第109話 侯爵
「さて、侯爵サマのところに行くか」
「はい! アル兄さま!」
「むー。行ってらっしゃい」
頬を膨らませて不満そうな顔で俺を睨むアスカ。
「そうむくれるなよ、アスカ。なるべく早く帰って来るから」
「いいなぁ。貴族のご飯とか……美味しいもの食べれるんだろうなぁ」
「貴族の食事なんて、堅苦しくて良いものじゃ無いさ。それに食事を楽しみに行くんじゃなくて、奴隷商やユーゴーの事を話しに行くんだから……」
「ふんだ、いいもん。あたしはユーゴーと美味しいもの食べ歩きするから。ねー、ユーゴー」
「あ、ああ……」
「悪いな、ユーゴー。アスカの護衛、頼んだよ。ジオドリックさんも、よろしくお願いします」
「承りました」
侯爵に招待されたのはマルコ隊長にサラディン団長、そしてクレアと俺だ。アスカやユーゴー、ジオドリックさんは留守番だ。
こればっかりはしょうがない。侯爵なんて高位の貴族に、一般の平民が会うことなんてそうは無いだろう。
マルコさんは隊商の長として、サラディンさんは傭兵団長としての立場があるから面会を許されている。本来なら俺だって一平民なのだから会う事なんて出来ないのだけど……
「とってもお似合いですわ、アル兄さま」
「ああ……でも窮屈だな。どうしても、こんなの着なきゃいけなかったのか?」
俺はクレアに高級そうな礼服を押し付けられ、無理矢理着替えさせられていた。首元に飾り布の付いたシャツと紺色のディナージャケットだ。当然ながら素材は絹。
ちなみにクレアは薄いピンク色のドレスの上から黒のボレロを羽織り、首元や腕に主張しすぎない上品な装身具をつけている。
「もちろんです! アル兄さまはウェイクリング家の名代として侯爵に会うのですから! いつもの冒険者としての装いも素敵ですが、侯爵に会うには相応しくありませんわ」
「はぁ……名代か。ウェイクリング家はとっくの昔に出ているってのに……」
「あら。アイザックおじ様はウェイクリング家に戻られることをお許しになったではありませんか」
「そうは言ってたけどさ」
都合の良い時だけウェイクリング家の名前を利用しているみたいで、なんだか父に申し訳ない。家に戻ることは出来ないって宣言したって言うのに。
「致し方ありませんわ。奴隷商とユーゴーさんの身柄を預かるためには、アル兄さまのウェイクリング家の嫡男としての立場が無ければ交渉にもなりません」
「それは、そうかもしれないけど……」
侯爵相手に交渉をすると言うなら、辺境の田舎貴族ではあるけれど武勲で鳴らしたウェイクリング伯爵という、同格の人間がいないと話にならない。マルコ隊長やクレアがそう言うので、しょうがなくウェイクリング家の嫡男として侯爵と会うことにしたのだ。
「ユーゴーさんを自由の身にしてさし上げたいのでしょう? でしたらウェイクリング家の嫡男として胸を張って侯爵に相対しないといけませんわ」
「……ああ。そうだな。ありがとう、クレア」
礼を言うとクレアはわずかに頬を染め、にこりと笑った。
「ふふっ。では、参りましょう!」
「ちょっ、クレアちゃん!」
クレアが俺の腕を取り密着して来た。二の腕に柔らかいものが押し付けられ、甘い香りがふわっと漂う。む……クレアって見た目よりも……。
「お、おい、クレア。そんなにくっつくなよ」
「ぬぬぅー! は・な・れ・な・さ・い!!」
「あ、アスカ様! 落ち着いてください! あれはエスコートですから!!」
顔を真っ赤にして詰め寄ろうとするアスカを、ジオドリックさんが必死で抑えようとして引きずられている。うん、やっぱりアスカに加護の補正は通用しないようだ……。
「さっ、参りましょう。アル兄さま」
「あ、ああ」
……なんだか騒がしくなってしまったけど、これから侯爵と対面だ。気分を入れ替えないとな。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ヴァリアハートの整然と石畳が敷かれた大通りを、侯爵が迎えに寄越した箱馬車が進む。重量のある四頭曳きの箱馬車は驚くほど揺れが少なかった。
馬車の内装も豪奢の一言で、厚手の毛織物が敷かれた柔らかな座面はとても座り心地がいい。これに慣れてしまったら乗合馬車や荷馬車なんかには乗れなくなるな。
侯爵の敷地に入ると、真正面にもはや城と言っても過言でないほどの壮麗な館が鎮座していた。空を突き刺すかのような鋭い尖塔がいくつも並び、まるで天に至ろうとするような印象を受ける。
美しく管理されたバラ園や芝生の庭園を通り過ぎ、馬車は館の前に停車した。クレアに手を貸して馬車を降り、出迎えた案内に従い館の中に入る。
館の内部もまた圧巻だった。天井が驚くほど高く、細かな彫刻が刻まれた無数の柱が天井まで伸びて交差している。壁にはステンドグラスの大きな窓が張られ、昼間に来たらさらに荘厳な印象を受けたことだろう。分厚い壁で作られた箱をただ積み重ねたかのような、ウェイクリング家の武骨な館とはまるで違う。
ロビーの正面には赤い絨毯が敷かれた階段があり、その前でマルコ隊長とサラディン団長が俺たちを待っていた。二人ともやや緊張した面持ちだ。
「お待たせしました」
「やあ、アルフレッド殿。いやあ……素晴らしい館だね。まさしく絢爛豪華! 王城以外でここまで立派な建物を見たことが無いよ」
「それを荒野のど真ん中に建てちまうんだからな。エクルストン侯爵家の財力が窺えるぜ」
おっと。二人ともちょっと雰囲気に飲まれちゃってない?
