたのではないだろうか。
「んー、何日もエルサのご厄介になるのもアレだしさ、キャロルさんと会う日までは第三区画で過ごそうよ」
「そうした方がいいかもな」
アスカの提案に、アリスも同意すると言うようにうなずいた。




