キルベト・クムランなどに駐在するためにベドウィンの生活を学ぼうか
さて、大洪水後に避難する場所としてキルベト・クムランなどの最低限飲水と洞窟・洞穴などの居住地、あとは小麦や芋が栽培できそうな農地が確保できそうな場所についてはめどが付いいた。
しかし、現状でそのあたりに人が住んでいないのは、打製石器の材料になる黒曜石などが手に入りづらいからというのも一応あるが、もっと大きな要因となるのはオークやナッツなどの木がなく、ヨルダン川のように大型の魚が入手できないという問題があるからだと思う。
日本の縄文時代でも西日本は東日本に比べて人口が非常に少なかったのは、東西で植物の植生が違い、西日本ではどんぐりや栃の実などが手に入りづらかったからだと思う。
もっともも直接的な理由としては『阿蘇-4』『姶良』『鬼界』と続く、数万年毎の破局的噴火が大きく、特に鬼界カルデラの噴火は九州の縄文文化を消滅させたようだが。
無論関東でも富士や箱根、浅間山などの噴火はあったが、縄文を直撃したのは末期の刷毛のが芦ノ湖を作り出した巨大噴火位で、関東から人間を一層したとかではない。
それはともかくカシ類やシイ類などのどんぐりが実る照葉樹の森の発展に適した、温暖で湿潤な気候条件というのは狩猟採集時代は非常に生活と密着していて、さらにピスタチオやくるみのようなナッツ、といった自然の恵が乏しい場所は人間が楽に生活していくのは厳しい環境なんだよな。
またヨルダン川には2メートル近くにもなるでかい魚もうようよいるが、ワジであるクムラン川などにはそこまででかい魚はいないと思う。
これまた日本の縄文時代の話しになるが、縄文時代の古東京湾は堆積平野が多く、アサリやハマグリなどの貝類がたくさん撮れたが、西日本はそういった堆積平野は関東ほどには多くなかったように思う。
日本全国には約3946ヶ所以上の貝塚があるが、そのうちの約25%は関東にあり、さらにその約739ヶ所が現在の千葉県で発見されていたりする。
無論、広島が牡蠣の名産地であるように、岩場にも美味しく食べられる貝はたくさんいるし、貝塚自体は全国で存在するが。
まあ海岸線なんてのは500年もあれば大きく変わるので、本当のところはよくわからないんだけどな。
当時は貝塚があったがその後海に沈んだり、逆に砂に完全に埋もれて発見されないままのものも多いだろうし
こういったふうに先史の新土器石器時代のような採取が食料の確保に大きく関わってくる時代はオークベルトのない地域は住みやすい場所とは言えないんだよな。
しかし、エリコが水に沈みしばらくは使えない状態になってしまったら、エリコ同様のヨルダン川のオアシスがあるオークベルト地帯は壊滅するだろうと俺は思う。
なので、オークの樹の実などの採取に頼らないでも生活していけるように考えないとな。
で、俺が参考にしたいと思ったのがこの地域における砂漠や荒れ地の半遊牧民族であるベドウィンだ。
ベドウィンというのは、アラビア語の バダウィー、荒野や砂漠の住人を指す一般名詞で、日本では羊飼いとも訳されていたりするな。
本来的にバダウィーとはバーディヤという町ではない所に住む人々という意味を持ち、ハダリー、町に住む人々と呼ばれる定住民と対応している。
死海文書を発見したのがベドウィンの少年であることは日本でも知られていたはずだ。
ベドウィンはラクダ・羊・山羊の放牧や、隼などを用いた狩猟をおこない、生計を立ててきた。
21世紀だとそういった生活をしている人は少なくなっていたようだけどな。
もともとアラビア半島などにおいて、農耕地帯に余剰人口が生ずるにいたり、都市に住まう農耕民の中で進取の気性ある者や追い出されたものなどが耕作不能な土地に家畜を連れて北上したのが、ベドウィンの始まりらしい。
べドウィンはラクダの皮やヤギの毛で織られた布のテントに住み、3~4人の成人(結婚した夫婦と兄弟、もしくは親)とその子供で生活し、水と植物資源を追って一年を通して移住したりするらしい。
ラクダなどの皮は冬や夜の防寒のための衣服や靴になり、毛はラグとして用いられているようだ。
ちなみに家の中にトイレはなく、家の外ならどこででもするものらしい。
まあ沙漠や荒れ地といっても土地の隆起があるので、身は隠れるので誰かに見られたりはしないらしいが、少人数で住み、定住せず、乾いた地域だからできることだな。
キルベト・クムランでも人数が少ない間はそのあたりの問題はあんまり出てこないと思うが。
ベドウィンの食べ物は、放牧している山羊や羊・ラクダなどの乳製品であるチーズや飲むヨーグルト、馬乳酒などと、山羊や羊などの肉、オアシスで取れるナツメヤシやいちじくなどの果実が中心で、その他としては小麦粉を使ったアラビックパンという発酵させないパンなども食べるらしい。
ラクダの肉は結婚式などの特別な日に振る舞われるが普段は食べないようで、ラクダの主な役割は人や荷物を載せて移動することのようだ。
草原の遊牧民にとっての馬とおなじ様な役割だな。
ベドウィンにとって大事な植物はナツメヤシと日陰を作り出すためのケジリの木で、これらはテントの骨組みをえるための木材として必要不可欠なものらしい。
そういった生活であることも考えた上で、そんなに大人数でなければ農耕や採取に頼らない生活も可能なのだろう。
ま、エリコが住めなくなったときに備えてではあるが、大洪水後に先住権を主張するためにもある程度の人数はキルベト・クムランなどに住まわせておいたほうがいいとは思うんだよな。
とはいえヨルダン川流域のエリコ以外のオアシス、現在のアンマンにあるアイン・ガザルやスコテ・ヤベシ、イスラエルのベテ・シャンに住む者たちやガラリヤ湖の周辺に住むものが船に乗って生き延びてきたらそういった者たちも受け入れることも考えるべきだと思うけど。
いやこれらの集落は少なくとも旧約聖書の時代にはあったらしいが、この時代に成立していたのかはわからないんだけどな。




