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六角氏軍記~戦国乱世を生き抜きたい~  作者: タスマニア


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元服式

やっと元服した。

 1553年 9月 観音寺城 山科言継


 今日、朝廷より勅使に任ぜられた近衛卿を烏帽子親として、佐々木義賢殿の嫡男亀寿丸の元服式が行われる。この一世一代の晴れ舞台に六角家の家臣達は皆贅を凝らした衣装を整え、この日を待ちわびていた様だ。夕日に照らされる中、着飾った家臣達が列を成し本丸の中に入っていく光景は壮観であった。


 その後に我ら招かれた公家や他の大名からの使者がそれぞれの席に案内を受ける。暫く席で待っておると無事に元服を終えたのであろう、新たに大人の仲間入りを果たした義賢殿の御嫡男名は忠定で会ったか、彼が席に着いた事で祝宴が催された。


 運ばれて来るのは皆贅が尽くされたものであり、他の元服式の祝宴とは違い盛られた料理の量も多かった。大量の酒も出てくる。援助や替地からの年貢によって生活に余裕が出来たとはいえ、腹いっぱいの食事や多量の酒を飲むことが出来る日は殆ど無い。周囲の公家達も礼節を失わぬようにしながらも、料理の殆どを平らげ何杯も盃を飲み干す。酒にも多量の種類があり、飲み慣れた濁酒や清酒等を選ぶ事が出来た。


 帝が佐々木家に入れ込むのもよく分かる話である。これほどの財をなし、精強な近江の兵を抱えている大名であったとは。麿も少し見くびっておった。


 次期当主の忠定殿は、聡明叡智であり野心家であるとも言う。後数年経てば近江の周辺で大名の勢力が大きく変わる出来事が起こるであろう。


               六角忠定


 元服式ではまず鬢所に赴き、正式な衣服に着替える。そして、加冠の座に移動する。座敷の広さは南北三間、東西二間半の板間である。壁に沿って畳が置かれ、座敷の西側を正面と起き東側に御座が設けられ、その前に円座が置かれ、西側には御簾がかけられていた。


 練習通りに御座に着くと、加冠役である近衛稙家が入室し、西の座に腰を下ろす。その後に理髪の三雲定持が、立烏帽子を盆に載せ持ってきた。そして私の右脇に置いて退出する。次に打乱の朽木晴綱が打乱箱を持ち入室し、私の前に置き、蓋を開けて退出する。泔坏の大原高保が泔坏を運び、私の左側に据えて退出する。理髪の三雲定持が入室し、丁寧に髪を梳り、紫組紐を使い髪を結び挙げる。結び終わった三雲定持が退き、近衛稙家が進み出、恭しく立烏帽子を被せる。


 この瞬間を持って、私は大人の仲間入りを果たすこととなった。これによって、できることの幅が増えていくが、相応の責任を担わねばならなくなる。甘えは許されなくなったのだ。


 席に戻った近衛稙家は自らの前の盆に置いてあった勅書を手に持ち広げ読み上げる。


 「佐々木家の朕に対する忠義を褒め讃え、忠義より忠の字を、そして其方の祖父定頼より定の字を取り、名を忠定とする。謹んで受けるように。」


 「帝御自らお考えになられたこの諱、身に余る光栄であります。より一層の朝廷への忠義を尽くします。」


 これにより名乗りは、亀寿丸から忠定となった。そして、元服式は終わりを迎え、祝宴の会場に移ることとなった。


 祝宴の場では、各地の大名から送られてきた使者や下向してきた公家達への挨拶に忙殺されることとなった。食事を殆どとることが出来ない中、睡魔にも苦しみながら使者と挨拶を交わし、公家達と和歌を読み合ったりするのであった。



              山科言継


 祝宴もそろそろお開きとなる時が近づいてきた。夜になってから始まった祝宴ももうすぐ日の出の時刻である。何人かは、力尽きて首が座っていない。かく言う私も、気を抜けば直ぐに眠りそうになってしまう。この場で、恥をかくことは出来ぬ。


 それから少し時が経ち、多くの箱を盆に載せた者たちがやってきた。我らの前にあった膳を回収していき、替わりに箱を置いていく。箱には佐々木家の家紋が焼き入れられており、しっかりと封がされている。箱自体も何重にも漆が塗り重ねられ、螺鈿細工が施された高価なものであった。


 箱が皆に行き渡った時、此度の主役である佐々木忠定殿が前に進みでる。


 「今宵お集まりになられた皆様につまらぬものですが、贈り物をさせていただきました。どうかお持ち帰りください。」


 この言葉を最後に祝宴は終わり、麿らは屋敷に帰る元気のあるものは山を下り、疲れ切っているものは、城の宿所に案内を受ける。麿は、外で待っておった家人に箱を託すと、馬に乗り麓の屋敷へと帰宅する。此度の祝宴は誠に豪勢なものであり、いたれりつくせりであった。誠に羨ましき事よ。



             六角忠定


 疲れきった体を三雲賢持に支えられながら、自室に帰る。


 「若様、いやこれからは忠定様ですな。祝宴での振る舞い誠にご立派でありました。我が父も、祝宴で人目をはばからず涙を流しておりました。」


 「上手く振る舞えたようで安心した。最後の方は疲れて記憶が飛んでいた故。」


 自室に辿り着くと、いつの前にか部屋にいた千が布団を敷いてくれた。そこに横になると一瞬で気を失った。寝ると言うよりも気絶にちかい感じであった。現実は元服の興奮よりも、疲れが勝るのであった。

これから1556年まで時の進みが早くなる予定です。

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> 自室に辿り着くと、いつの前にか部屋にいた千が布団を敷いてくれた。そこに横になると一瞬で気を失った。 これは際どいですよ!
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