第226話 続・作戦前夜
「お風呂のお湯、捨ててくるね。エース、行こ?」
風呂から上がったアスカが、エースを連れてテントから離れていく。
「ア、アリスが、怒らせてしまった、のです?」
草原に向かって歩いていくアスカの後ろ姿を見て、アリスが今にも泣き出しそうな顔で言った。風呂でお喋りしていたら、急に相手が黙り込んでしまったんだ。そりゃ、気になるよな。
「……いや、見張りをしてたから話は聞こえてたけど、アリスはアスカを怒らせるようなことは言ってなかったよ」
「それなら、なんで、なのです……?」
「ん……なんでだろうな。ちょっと、聞いてくるよ。アリスは湯冷めしないように、先に休んでてくれ。寝床は用意してくれたみたいだし」
テントの中には既に、収納された猫脚のバスタブのかわりにベッドが2台並んでいた。さっきまで浴室として使っていたのでテント内は蒸し蒸しとしているが、この高原は空気が乾燥しているので、すぐに乾いて丁度良くなるだろう。
「……でも」
「明日は早い。ガリシアを守るために戦うんだろ? 早く休んだ方が良い。アスカのことは俺にまかせて。すぐに戻るよ」
「…………わかったのです」
アリスは離れていくアスカを心配そうな顔で見つめていたが、俺にぺこりと頭を下げるとテントの中に入っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「アスカ?」
アスカは難民キャンプから少し離れたところで夜空を見上げていた。
月明かりに照らされ、草原に佇むアスカと一角獣、そして猫脚のバスタブ。栓の抜かれたバスタブからはチョロチョロとお湯が流れ出ていた。
美しい……けど同時に奇妙な風景だな。幻獣と美少女とバスタブ。前衛的な絵画のタイトルとかにありそうだ。
「アル……」
ゆっくりと俺に顔を向けるアスカ。
「ごめんね。来てくれてありがと。待ってた」
アスカは何か悩み事があったり、心底怒っていたりすると口数が少くなる。この世界に転移して来たばかりの時もそうだったし、王都でアリンガム邸から楡の木亭に居を移した時もそうだった。この様子だと、悩んでるわけでも怒ってるわけでもなさそうだ。
「ん。アリスが心配してたぞ?」
「だよね。でも……考えを整理したかったのと、先にアルに相談したくて」
「どうしたんだ?」
そう聞くと、アスカは眉をひそめて、深くため息をついた。
「アリスがスキルを使えない理由、わかったかもしれない」
「ほんとか!?」
アリスはガリシア氏族の悲願を叶えるため、スキルを切望していた。もし封印が解けるとしたら、アリスはどれだけ歓喜することだろう。
あ、いや、だとしたら、なんでアリスに言う前に俺に話すんだ? 不自然に二人きりになってまで。
「アリスの『封印』はさ、何かの装備のせいじゃないかなって思ってたんだ」
「装備?」
「うん。アリスに上級万能薬を飲んでもらったじゃない? アレで解けない状態異常は無いはずなの。なのにアリスの封印は解けなかった。だとしたら、呪われた装備を身に着けてたからなんじゃないかって」
呪われた装備。一たび身に着けると【解呪】しない限り取り外すことが出来なくなる、闇魔法が付与された武具。『隷属の魔道具』なんかも、その一つだ。
呪われた装備は身に着けている限り、その効果を発揮し続ける。そのため例え呪いを解くことが出来る上級万能薬を飲んだとしても、薬で呪いが解けた瞬間に再び呪いにかかってしまう、ということか。
「でもね、アリスはそんなの身に着けてなかった。一緒にお風呂に入ったけど、変なアクセサリとかも付けてなかったし」
「そうなのか。じゃあ何が原因なんだ?」
「アルもギルドで見たでしょ? アリスの右腕の、魔法陣のトライバルタトゥー。あれが原因だと思うんだ」
「あの魔法陣が? だけど、あれはガリシア氏族が地龍ラピスから授かった魔法陣だって言ってたよな? その魔法陣がアリスのスキルを封印するって……そんなことありえるのか?」
そう聞くと、アスカはゆっくりと首を左右に振った。
「わかんない。でもね、あの紋様に気になるところがあって……。あのさ、生活魔法のスクロール、あるじゃん? 照明とか静水とか覚えられるやつ」
「ああ」
「あれに書いてある文字、あたし読めるじゃん?」
「そうだったな。古代エルフ文字がわかるんだよな」
