第144話 議員事務所にて
「大黒くん、ちょっといいかな?」
帰り支度をしていた秘書の 大黒 賢治を呼び止めたのは、議員の 安房 黒光だった。
「はい。何か残務がありましたでしょうか?」
「いや、仕事はきちんと片づいている。ただ、奥さんの件で無理をしていないか心配でね」
賢治の妻・泰子は武器密売事件への関与を疑われ、いまも逃亡中だ。議員事務所の同僚にとっては周知の事実であり、賢治自身その影響を危惧している。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。ですが職務には支障を出さないと誓います」
「頑張り過ぎも禁物だ。泰子さんから連絡は?」
「いいえ、まったく。──もう覚悟はできています。家族の責任は私が取ります」
安房は小さく息をつくと、賢治の肩を軽く叩いた。
「子どものことを第一に考えなさい。必要なら手を貸す。それだけは覚えておいてくれ」
「……ありがとうございます。失礼いたします」
深く頭を下げ、賢治は事務所を出て行った。背中が見えなくなったのを確認すると、安房は無人の執務室でスマホを耳に当てる。
『――ああ、私だ。予定通り進んでいる。対象は今夜ポイントへ向かう事だろ。そこで“目覚め”るはずだ。邪魔は入らん』
短い通話を終え、安房は唇を歪めてひとりほくそ笑むのだった。
◆◇◆
誤解も解けてほっとしたところで、道場の扉が勢いよく開く。
「ゴブちゃんだ~!」
大型犬・菊郎にまたがった紅葉が飛び込んできて、一直線にゴブのもとへ。二人(と一匹)は再会を喜び合う。
「あらあら、可愛い仲間が増えましたね」
紅葉に続いて道場に顔を出した月見さんが新顔のモグを撫でてくれ、モグは喉を鳴らして喜ぶ。
「本当に賑やかになったもんだねぇ」
鬼姫が腕を組んで笑い、楓師範は鼻息荒く答えた。
「ふむ、鍛えがいがある!」
こうして俺たちは道着に着替え、山守道場の板張りに膝をそろえた。秋月の父、山守 楓師範が、背筋を伸ばして立つ。
「礼!」
全員で黙礼。木霊する手の音が、どこか背筋を心地よく締めてくれる。
熊谷は短剣術の打太刀を楓師範から直接受けていた。相手を想定した角度で抜き、巻き、斬る。それを二拍子で繰り返すたび、革靴が板を叩く乾いた音が道場に響く。
「肩が浮いてる。脇を締めろ!」
「ッス!」
熊谷のリーゼントが揺れるたび、汗が飛沫になって散った。
中山は月見さんに付き添われ、筋肉を“ほぐす”特訓中だ。ピラティスの呼吸に合わせ、筋繊維一本ずつを意識するようにストレッチ。普段は屈強な大男が「いだだだ……!!」と情けない声を漏らしているのは新鮮だ。
ゴブは投擲術を教わりつつも、木刀を使った戦い方も教わっていた。短めの木刀を両手に逆手で構え、紅葉と菊郎に見守られながら基本素振り。小柄な身体を活かし、低く沈んだまま腰を回す動作はすでに板についてきた。
モコは動画で覚えたカンフーをベースに、楓師範の寸勁の指導を受けている。短い踏み込み、肩で押し出すような掌打。掌が空気を裂くたび、床板がビリッと震えた。
ラムとマールは横で水弾・種弾のコントロール練習。モグは地面すれすれを潜り込むダッシュ。みんなそれぞれの特性に合わせたメニューで汗を流す。
俺は師範とマンツーマンで鍬の型、その後に“狂血の大鎌”を扱えるようにと大鎌を模した得物での抜き打ちを教わった。
「一、鍬は柄が命。胸で押さえ、腰の回転で振る!」
構えた瞬間に鍬先から腰までが一本の線で繋がる。見かけの重さより速く振れる理由が少しわかった気がした。続けて大鎌。
「大鎌を扱うならば、先ずは間合いを覚えろ。斬る、引っ掛ける、払う……いずれも“欲張らず一手で離脱”だ。後は精神面の強化だな」
ギルドで呪装認定を受けたばかりの武器を制御するコツを、実演を交えながら叩き込まれる。スパルタだが、心地よいキツさだ。
全員が稽古に励むことで、道場はすっかり活気づいていた。その熱気の中、不意に蓬莱が秋月の肩をポン、と叩く。
「ねぇ、アキちゃん。よかったら私と手合わせしない?」
「え、手合わせ……ですか?」
秋月は目を丸くし、俺も思わず稽古を止める。蓬莱はニコニコしながら、胸の前で拳をコツンと合わせた。
まさか回復担当の蓬莱が秋月に手合わせを求めるなんて、だけど蓬莱は、いつものような笑顔でありながら真剣な空気も纏っていた。道場の空気が一瞬だけ張り詰める――。




