尾張撤退3
今日は短め
1555年 那古野城 織田信長
林秀貞が六角と交渉し、条件を纏めて帰ってきた。話を聞くに、話は直ぐに纏まったようである。
「この条件はいくら何でも我らに有利すぎる。貞秀、これはどういう事だ。」
六角が出てきた条件は、織田大和守家の領地の保全と松葉・深田両城を割譲する代わりに占領した領地の返還。これでは、六角に何の利益も無い。このような条件は、信じれるはずも無い。
「某が直接六角殿よりお聞きたとこによると、此度の侵攻は、殿と斎藤利政殿の連携を断つ為であり、斎藤殿と六角殿の間に和睦が結ばれようとする今、殿と事を構える理由が無くなったからとの事です。」
「すると、俺はついでということか。」
「六角殿の仰られたことが本当なら、そうなりますな。」
ふざけたことよ。今まで力がふっと抜けるような感じがした。本気で我らを滅ぼしに掛かってきていると思えば六角は、唯義父と俺の連携を断とうとしていただけだという。
「構わん。その条件を呑もう。六角と和議を結ぶ。早急に六角には尾張から出て行ってもらおう。」
「それが最も良い選択肢でありましょう。早速縁起の良い日を選び、和議を結んでまいります。」
俺の頭からはもう、六角に興味は無い。これからは家中の統制を強めなければならない事が此度の戦でよく分かった。まずは、家中で一定の勢力を持つ弟をなんとかしなければなるまい。
1555年 7月 岩倉城 三雲賢持
我らが主六角忠定殿は、林殿より条件が受け容れられた事を知ると、2千ばかりの兵を残して北伊勢に引き上げることとなった。我らも和議を結び終わると、残りの兵を引き上げるつもりである。
「三雲殿、これにて此度の戦を手打ちにするというとこで宜しいか。」
「これで我らが主も満足されるでしょう。」
忠定殿が去ってから数日経った後、吉日を選び、正式な文を交わすことができた。最後に起請文を互いに交換し、正式な手打ちとなった。
これで、我らが尾張にいる理由は無くなった。軍勢を纏めると、一旦清須城に下がる。一応は配下となった織田大和守家にも気づかいしなければならない。
「六角殿いや三雲殿のおかげで、我らは領地を拡大させることが出来ました。なんと申し上げれば宜しいか。」
「何を仰る。海と繋がることによって我らも織田殿を助けやすくなる故、此方にも理がありまする。織田殿にはこれからも油断せず、尾張の内情を我らに伝えて頂きたい。」
「六角殿、三雲殿に恩を返すため、小さな出来事でも逃さず情報を送らせます。」
織田信友は、信長からの圧力を減らすことができて我が世の春と言わんばかりの浮かれ具合であった。この様子であれば我らを裏切る様なことはないであろう。これによって一応は、尾張への足がかりを残すことが出来た。
伊賀上野城 六角忠定
約3年の工期を経て大部分が完成した伊賀上野城は堂々たる姿を見せている。銭や資材を惜しまずに投入した成果であろう。
戦は心をすり減らすばかりであり、なんの良い事もないことが身に染みた。どうやら、戦の才能もあまりないようだ。こればかりは、家臣に任せるしかないようだ。自分は内政や築城に専念するべきだろう。
散々であった尾張攻めであったが、一応織田大和守家を服属させ、葉栗郡・中島郡・海西郡の3郡を割譲させた。全くの戦果が無いよりはましだろう。
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