第160話 誠意
「――それで?」
謝罪した俺に向けて、赤毛の男から吐き捨てられた言葉は、驚くほど冷淡だった。見上げれば、腕を組みながら俺を見下す男の姿。鋭い視線が威圧的で、明らかにこちらを試している。
「……他に何か?」
「おいおい、グリンは目を負傷してんだぜ? 当然病院に連れて行かなくちゃならねぇ。モンスターを診る医者は少ないし、しかも保険は効かねぇんだ。ここまで言えば、わかるだろう?」
男はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、俺を値踏みするように見つめてきた。
「それなりの“誠意”ってもんを、見せてもらわねぇとなぁ」
要は金を出せということだ。その態度は、あの時冒険者に絡まれた時と重なる。因縁をつけて金を毟り取る、典型的な手口だ。
「いい加減にしてください!」
思わず割って入ったのは愛川だった。怒りに頬を染めながら、一歩前に出る。
「確かにラムちゃんが水をかけたのは事実かもしれません。でも、そっちに非がないとは言い切れないでしょう!」
「おっと、責任転嫁ってやつか? あんた関係ないだろ? それとも、代わりに“誠意”を見せてくれるってんなら、俺はそれでもいいぜ?」
男は露骨に愛川の身体を舐め回すような視線を送り、口角を持ち上げた。愛川の肩がわずかに震える。
……最悪だ。
「その子たちは、悪くないですよ!」
声が響いた。振り返ると、数人の女の子たちがプールの入り口に立っていた。明らかに怯えた様子だが、それでも勇気を振り絞ったように前を見据えている。
「私たちが、あの子たちを可愛いって言って近づいたんです。それで、そっちの三匹が急に来て……正直、怖くて逃げました」
「その後、小さいモンスターの頭を、大きな犬のモンスターが押さえつけてて……」
「どう見ても、ちょっかいをかけてたのはそっちの三匹だったよね」
そうか、俺が眠っていた間にそんなことが――。情けない。モンスターの世話をしている身として、迂闊だったと悔やまれる。
「この子たちはこう言ってる。話が随分と違ってきたようだな」
「チッ……おい、お前ら、本当にそれで間違いねぇんだろうな? モンスターの言葉なんてわからねぇはずだ。責任取れるのか?」
「やめてよ! 脅すような言い方は……!」
男の視線が女の子たちに向けられ愛川が声を上げた。赤毛の男の視線は冷たく、鋭く、圧力を伴っていた。
俺は彼女たちの前に立ちはだかった。
「言ってることは筋が通ってるようで、結局は煙に巻いてるだけだろ」
そのときだった。
「ブ~ブ~ッ!」
豚のような小さなモンスター――トンマが男の膝に縋りつき、必死に何かを訴えていた。
「うるせぇんだよ、トンマ! トロトロしてんじゃねぇよッ!」
男の足がモンスターを蹴り飛ばした。
「ブウッ!?」
「ひ、酷い……!」
「ワンワン!」
「ピキィ!」
「マァ~!」
「ゴブゥ!」
愛川とモンスターたちが一斉に声を上げた。
「同じモンスターなのに、どうして……」
「そのモンスターは、あんたが世話してるんだろう! それなのになんでそんな真似が出来るんだ!」
俺も言葉を飲み込みきれなかった。だが、男はまるで悪びれる様子もなく、当然のように言い放つ。
「俺のモンスターをどう扱おうが、俺の勝手だろ。トンマはドンくせぇし、弱ぇんだよ。こうやって躾けねぇと、何もできねぇ」
……腐ってる。こいつは、自分の力だけで周囲を支配できると思ってる。
「証拠がなけりゃ、そっちの嬢ちゃんが何言おうと意味ねぇ。どうなんだよ、話は終わりか?」
女の子たちの口元が震え、視線が揺れる。
「そ、それが……」
「やっぱり、証拠までは……」
「う、うん……」
男は勝ち誇ったように口元を吊り上げた。
「……実は、うちの息子が可愛いモンスターたちを見て動画を撮っていたんです」
救いの声が届いたのはその時だった。子連れの父親がスマフォを手にして現れた。
「この動画で、状況が分かるかもしれません」
映された動画には、はっきりとコボルトたちがモコにちょっかいを出し、ゴブリンが挑発している姿。そして、モコたちが怒り、ラムが水を放った一連の流れが残されていた。
「ハルさん!」
「あぁ、これで全部明らかになったな」
俺たちに非がないとは言わない。だが、一方的に責任を押し付けられる筋合いはない。
「――チッ、面倒クセェ。おい、お前ら、行くぞ」
男が舌打ちしながら背を向けた。ゴブリン、コボルト、オークもそれに続いて歩き出す。
「待てよ。あんた、他に言うことがあるんじゃないのか?」
「あん?」
俺が呼び止めると、男は面倒くさそうに振り返った。
「ハルさんは謝りましたよ。そっちも同じようにするべきでしょ!」
「ワンワン!」
「ピキィ!」
「マァ~!」
「ゴブゥ!」
愛川とモンスターたちも俺の言葉に同調する。
「……お前、冒険者のランクは?」
「は? そんなの関係――」
「いいから答えろ」
男の目がすっと細くなった。そこに感じるのは、ただの好戦的な挑発ではない。
「……F級だ。それがどうした」
「へぇ、Fねぇ。ヒヨッコじゃねぇか。そんな奴がC級の俺に意見すんじゃねぇよ。ついでに言っとくと、俺はモンスターバトルのプラチナランクだ。格が違ぇんだよ」
――理屈がおかしい。いや、理屈が通じる相手じゃない。
「俺がここで黙って退いてやってんのは、お前らが運が良いからだ。ありがたく思うんだな」
「け、警察に言いますよ!」
思い切って愛川が叫ぶと、男の足がピタリと止まった。
「警察? 言えばいいじゃねぇか。知ってるか? 警察はな、冒険者同士の揉め事には基本口出ししねぇ。ましてモンスター同士のトラブルなんざ、管轄外なんだよ」
そう言い捨てて、再び歩き出した。
「ブ、ブゥ……」
その背を見送る途中、トンマが立ち上がって震えながらこちらを見ていた。
「大丈夫か?」
俺が声をかけると、モコたちも心配そうにトンマに寄り添う。だが――
「おい、トンマ! 何やってんだよ! こっち来い!」
「ブッ、ブゥ~……!」
振り返りながら、トンマは俺たちに深々と頭を下げ、ヨロヨロと仲間たちの後を追っていった。
「……おい、あんた」
「まだ何かあんのかよ」
「俺は風間 晴彦だ。あんたも名乗れ」
男は鼻で笑ったあと、ようやく口を開いた。
「フン……風間ねぇ。おもしれぇ。俺の名は――獅王 紅牙。覚えておくといいぜ」
その名前と共に、男とモンスターたちはプールサイドの向こうへと消えていった。
去りゆく背中を見送りながら、俺の視線はふとトンマの小さな背中に留まっていた。
――あいつだけは、他の三体と違う気がする。
そして耳に残っていたあの言葉。
「モンスターバトル、プラチナランク……」
あいつの言葉の真意は、きっとまだこれから知ることになる。