「元の世界の共通言語だったからね。でね、アリスの魔法陣のタトゥーにも同じ文字が書かれてたの。だいたいはね、material、shape、fusion、みたいな鍛冶職に関係してそうな単語だったのね」
「う、うん。それで?」
よくわからない言葉が出て来たけど、本筋じゃなさそうなので先を促す。
「魔法陣って円と六芒星で描かれてるでしょ? そこに記号とか英単語が書き込まれてるの。そのど真ん中の重要そうな場所にね、鍛冶に関係ないし、明らかにおかしい英単語……古代エルフ文字が書かれてたの」
「……なんて?」
「書かれてたのは "sealed" って英単語。封印って意味の古代エルフ文字」
「スィール…………封印!? ってことはアリスのスキルを封じているのは、あの魔法陣!?」
「たぶん?」
「たぶん? だって魔法陣に封印って書かれてたんだろ!? だったらそれがスキルを封印してるってことだろ!? ア、アリスに伝えよう! あのタトゥーを消せば【鍛冶師】のスキルが使えるようになるかもって!」
「ちょっ、ちょっと落ち着いて。まだそうだと決まったわけじゃないの! アリスはイレーネも同じタトゥーをしてるって言ってた! それなら、あの魔法陣のせいじゃないかもしれない!」
興奮した俺を、アスカが慌てて制止する。
……そうだ。そう言えばアリスはイレーネも同じ場所に『地龍の紋』を彫ってるって言ってた。
「それにね、もしイレーネのタトゥーには "sealed" の文字が無くて、魔法陣がアリスのスキルを封印してたとしたらだよ? アリスのタトゥー……封印の魔法陣は誰が彫ったの?」
ガリシア氏族に代々伝わる『地龍の紋』。鍛冶職の加護が授かりやすくなるという、地龍ラピスに授けられた祝福の紋様。おそらくアリスは、成人の儀を迎える前に彫ったのだろう。そうなると導かれるのは……
「…………っ!」
「アルもそう思うよね……。アレを彫ったのは、ガリシア氏族の誰かなんじゃないかって」
「鍛冶職に就いた者だけが、ガリシアの後継者になれる。アリスがそのレースから脱落することで一番得するのは……」
「……イレーネってことになるよね」
嘘だろ? あんなに仲が良さそうだったのに。アリスのことを心から心配しているように見えたのに。アリスも可愛がっているみたいだったのに。
「まだ、わからないよ? イレーネ以外の誰かかも知れないし、ガリシアの人達は全く関係ないかもしれない。魔人族が関係しているかもしれない。あたし達の見当違いな妄想かもしれない」
「そう……だな」
『地龍の紋』のせいでスキルが使えないって決まったわけじゃない。もしそうだとしても、誰の意図で彫られたのかもわからない。ガリシア氏族の誰かなのかもしれないし、俺達の知らない第三者の思惑なのかもしれない。未だ、影も形もない魔人族の仕業なのかもしれない。そもそも魔法陣は関係ないのかもしれない。
「今は、アリスには話せないな」
「うん、そうだよね。明日は、レリダに乗り込んで、もしかしたら魔人族と闘う事になるのかもしれないんだから」
戦いを前に余計なことを話して混乱させるべきじゃない。全ては、レリダ奪還が済んでからだな。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あ、アスカさん!?」
「ん、なんだー起きちゃったかぁ。んふふー。一緒に寝よーアリス。んーすべすべぇ。やらかーい」
「ちょっ、アスカさん、ダメッなのです、ぁん!」
アスカは、テントに入るなりベッドにもぐりこみ、アリスに抱き着いた。
「じゃー、おやすみー」
「えっ、アルさんもいるのです!? やっ、ちょっやめっ、ぅんっ」
ああ、そっか。アリスはランメル鉱山でも【照明】の生活魔法を使ってたもんな。真っ暗なテントの中じゃ、俺が見えなかったのか。俺ははっきり見えてるけど。
「明日は夜明けから動くからな―。いつまでもイチャイチャしてないで早く寝ろよー」
「えー? なにー? アル、羨ましいの? アルも混ざる?」
「えっ、いいのか?」
「ダメなのです!!」
アスカの取った態度を気にしてたって伝えたから、アリスに必要以上に絡んでるんだろうけど、なんかこう……女性同士の絡みって、背徳的な雰囲気があるな。
うん、絵面は悪くない。良いぞアスカ。もっとやれ。