まあ、ここまで豪華な館を見せられたら、飲まれてしまうのも無理はないかな……。俺は質実剛健を体現したかのような実家の館の方が好きだけど。
「侯爵閣下がお待ちです。どうぞこちらへ」
俺たちは執事に促され階段を上り、謁見の間に通された。レッドカーペットの両脇には揃いの全身鎧を身に着けた騎士たちがズラリとならび、その最奥にはこれまた豪華な椅子に腰かけた神経質そうな男が腰かけていた。アーヴィン・エクルストン侯爵その人だろう。
あ、ずいぶん緊張しているな……。マルコ隊長は動きがギクシャクして、両手両足を一緒に動かしてしまいそうだ。サラディン団長も見るからに顔が強張っている。さすがにクレアは場慣れしているようで平然としているけど……。
やはり、リムロックから既に情報が届いていたみたいだ。強い緊張感をあたえて交渉を有利に進めようとする意図をありありと感じる。
なぜだか俺は全くと言っていいほど圧迫感を感じていない。クレアと違って成人直後に家を出ているので他家の貴族と会う機会なんてほとんど経験していないのだけど……。
たぶん、森番になって社会の最底辺の扱いを受けたことで他人の評価とか立場とかがどうでもよくなっていたせいだろう。アスカに出会って神龍の思し召しとか加護とかの価値観を引っくり返されたことも多分に影響しているだろうな。
謁見の間の中央に進み出ると、侯爵がすっと立ち上がった。マルコ隊長とサラディンさんは、即座に片膝をついて跪く。
だが俺とクレアは跪かない。クレアはスカートのすそをそっと掴み、ひざを曲げてお辞儀をする。俺は、敢えて侯爵から目線を外さずに、胸に手の平を当てて会釈程度に頭を下げた。
「ぶ、無礼な!!」
俺とクレアが行ったのは対等な貴族に向けた挨拶の所作だ。それを見た騎士や文官が怒りをあらわにし、口々に俺たちを非難した。
貴族の身分を持つ者が跪くことを求められるのは王家と神龍にだけだ。だが、叙爵されてもいない貴族の子息が、爵位を持つ者に謁える時には跪くのが基本。騎士や文官達は俺たちも跪くのが当然と思っているのだろう。
だけどクレアはアリンガム家の、俺はウェイクリング家の名代としてこの場に立っている。それならば、跪かなくとも非難される謂れはない。
目を合わせたままお辞儀をするというのは、さすがに失礼過ぎる態度だけどな。来客である俺たちを圧迫するかのように騎士を並べ、高いところから見下ろしている侯爵に対するちょっとした意趣返しだ。甘んじて受け入れてくれ。
「お久しぶりですわ、侯爵閣下。バイロン・アリンガムが娘、クレア・アリンガムでございます。そして、こちらがアイザック・ウェイクリング伯爵閣下のご子息、アルフレッド・ウェイクリング様ですわ」
クレアは騎士や文官たちの非難を真っ向から無視して、挨拶をした。さすがに海千山千の商人達との折衝を日々こなしているだけはある。俺も続こうじゃないか。
「お初にお目にかかります、閣下。アルフレッド・ウェイクリングと申します。以後、よしなに」
侯爵閣下に、伯爵閣下か。国内での発言力や影響力は同程度ではあるけれど、家格に劣るウェイクリング家当主を侯爵と同じ敬称で呼ぶとはね。クレアもなかなかに煽るのが上手い。
「ふん……。アーヴィン・エクルストンだ。貴公がアルフレッド殿か。たった一人でカスケード山の盗賊共を討伐してみせたそうだな。よくぞ我が領地の安寧に尽くしてくれた。大儀であった」
我が領地……ね。
「いえ、あの程度の盗賊など物の数にも入りません。セントルイス王国の安定に貢献することは貴族の義務でしょう。当然のことをしたまでです」
おっ、侯爵のこめかみがピクピクしてるぞ? うん。今のところは上手く牽制することが出来てるかな。
それにしても、この雰囲気で会食か……。あー貴族ってめんどくさい!
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