朝倉の憂鬱
次辺りから織田信長とも絡んで行く予定です。
1553年 11月 一乗谷
弱冠二十歳の朝倉家当主朝倉義景は、隣国若狭に居座る公方足利義輝からの書状に頭を痛めていた。自分一人では判断出来ないので、従曾祖父の朝倉宗滴を呼び出しどのような対応をするかを話し合う。
「宗滴殿、公方様が来年の4月に京帰還のために六角討伐の兵を出せと言って来よった。いかがすべきか。」
「義景様、我らは決して六角と事を構えてはなりませぬ。我らと六角は、同盟によって結ばれた深い仲。六角は外交では本願寺と繋がっており、六角が本願寺に越前を攻めるように要請すれば、たちどころに一向一揆の者共が領国内に攻め入って来る恐れがあります。他にも能登の畠山にも強いつながりがあり、六角が本願寺に畠山が動かぬことを確約すれば本腰を入れて攻めて来るかもしれませぬ。」
「我らは隣国の加賀に大きな敵を抱えておる。本願寺や能登に強い繋がりのある六角を敵に回す事は得策ではないな。」
「それに加えて、六角は近江・伊勢・伊賀の三国合わせて130万石もの石高を誇る大大名。総動員をかければ4万近くの大軍を動員出来ます。」
「それなら、美濃の齋藤が1万余りの兵を出すと書状には書いてあるぞ。」
「齋藤!あの主君を追い出したり、他人を毒殺するような輩と共に戦う等出来ませぬぞ!信頼を置けぬ輩を抱えての戦で勝つ事は至難の業。この老耄に出る訳がござませぬ。」
齋藤の名を聞いた宗滴は顔を歪め、嫌悪感を隠さない。3代の朝倉家当主に一族の宿老として仕え続けた忠義者、そして実際に齋藤利政と矛を交え、その狡猾さを知り尽くしている老人にとって齋藤との共同戦線は考えられぬことであった。
「しかし、これは公方様の御命令。されど我ら朝倉と六角は深い中。どうすれば良いのか。」
「なれば、公方様には5千余りの兵を出し良い顔をしつつ、裏では六角と書を交わせば良いのです。今や齋藤は、公方様より美濃守護に任じられております。これは、あやつらの目的が果たされた事を示すのと同然。齋藤は本気で六角と矛を交える気は有りますまい。それに若狭武田も六角とは親類。戦う気は無いでしょう。その中で我々は、公方様と六角の橋渡しをするのです。公方様と六角を和解させ六角を先頭にして三好と戦わせるのです。」
「宗滴、困難な事だ。出来るのか。」
「この老骨の最後の大仕事と心得ております。六角と朝倉の同盟は、朝倉繁栄の為に欠かせぬものであります。殿、この宗滴にどうかお任せあれ。」
朝倉家を草創期より支え続け、諸国にその武名を轟かせた宗滴の迫力は、衰える所か老獪さをもってますます盛んであった。
(六角は、定頼の死後優秀な息子が跡を継ぎ益々栄えておる。それに対し、朝倉はこの老耄に頼り切り。殿や若い衆共が一人前になる前に儂がいなくなる。その時、必ずや他家に助けを請わぬとならない日がくる。そして周囲に頼れるのは六角しかない。この同盟は、儂の命を懸けても惜しくない価値がある。)
美濃 稲葉山城
「よくぞ務めを果たした。長井、お前の活躍は値千金ぞ。」
齋藤利政は、美濃国主に成り上がって以来の大喜びであった。念願の美濃守護の座を公方足利義輝に認めさせる事が出来たからだ。
「これで、公方何ぞ用済みよ。ただ、約束通り我らは、関ヶ原を越えて近江に進出する。されど、六角と戦はせぬ。朝倉も若狭の武田も本気で六角と事を構える気は無い。ならば、我らだけ六角と戦う義理なんぞない。」
「その通りにございますな。」
「今や、下克上蔓延るこの世の中。東は北条が中央ではこの儂が、西では毛利や陶が事情は違えど既存の秩序を打ち壊し成り上がっておる 。」
「まさに乱世に御座いますな。」
長井利道は、世を覆う下克上の先駆けとなったであろう人物を目の前にしながら相槌をうつ。親子2代少しづつ、少しづつ家中での立場を強め遂には主家を追い出した一族だ。
「これを抑えることが出来ぬほど公方の威光は低くなっておる。そのような公方になんの価値があろうか。太平記には僧侶の妙吉が、足利直義に王や院だのは必要なら木彫りや金の像で作り、生きているそれは流してしまえと言ったとされるが今や様に公方様の立場がそれよ。哀れな事に、帝の方が我らにとっては重要よ。」
「左様でございますな。」
我が目の前で上機嫌に笑う齋藤利政殿。されどその目の奥底には笑いの感情など一切見えない。只々冷たく何も見えてこない。これでは、美濃を乗っ取ることは出来ても人心をまとめ上げることは出来まい。人を恐怖だけで支配することは出来ぬ。遠くない内に息子の高政様に取って代わられるだろう。
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