将軍再びの没落
時が進まない。
1553年 8月 京 近衛稙家
先月の末頃には公方自ら西院城を攻められたが落とすことができず、今月の1日にも公方自ら船岡山に凡そ2千の兵を率いて陣取られた。この間、背後の東山霊山城には奉公衆の松田らが立て篭もっておった。しかし、各地からの援軍を得た2万5千の三好勢に対し激しく抵抗したものの僅か5日で逃亡した。これをみた細川晴元も、一戦もすることなく逃亡した。
噂によると3日に丹波の山国庄に逃亡し、5日には近江の龍華に移動し、更に若狭の小浜にまで落ち延びたと聞いた。ここで麿に疑問が生じた。何時もなら近江の朽木谷に潜伏し再起を計るはずなのに、何故か此度は若狭まで逃亡しておる。近江は六角家の本領。そこに攻め込むことは三好をもってすらできることではない。そのような麿の疑問は公方の逃亡と入れ替わるようにやってきた進藤殿によって明かされたのだ。
「御屋形様は、此度の公方様の無謀な蜂起により、予定していた御嫡男の元服式が開催出来なくなったことにお怒りになっております。更に龍華に逃れた公方様を保護し、流れかけた元服式を行おうとした所、それを拒み若狭に逃れた事に酷く落胆されております。我が六角家内での幕府への不審は今までにないものになっております。」
「そのような事が麿の知らぬ間に起きていたとは...」
その様に嘆いた直後、ある考えが、思い浮かんだ。それは、三好と六角が共謀し堺公方を担ぐ可能性である。両者が手を結べば畿内とその近国において並び立つ大名は存在しない。そのような事になれば義輝と強力に結びついて朝廷内での権勢を確保している我が近衛家があの憎たらしい九条家におい落とされることとなる。
今の麿の顔は、今どうなっておろうか?恐らく顔色を失い、恐怖に顔が歪んでおるのだろう。麿は進藤殿に倒れ込む様に縋り付く。平安の御世であれば考えられなかったことだ。
「進藤殿。どうか、どうか義輝を見捨てぬよう取り計らってくれぬか?勝手な願いではあるがどうか、麿の顔を立てると思うて...」
「近衛殿落ち着き下さい。某は、御屋形様を説得するための材料を欲して近衛殿を訪ねたのであります。」
「麿に出来ることなら、何でもやりまするぞ!」
一応六角方に直ぐさま公方様と手を切る考えは無いようである。麿は少し落ち着くと、冠と衣服を整える。
「して、その材料とは如何なようなものなのですかな?」
両者の仲を修復するのは早ければ早い程よい。麿は進藤殿の話に耳を傾ける。
「近衛殿の御力をもって帝からの勅使を御嫡男の元服式に迎えたいと思っております。どうか御尽力頂けないでしょうか?」
「それは...武家・公家の両者において前例が無きこと故に...」
「ならば、御屋形様を説得するような材料無く帰ることとなります。もし幕府と敵対する様な事があれば今まで通りの献金も難しゅうなりますな。」
露骨な脅しである。されど我ら公家は六角家の援助によってある程度豊かな生活を送れるようになっておる。これが止まれば以前のような極貧の生活となることに違いあるまい。地方に下向しようにも関を閉められれば、京から動くことすら出来ない。朝廷も再び儀式等ができなくなる。
「わ、解り申した。微力ながら帝に上奏してみよう。」
麿がそう言うと進藤殿は満足そうに頷き、心付けと称して箱を1つ置いて行かれた。中にはぎっりしと詰められた金がはいっていた。麿はその後震える手を叱りつけながら、上奏文を書き記すのであった。
同月 観音寺城
「公方様も馬鹿だよな。後ろ盾に喧嘩を売るなんて。俺より馬鹿じゃねえの。」
何故ここに千がいるかというと、傷心の俺を慰めるという建前で遊びにやってきたのだ。
「出雲守の娘、流石に公方様もお前よりは...いやお主よりも「定持、その様な事を申すな。何処で聞かれておるか分からぬぞ。」失礼致しました。」
「お前もだ千。少々口が軽すぎる。これが続くようだと、前に渡した刀を取り上げるぞ。」
「お堅いやつ〜」
千の絶対に反省していない返事の後に、三雲定持が何度目か分からぬ目に涙を浮かべながら話し始める。
「しかし、若様。爺は悔しゅうございます。定頼殿・御屋形様・若様の三者を一度に侮辱する様な事をするなど許せませぬ。」
「なに、もう少し経てばあちらから頭を下げてくるさ。若狭の武田如きでは公方を京に復帰させる事など天地がひっくり返っても有り得まい。必然的に我らに頼るしか公方には方法がないのだ。」
やはり体面を最も重視する武家において、ここまで主君をコケにされた事により皆視界が狭まっているように感じる。このままだと足を掬われるような出来事が起こるかもしれない。一度冷静になってもらわねばならない。
「定持、お主が子供より動揺してどうする。私が知っている其方は、内側は炎のように熱いが常に冷静な男だと思っていたのだが。」
「若様にここまで諭されるとは...誠に立派になられました。某も心を入れ替えねばなりませぬな。若様、お見苦しいところをお見せしました。」
「そうだ。その姿こそ、我が守役の定持よ。これからも頼りにしておるぞ。」
「勿体なきお言葉。」
流石は宿老、潜り抜けた修羅場の数が違う。スイッチを切り替えるように心を落ち着かせ何時もの様子に戻った。やはり最も信頼出来る俺の腹心である。
大戦犯上野信孝。彼は生きて京に戻れるのか。
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