若狭将軍
試験も終わって一息つけたので更新を再開していきます。
1553年 10月 若狭 武田氏館
京、朽木と御座所を何度も変えてきた公方様は今や内憂外患に苦しむ若狭武田氏に頼らねばならぬ所まで来てしまった。これも愚かな上野が六角の面目を潰した為である。
公方様の一部の側近の寵愛は目に余るものがある。現実を見ようとせぬ愚か者に誑かされておる。何度も諫言を申し上げたが、公方様は意固地になられて我ら先代の義晴様よりお仕えしている幕臣を遠ざけておる。
我らは何度も、佞臣を遠ざけるように進言しておるが公方様は我らの真意は伝わらず、煩わしそうに退くように命じられる。これでは、なん為に公方様に従い若狭に落ち延びたのか。
天下を治めるためには六角と三好を従えることは必須。なのに佞臣を重用し、両者をいたずらに怒らせ、公方様の権威は失墜したのも同然。嘆かわしいことこの上ない。
これより数日前に、三好が若狭に在する幕臣の所領を没収するとの知らせも出ておった。これには多くの幕臣が動揺し、京に帰ることを選択した。御恩を貰うことを期待できなくなった公方様に付き従うのは恐らく40人足らずであろう。
儂も公方様の動座に何度も付き従い、遂には若狭までやってきた。ここまで付き従えば多少面目を失うことはあっても不義理と罵られる事もあるまい。
同月 足利義輝
近頃は何かと老臣共が、六角や三好と和睦をすべきと訴えてくる。あ奴らが赦免を求めて使者を遣わして来るなら兎も角、将軍である余が許しを求めねばならぬのだ。
三好は父の仇、六角は朝廷から直接官位官職を受け取るなどの将軍の権威を蔑ろにしておる。何故余がそのような両者に和をこわねばならん。公方様たる余をこのような地へ追い込んだ者達ぞ。
加えて、三好は我らが没落したことを契機として若狭にいる幕臣の所領を没収するとの報が入ると老臣共は皆動揺し、余を見捨てて京に逃げ帰りおった。このような不忠義者共の諫言なぞ聞き入れる価値は有るまい。
思い通りに行かぬ現実から逃避するように酒を呑んでいると、進士晴舎が面白き報告を持ってきた。
「公方様、ここに控えて居るものは美濃の齋藤から遣わされた使者に御座います。」
「齋藤といえば、我が譜代の家臣である土岐家より美濃国の実権を奪ったもの達ではないか!」
「公方様、ここは一旦落ち着きこの者の話を聞きましょうぞ。」
「む…わかった。直答を許す。」
「某は齋藤利政の家臣長井道利と申します。公方様にお目にかかれて光栄でございます。」
「要件は何ぞ。」
「我が主君齋藤利政は、悪戯に美濃を混乱させ、民を苦しめる土岐頼芸を国衆達の支持を得て追放致しましたが、公方様への奉公の気持ちに二心はありませぬ。」
「.........何が言いたい。」
「我が主君は、もし公方様の御下知が下れば軍勢を率いて近江に攻め入り公方様を京へお戻りになられる手伝いをする用意が御座います。」
長井の言葉に余は思わず体が前に出た。まさに待ち侘びていた言葉が出たからだ。武田も朝倉ものらりくらりと躱すだけだった、余の最も欲する言葉が出てきたからだ。
「それは誠か。」
「はっ。誠に御座います。されど我が主君には、美濃を強力に纏め公方様により一層を奉公をする為の大義名分が御座いません。されど、美濃は忠義心に暑い者が多くおります。どう「良かろう!齋藤利政を美濃守護に任じよう。」誠によろしいのでしょうか。」
「余が直筆の書をもって、守護に任じよう。されど、その恩に対する奉公として余、必ずの京への帰還を手助けするのだ。」
「何と言う、即断即決。余人には出来ぬことであります。公方様の判断のお陰で我が主君は、1万余りの軍勢を率いて参陣致すことが出来まする。」
その後、紙と筆をもって齋藤利政を美濃守護に任ずる書をしたため、長井某に持たせ直ぐに美濃へ送った。
「進士、今すぐに朝倉と若狭の武田に使者を送れ。我らは来る来年の4月、越前の雪解けをもって齋藤、朝倉、武田の連合軍をもって六角、三好を成敗し、京に上るとな。」
進士は、頭を軽く下げると部屋の外に出ていった。それを見届けると余は、扇子を広げ舞を舞い始めた。この盤面を一気にひっくり返す事が出来るやもしれん。そう思うと、嬉しくて堪らぬ。3代義満公以来の幕府の強勢をもたらすのは余をもって他にないであろう。
齋藤氏に関する資料が高すぎる!
歴史の専門書高すぎる!




