第38話 秋月の父
「ちょっ、お父さん、まず落ち着いて!」
秋月が慌てて巨体の腕をつかむが、豪腕は易々とそれを振り払う。道着の袖口がぶわりと膨らみ、俺の目前に迫った。
「秋月が客を連れてくると聞いてはいたが、まさか男とはな。娘に結婚は──まだ早いっ!!」
「け、結婚?」
あまりのぶっ飛んだ話に声が裏返る。モコとラムは同時に「ピキィ!?」「ワン!?」と目を白黒させ、俺の背中へ飛びついた。
「違うってば!」
秋月が必死に説明を試みるが、彼女の父──楓は耳を貸さない。
「よかろう! 娘婿を名乗るなら、この山守流柔術当主・楓を倒してみせい!」
「いや、俺は婿入りの話など一言も──」
「さあ道場で覚悟を見せろ!」
完全にペースを握られ、分厚い腕で引っ張られる。石のような握力だ。
「あなた、何をしているのかしら?」
広間の入口から凛とした声。振り向けば、上品な和装の“お母さん”が腕を組み、紅葉が背中に隠れている。
「月見か。何、娘を娶ると言うこの若造の──」
「風間さんはそのようなこと、一言も仰っていません」
「むぅ?」
「しかも来客に手荒なまね。道場の名折れでしょう? 頭を冷やしなさい」
瞬間、月見さんが近づき、袖を払うと楓の巨体がふわりと浮いた。
「ぬおっ!?」
見事なまでにその巨体が一回転し、畳にドスンと落ちた楓は目を回しつつも「す、すまぬ…月見」と小さくなる。
しかし凄いな――あの巨体を投げ飛ばしたうえ黙らせるなんて。
「君のお母さん強いんだね」
「うん――お爺ちゃんに護身術を教わっていたらしいんだけどね。それがきっかけで武術にも目覚めたみたいで、お父さんもお母さんには頭が上がらないんだよ」
秋月が月見さんについて教えてくれた。護身術を教わったということは、落葉の爺さんも相当の腕だったのだろう。
とにかく楓も落ち着いたようなので改めて席についてもらい、俺のことを説明してもらったわけだが。
「勘違いしてすまなかった! 山守流柔術の師範という身でありながら、恥ずかしい限りだ!」
「いえそんな、頭を上げてください」
「しかし娘のことを想うあまり、ついカッとなってしまった。本当にすまない!」
「いえ、もう誤解が解けたならそれで――でも山守流柔術ということは落葉さんも柔術に心得が?」
「心得どころではない! 今でも月見の父であり、私の義父でもある落葉先生は、俺の尊敬する師であり達人なのだからな!」
そう言って楓師範が拳を突き上げた。そんなに凄い人だったとは。
「お父さんはお爺ちゃんを尊敬していたから、お母さんと結婚するとき婿入りしたんだもんね」
なるほど。そして落葉さんが鬼籍に入ったことで、その後を継いだわけか。
「さぁ、お互い誤解が解けたことですし、お茶に致しましょうか」
月見さんに促され、俺たちもお茶をいただくことになった。モコとラムの分もしっかり用意してくれてありがたいかぎりである。お茶請けの茶菓子もとても美味しい。
「どう? モコちゃんラムちゃん。美味しい?」
「ワウ!」
「ピキュ~♪」
紅葉からの問いにモコとラムが嬉しそうに鳴くと、それを見ていた秋月がとても嬉しそうに微笑んだ。月見さんと楓師範も優しい目で見てくれている。
最初はどうなることかと思ったが、誤解さえなければ良い人なんだろうな。
「ところで、ダンジョンで暮らすという話はわかったが、同時に冒険者としても活動するのだろう?」
「そうですね。一応登録したのでそうなるかと。ただ冒険者と言っても――」
「なるほど! 話はわかった! ならばいい機会だ。これから道場で一汗かこうではないか!」
はい? いや、その話は終わったはずでは……。
「そ、その、今日は心の準備が……」
「ハッハッハ! 冒険者になろうという者が遠慮するものではない。大丈夫だ、道着はある!」
いや、そういう問題じゃ――。
「そ、そうだ! モコとラムも来ているので、あまり無茶は――」
「ワンワン!」
「ピキィ! ピキィ~!」
「おお、なんだ。お前たちも道場に興味があるのか?」
なんとかモコとラムをダシに遠慮しようと思ったが、肝心のモコとラムがウキウキしだした。マジかよ!
「よし、いいぞ! 一緒に道場へ来るといい」
「やった~! よかったね、モコちゃんラムちゃん♪」
「ワン!」
「ピキィ~!」
紅葉の声にあわせて、嬉しそうに跳ねるモコとラム。もうこうなったら逃げられないじゃないか。覚悟を決めて付き合うしかないってことか――




