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六角氏軍記~戦国乱世を生き抜きたい~  作者: タスマニア


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献金、婚約 2

教職忙しすぎ。

1545年8月 平安京

 近衛稙家は、足利義晴と内談衆の会談を終えた後、自宅に戻り朝廷に出仕するための準備を始めた。帝に六角氏からの献金があったこと報告するためだ。そのために運気の良い日、方角を調べ身を清めるのである。準備が終わり、予め決めておいた日にちになると、運気の良い方角から朝廷に出仕する。


 内裏の中に入り、公家たちが両側に座る中、その真ん中を通り帝の御簾の前に進み出る。挨拶などを手短に行い、本題に入る。


 「此度は、帝に良き報告がございます故、内裏に参上致しました。」


 「関白自ら出仕するとは、余程良い報告と見える。どのような報告ぞ。」


 「近江守護である六角定頼から帝への5000貫の献金がございました。また、瑠璃杯、絹の献上がございました。」


 5000貫の献金と聞いた公家たちがどよめきを漏らした。戦後乱世の今、朝廷に入ってくるのは年に750貫程度である。そして、瑠璃杯と言えば正倉院に収められている天皇家の秘宝である。しかし、大名からの大金や秘宝などの献上には、それなりの対価が求められるのだ。しかし、清廉な後奈良天皇は献金の代価としての官位の叙任を嫌われておられる方である。公家たちは、六角定頼の要求がどのようなものであるか、近衛稙家の口から晴らされるのを固唾を飲んで見守った。


 「関白よ、そなたも知っての通り、大名からの献金は幕府を通さぬ官位の叙任と引き換えであることが往々にしてよくあること。六角とやらは何を求めておるのだ。」


 帝は、不信感をにじませながら麿に問われる。近頃は、大名だけでなく公家でも献金の対価に官位を求めていることがある、故に帝の献金に対する不信感は大きい。


 六角定頼は、何の対価も求めずただ朝廷の安寧の為に献金されたことを伝える。これに対し、帝は何度も念を押されこれが、事実とわかるといたく感激され、六角定頼を勤皇家とお褒めになられた。帝は資金不足で大嘗祭を断腸の思いで開催できないことを、伊勢神宮に謝罪する宣命をお出しになるつもりであったのだから当然の反応であろう。


 献金への報いとして何か良いものはないかと、麿にお問いになられた。それに対し、六角定頼は元は出家していた人物なので、帝直筆の経典を与えるのはどうであろうかと提案する。帝はそれが良いと言われ、六角定頼には帝直筆の経典、手紙が送られることに決まった。そして、帝からの贈り物を六角定頼に渡すために近江への下向の許可を頂いた。


 帝の御前から下がり、屋敷に帰宅する。休む間もなく六角定頼、将軍義晴への書状をしたため、義晴へ使者を派遣する。使者を送った後、下向するための準備を始める。


1545年8月 観音寺城

 近衛稙家が、下向の為の準備をしているころ、観音寺城では亀寿丸と三雲定持が話し合っていた。


 「若様、これが田畑の買取の契約書になります。」


 「しっかりと、隣接している田畑を買い上げることが出来たのか。」


 「無論、みな隣接した田畑にございます。そして、移住させるための農民の募集も完了しております。」


 今回、定持に田畑を購入してもらい、農民の準備をさせたのは、現在作らせている新しい農機具や耕地整理を実践するためである。近江がいくら豊かで安定してるとは言え、放棄された土地はある程度存在する。それに、土地を継げない農家の次男、三男は山ほどいる。彼らを使い、土地が開墾されきった近江で石高を上げるのだ。


 後日、新たに購入した田畑に、移住してきた農民たちが円匙や農具を持ち形を整えたり、耕している様を定持と眺めている。彼らが持っている農具は江戸時代、明治時代に考案されたはねくり備中、手押し耕運機である。はねくり備中が放置され固くなった地面を掘り、手押し耕運機がその後を耕す。器具が変わるだけで、効率が格段に良くなった。農民たちの評価も上々である。


 耕す事が楽になったからといって、いきなり深くまで耕さないように指示をする。これは、上層の富んだ土が下層に攪拌され、下層の不良耕土が上層に回ってしまうのを防ぐためだ。だいたい、年に2~3cm程度の深さで徐々に深くしていくことを目標にしている。


 なぜ、俺がここまで深耕することに拘っているかというと、深く耕す事で田畑の透水性、排水性が向上するからだ。これにより、いもち病を初めとする病害、栄養障害による秋落ちの発生を抑えることが出来るのだ。


 この田畑をモデルケースとして将来、農地改革を図り六角氏の大名権力を強大なものとするためだ。そのための新たな農具や農法を書き出している。


 農具は、基本的に俺が儲けた銭を使い、作成されたものを農民達に貸し出すという形を取っている。これは、農民達に新しい農具を買える程の余裕がなかったからだ。


 創作では、千歯こきなどを売って銭を稼いでいたが、現実はこちらが銭を出し農具を作り農民に貸し出さなければならない。これに関しては完全に予想外だった。戦国時代の考えに染まっている感じがしていたが、まだまだ資本主義的な考え方は脳に染み付いているようだ。


 やはり、戦国時代の農民を初めとする庶民達の暮らしはとても貧しい。農業の振興を図り、彼らの暮らしを何とか良くしていきたいものだ。

作者は農業については全くの素人です。

感想・ご意見お待ちしております。

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― 新着の感想 ―
[一言] この時代の朝廷でこの天皇の姿勢は清廉じゃなくてあほうだと思うがなあ。
[気になる点] >近衛前久が、下向の為の準備をしているころ 話の流れから考えると、正しくは近衛稙家ですか? 近衛前久は、この時まだ9歳のはずですし
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