祭りも無事開催できたよ
そして、祭りの本番になった。
各々の家で作り上げて所持している葦船に収穫した小麦などの穀物や乾パンのように固く焼いたパン、狩ったガゼルの干し肉や干したいちじくなどの、保存が効く食べ物を入れたツボを乗せ、親族の集まり十数名で担ぎ上げてエリコの塔まで運んでいる。
「そーれそれ」
「そーれそれ」
大人の中に子どもが混ざるのは難しいので、子どもは子どもで小さめの船を作り、それに思い思いに食べ物を乗せて皆で担ぎ上げてはいる。
「よいしょよいしょ」
「うんしょうんしょ」
大人も子どももなんだかんだで楽しそうだ。
こうしていざエリコの壁を超えて水が街の中に入ってきても、洪水が起こる直前の祭りで船と保存できる食料を用意しておけばキムベト・クムランなどに逃げ出すことができるやつはいるだろう。
無論未来のエリコの住人全員が逃げ出せるかどうかは怪しいとも思うし、100年後のエリコの住人の数によっては争いの種になる可能性もあるけどな。
ユダヤ教の「過越の祭り」における、除酵祭(種なしパンの祭)はもともと、このあたりの農民の農業祭であったらしいので、もともとはこんな感じで収穫した集落の食べ物を皆で集まって分けるものだったんじゃないかな。
みんなで食べ物を乗せた葦船を塔に運び込んだら、あとはご馳走を用意して盛大に祝う。
すでに先に収穫されている大麦を使ったビールやワイン、ナツメヤシのヤシ酒などが振る舞われ、大麦をくわえて発酵させたパンや、発酵させていないチャパティのようなパンをみんなで食べる。
こうやってお腹が一杯になればみんな笑顔でいられる。
神への捧げ物とされた山羊や羊を解体したものの肉をパンに挟んで食べたりするのは牡の山羊や羊が増えすぎても困るからだな。
もともとこの時代はまだエリコのように集団が定住して農業を行ってる場所は少ないが、まだまだ食料獲得のメインは採取と狩猟で小麦や大麦などの栽培のような農耕は、いわば多少なりとも食料の確保を補助する副業のような存在だ。
まあ、エリコはヨルダン川の水産資源である川魚や水鳥も食料にできるし、どんぐりやナッツなどの確保も楽という極めて恵まれた場所ではあるがそれでも不作になるときはあるからな。
だからこそ今年も食料が確保できたことを神様に感謝するというのは当然なんだけど、現代の日本人だと食料が手に入るのは当然みたいな感覚になってるからなぁ。
安全とか病気に関して言っても俺が色々やったことで、だいぶ改善したから、以前ほどには病気で死んだりする子どももいないが、やっぱり現代日本に比べれば危険は多いけどな。
「そういえばそろそろ下の子の名前も考えないとな」
さて、俺の言葉にリーリスとアイシャが頷く。
「そうね」
「あたしもかんがえるよー」
「そうだな……男の子だからアーキルなんてどうだ?」
このあたりでは知性や理性 、分別がある、賢いというような意味で日本での男子で言えば賢太とかみたいな感じの意味合いだ。
リーリスは俺の言葉に笑顔で頷いた。
「ええ、とてもいいと思うわ。
あなたに似てきっと賢い子になると思うし」
そしてアイシャも言う。
「いいとおもうの」
「んじゃ、正式に名前を決めることになったらアーキルって呼んでやろうな」
「ええ、そうしましょう」
「わかったの」
こんな感じで祭りは盛り上がったし、下の男の子の名前もおおよそ決まったぜ。
あとはアイシャやアーキルたちに祭りで船と食料を運ぶ意味を子々孫々に語り継ぐようにしてもらえるようにもしないとな。




