第44話 ダンジョンに帰ろう
車窓に点々と街灯が流れ、陰蔵山の麓へ向かう山道はしだいに真っ暗になっていく。エンジン音だけが耳に心地よく響き、助手席ではモコがラムを抱き枕代わりにして、ふわりと寝息を立てていた。
「風間さん、今日は突然だったのに遅くまで付き合ってもらってごめんね」
ハンドルを握る山守が、ルームミラー越しに申し訳なさそうに微笑む。
「いや、こちらこそ。立派な夕飯までごちそうになったんだから」
「ピキィ?♪」
「ワンワン…」
モコとラムも、半分まどろみながら鳴き声で同意。俺達の声が聞こえていたんだな。
しかし、秋月の父・楓師範に最初は圧倒されたが、道場と風呂ですっかり距離が縮まったものだよな。
「それにしても、あの道場は広かったな。次回は本格的に鍛えてもらおうかな」
「ふふ、うちのお父さん張り切っちゃうよ。筋肉痛は覚悟しておいてね」
山守の肩が小さく揺れる。ミラー越しの瞳は疲れも見せず、運転に集中している。
後部座席では毛布代わりのタオルにくるまれたラムが、ゼリー状の体をとろんと溶かしている。その上にモコの尻尾がふわりと覆い被さり、二匹の寝相はまるで寄せ植えの花。
「かわいすぎて、運転に集中できなくなりそうだよ」
「写真に撮りたいくらいだな。俺のスマフォで撮っておくよ。あとで送るから」
「本当? 嬉しい! じゃあ着いたらアドレス交換しようね♪」
なぜか頬が火照る。酒が残っているせいか、それとも……。
「もうすぐ着くね。風間さんはお父さんに付き合って飲んでいたけど大丈夫?」
「ああ。ほろ酔い程度だし、頭は冴えてる」
車はカーブを抜け、月明かりに照らされたダンジョン入口の林道へ入った。
――そこで胸にざわりとした違和感が走る。
「……なんだ?」
ヘッドライトが照らし出した岩肌に、赤と黒のスプレーでねじれた文字が踊っている。
〈クソダンジョン〉〈立入禁止(笑)〉――落書きだ。しかも俺たちが磨いたばかりの石壁に深く刻まれている。
「ひどい! 誰がこんな……」
「シッ。中から声がする」
エンジンを切り、俺たちは小声で身を寄せた。吹き抜ける夜風に混じり、洞口の奥から若い男女の話し声が漏れてくる。
「せっかくオレらが“芸術”を描いてやったのによぉ、掃除なんてしやがって」
「テントまで張ってあったし。ホームレスでも住んでんの? マジウケるんですけど~」
「ま、スナック菓子とジュースはもらっといたけどな」
乾いた笑い声。背筋に冷たいものが這い上がる。テントと食糧――それは俺たちの私物だ。
「こいつら、落書きの犯人だな」
山守が怒りを押し殺し、拳をきゅっと握る。
月光を遮る樹影の下、俺は鍬の柄を握る手の感触を思い出す。放置ダンジョンとはいえ、ここは俺たちの“家”だ。好き放題に荒らされて見過ごすわけにはいかない。
息を潜め、俺たちは暗闇の入り口へ歩を進めた。




