第146話 愛称を決めよう
「時間いっぱーい、そこまで! 両者引き分けとする。――互いに礼!」
楓師範の合図で、秋月と蓬莱の熱戦は幕を下ろした。わずか四分の試合時間が、体感では十倍に膨らんだかのような濃密さだった。
「アキちゃん、強かったぁ~」
「蓬莱さんも。治療師なのに、あんなに動けるなんてびっくりしたよ」
俺も胸を撫で下ろした。試合前、治療役の蓬莱が本当に戦えるのかと心配していたが、蓋を開ければ華麗なプロレス技の応酬。まさか地下闘技場の伝説だったブレイクハート本人だったとは――鬼姫から種明かしを聞かされた時は言葉を失った。
「ところで蓬莱さんって呼び方は、ちょっと距離を感じるかな。私もアキちゃんって呼んでるんだし」
「え? そうかな。う~ん、でもそれだと――」
蓬莱の提案を受けながらも、秋月はどう呼べばいいか迷っている様子だ。呼び捨てにするのは抵抗があるのだろう。
「ねぇ、お姉ちゃんたち~」
紅葉が菊郎の背からぴょこんと飛び降り、試合を見ていた鬼輝夜たちの前へ。モンスターたちも小首をかしげて注目する。
「あのお姉ちゃん、名前は“ほうらい”なの?」
「正確には“蓬莱”って苗字だねぇ」
と鬼姫が口を挟む。
「じゃあ下の名前は?」
「玉恵さ」
「タマちゃんだ!」
鬼姫の答えを聞き、紅葉が満面の笑みで声を張り上げた。道場に小さなどよめきが走る。
「ち、ちょっとぉ! 私その名前あんまり好きじゃないんだけど~!?」
蓬莱が両手をぶんぶん振るが、鬼輝夜の面々がすかさず輪に加わる。
「わはっ、かわいいじゃねえかタマちゃん!」
「……タマちゃん呼びやすい」
「これは採用だな。夜露死苦タマちゃん」
「ちょ、やめてよ! 私はその名前で呼ばれたくないの!」
紅葉の発言で盛り上がる鬼輝夜の面々だったが、蓬莱は必死に抵抗していた。
「いやいや、合ってるじゃんかタマちゃん」
「親しみやすさは筋肉と同じく大事だ」
「た、確かに親しみやすいかも」
熊谷、中山、愛川もタマちゃんという愛称に賛成のようだ。かくいう俺も、なんとなくしっくり来る気がしていた。
モコ・ラム・マール・ゴブ・モグまで、「ワン!」「ピキィ!」「マァ!」「ゴブゥ!」「モグゥ!」と賛同の大合唱。
「や、やめて~! タマはイヤだって……」
蓬莱が引きつった顔で後ずさりするが、紅葉がうるんだ瞳で袖をつまむ。
「タマちゃん、ダメ……?」
「うぅ……その顔は反則……わ、分かったわよ! タマちゃんでいいってば!」
道場が拍手と歓声に包まれ、モンスターたちが跳ね回る。鬼姫は蓬莱改めタマの肩を抱き、「良かったなタマちゃん」と満足げだ。まあ肝心のタマは若干不服そうではあるのだけどな。
「皆仲良くなれて良かったですね」
月見さんがにこりと笑顔を見せた。
「道場も賑やかで何より!」
豪快に笑った後、楓師範が手を叩く。
「さて、ちょうどいい時間だし、稽古もここまでにしておくか。皆、良ければ夕飯を一緒に食べていくといい」
「マジすか師範!」
話を聞いていた熊谷の目が輝く。
「筋肉は食事からだ、感謝!」
中山は両腕で力こぶを見せつけながらお礼を言った。
ただご馳走になるだけというのも悪いから俺たちも手伝うことになったのだが、その時鬼姫のスマフォに着信があった。
「なんだい帝、遅いじゃないかい。え? 仕事? また取り立てかい」
どうやら着信は弟からのようだ。それにしても取り立てか。そういえばそういう仕事だったなぁ。
「今終わったのかい。あんたもたまには鍛えてもらえばいいと思ったんだけどねぇ」
「彼女は誰と話しているんだ?」
鬼姫の様子を見て楓師範が尋ねる。隠すことでもないから、相手が鬼姫の弟だと説明した。
「なるほど。話の横から悪いね。良かったらその弟さんにも来てもらったらどうか?」
「え? いいんですか?」
「勿論。それにうちに興味があるのだろう? それなら来てもらうのが一番だ」
「聞いたかい帝。今どこにいる? なんだい結構近いじゃないか。だったらすぐに来な!」
スマフォ越しに弟の文句が漏れるが、鬼姫は押し切った。結局来ることで納得してくれたらしい。
これでかなりの人数になる。確かに賑やかな食事になりそうだよ――。




