六角征伐
中々筆が進まない。
1554年 1月 近江国小谷城城下町 赤尾清綱
城下町のとある武家屋敷で我を含め海北綱親・東野行信・磯野員昌の4人で膝を突合せ密談をする運びとなった。我ら4人は主家浅井家の衰退を憂い、元の主家京極家の復活に危機感を共有している。
去年の12月の頃より我ら4人や主君浅井久政様の元に公方足利義輝様から内応を求める密書が届いたのだ。
その内容は、有名無実と化した京極家の代わりに浅井家に北近江の差配を任せるという内容であった。されど、
「我々が幾度説得しても、久政殿は首を縦には振ってくれぬ。」
磯野殿が言われるように、主君浅井久政は六角家を恐れ完全に及び腰になり我らの説得に耳を貸してくれぬ。
「あのような姿勢であるから、先代の亮政殿の築きし勢力を大きく衰退させたのだ。」
海北綱親殿は、久政殿の態度に怒りを隠さず公然と批判している方だ。我らの中で最も不満を溜め込まれている方だ。
「もはや、一刻の猶予も無い。主君を追放し浅井政信のご嫡子を新たな当主として推戴しようではないか。」
確かその計画は、流石にやりすぎではないかという事で一度流れたものだ。しかし、ここまでの優柔不断・弱腰の態度を見るともはや沈みゆく浅井氏を救うにはこの手しか残されていないのだろう。
「行動を起こす分にはよろしいが、主君殺害は絶対に避けなければならぬ。幾ら我らに同心する者が多いとは言え、主君を弑逆した者には誰も着いてくるまい。」
「その通り。私も当主交代には異議は無い。されど、主君を殺すことには反対だ。我らは忠義心より行動を起こすのであって、権力を狙っているのでは無い。」
東野行信・磯野員昌が続けて賛意を示される。我も続くしかあるまい。
「某も御二方の仰る事と同じであります。」
「皆の賛意を得ることができて嬉しい。早速だが、各々秘密裏に同士を募って欲しい。残りは僅かだ1人でも多くの人家臣を味方につけておきたい。」
我らは、遂に後戻りすることの出来ない一線を超えて行ったのだ。
1554年 4月 若狭国 足利義輝
遂に今月の初めに我らは遂に六角征伐の兵を挙げることとなった。若狭武田が1千、朝倉は5千、斎藤が1万5千合わせて2万1千の大軍となった。
対する六角は、北近江で浅井久政を家臣共が追放し反旗を翻し、南伊勢では木造具政が北畠晴具・具教親子に反乱を起こしており援軍の宛もなくなっておる。
「我らには天の時・地の利・人の和全てが揃っておる。この六角討伐は成功したも同然よ。朝倉宗滴に武田信豊と共に速やかに北近江に入り、浅井氏を助けるのだ。」
「公方様、斎藤利政は大軍を率い稲葉山城を出立したようであります。」
「速やかに軍を進めよと知らせい。」
京は、余の目の前じゃ。
4月 小谷城 赤尾清綱
公方様挙兵の報と共に我ら4人は、小谷城内に兵を引き入れ一気に城内を制圧した。
「お主ら、主君に弓を引くとは一体どういう了見ぞ。」
我らは、本丸にて主君浅井久政を無傷で捕えることに成功した。
「もはや、久政殿を主君と仰ぐ事は出来ぬ。されど、今までお仕えした御仁を殺すのは忍びないので命までは取らぬ。何処にでも行かれるがよろしい。」
磯野殿がそう言って、兵に浅井久政殿を連れて行くように命ずる。そして、その後直ぐに家臣達を集める。
「我らは、浅井氏の為を思い、此度の義挙に出た。我らはこれから浅井政信のご嫡子を新たな主君として仰ぐ。もし不服な者がいる様であれば、久政殿に続くが良い。我らは、引き止めはせぬ。」
東野殿が集まった家臣に訴える。誰一人退出することはなかった。ここにおいて我らの義挙は遂に達成されたのだった。後の世にはこれが浅井氏中興の始まりと謳われるであろう。
4月 鎌刃城 六角義賢
「某の不甲斐なさによって、小谷城を追放され申した。誠に不甲斐ない。」
今私は、着の身着のままの姿で両側に諸将の冷たい視線に晒されながら、ひたすら平伏している浅井久政を前に頭を抱える。
公方様の不穏な動きを掴んでいた我らは、小谷城を防衛線として計画を立てていた為に、まさかの寝返りではなく追放で戦わぬうちに城が陥落するとは思ってもいなかった。仕方が無いので、鎌刃城を仮の本陣とし後藤賢豊に兵6千を預け小谷城を包囲させている。
「其方の言い分はよく分かった。兵1千を与えるが故、我が戦列に加わり手柄を立てるが良い。下がれ。」
「はっ。」
浅井久政は、転がるかのように外に出ようとする。その後ろ姿に言葉を投げかける。
「言い忘れておったが、其方の失態は余りにも大きい。働き次第では、家名が途絶えるかもしれぬ。よく胸に刻むように。」
久政は、何も言わずただ深々と礼をして部屋を出て行った。久政が去った後、家臣たちが次々と自らの意見を述べ始める。
「御屋形様、余りにも処罰が甘すぎますぞ、一刻も早く詰め腹を切らせるべきです。もはや久政なんぞに求心力が無いのは明らか。あの様な輩は用いるに値しませぬぞ。」
「蒲生殿の仰る通り。この布施、あの様な輩を信ずる事なんぞできませぬぞ。」
「皆の思いはよく分かる。されど、あれはまだ浅井氏の当主。いきなり殺すには無理がある。この戦が終われば、小谷城を取り上げ当主を久政の嫡男に譲らせ、観音寺城の曲輪に住まわせ北近江より切り離し完全なる家臣として組み込む予定だ。何より、久政の嫡男は父とは違いかなり優秀な様だ。一族諸元殺すには惜しい。」
私の発言には反対が出なかった。しかし、まだ何人かは不服そうな顔をしておる。
「勿論、久政は此度の戦においては常に先鋒をになわせる。布施、其方の元に久政を置く。如何様に使っても構わん。」
「蒲生定秀、軍勢はどれくらい集まっておる。」
「今、各地より軍勢が鎌刃城に向けて集まっております。全てを合わせたら近江だけで3万程になるかと。」
「分かった。進藤賢盛、北畠からは援軍の要請は出ておらぬか。」
「北畠からは、内々の問題であり手助けは不要とのこと。」
「分かった。三雲定持、我が息子忠定に伊賀・北伊勢の軍勢を集め尾張・美濃の国境の防御を固めよ。北畠の情勢にも注目せよと伝えよ。後、正式に北伊勢と伊賀を忠定に任せる。」
「承知しました。」
「諸君、此度の戦の相手は武門の棟梁である足利将軍。相手にとって不足なし。我が六角はこれまで二度公方より勝利をもぎ取ってきた。三度目の勝利を収め、武威を示そうではないか。」
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