晴元逆襲す
しぶとい。しぶといぞ細川晴元。
1552年 10月 観音寺城
今月の20日、細川晴元方の京への侵攻が近づいて来ているという報告を受けたのか、京にて伊勢貞孝と幕府奉公衆ら2千人が打廻りを行ったようだ。
対する細川晴元も北陸に落ち延びた後、長尾景虎・朝倉義景北陸の諸大名と書状をやり取りした後、今年の8月頃に丹波国の宇津城に入り京を伺っていたようだ。そして、伊勢貞孝らが京で打廻をしている同日丹波国において内藤勢と戦い勝利している。
三好長慶は、細川晴元を叩くべく5日後の25日、伊勢貞孝と共に丹波に出陣した。しかし、その行動を読まれていたのか晴元は軍勢を率いて三好勢と入れ替わるように京の西側嵯峨方面に侵攻した。翌日には大徳寺付近の蓮台野にも晴元方の軍勢が出現した。これらの行動により、晴元は、強大な長慶と真正面から戦う気は無く、京を抑えることによって優位に立とうと考えているのだろう。
京の防衛は、幕府奉公衆が担うこととなり約1千人ばかりが船岡山に陣取ったようだ。
京 御所 上野信孝
「大樹、晴元殿が京を抑え用としている今、大樹自らお立ちになられば三好から政治の主権を取り戻せますぞ。この好機は、二度と来ないかもしれませぬ。どうか我らに御命令を。」
「上野、其方の気持ちは良くわかる。されど今はまだ立つべき時ではない。摂津の反乱が鎮圧されつつある今、我らが立っても直ぐに鎮圧されるだろう。時は必ずや来る。今は、晴元を追い返すことに専念せよ。」
大樹の諭しに、どうやら私はかなり事を急いでいた事を知った。確かに京に晴元勢が入ったことだけを見て好機であると判断していた。大局をみると判断三好方は推されており、まだその時では無いことが今の私には見ていなかった。
私は、大樹に非礼を詫び、自ら武具を整え兵を率いて船岡山に向かっていった。
11月 観音寺城
幕府奉公衆が船岡山山に陣取ってから半月後、丹波にいた三好長慶は軍を引き上げ11/13日伊勢貞孝と共に京に帰ってきた。しかし、直ぐに伊勢貞孝を京において摂津に帰ってしまった。丹波攻めで大きく消耗してしまったのか、摂津で唯一人戦っている芥川常信を成敗しに行ったのか分からないが、この行動による影響は大きい。
三好長慶が京から引き揚げた翌日、波多野一族で長慶に味方していた波多野秀親が晴元方に帰参した。そしてこの2週間後の27日、細川晴元自身が率いる軍勢が京の西岡に進軍、嵯峨に陣取った。
将軍義輝は、東山霊山城に後退してそこに籠った。奉公衆もこれに従い船岡山の陣を引き払った。城に籠った翌日晴元勢が城攻めを始めたようだ。この戦いの余波によって建仁寺や五条坂等が放火されたようだ。
このまま城を支えれるかという時、河内より安見宗房が援軍として派遣された。これを聞いた細川晴元は、直ぐ様軍勢を丹波に引き揚げた。籠城戦は僅か2日で終わったようだ。
12月 京 霊山城 上野信孝
「信孝、其方が正しかったのかも知れぬ。長慶は、将軍である儂が晴元に攻められ危機にある時に、一部の軍勢すら残さず芥川討伐に向かっていった。」
「私も大樹を放置して行くとは夢にも思いませんでした。これ程までに大樹を軽んずるとは。」
長慶の行いは、まるで細川晴元に大樹を始末させようとする意図を感じるものであった。この行動は、我らに不信感を植え付けるには十分であり、ごく僅かながら反三好の同士も集まった。他の幕臣は、愚直に和睦を守ろうとして我らの誘いを断った。三好の力を恐れ、大樹を支えるという本来の目的を忘れる幕臣が多いということに悲嘆せざるを得ない。
長慶は、主君を裏切る不忠者であり新たな主君の細川氏綱も実質的な傀儡である。長慶なら自らの意に沿わぬ義輝様を亡き者にしようと考えるのは当然のこと。大樹あっての我らであって、三好は大樹の代わりには成れぬ。皆その事を忘れておる。大樹の権威は奥州から九州まで日の本の端からは端まで響いている。対する三好は、精精畿内と四国の阿波ぐらいのもの。それなのに三好は、将軍を飛び越えて朝廷と交渉しておる。六角ですら将軍を通して朝廷と交渉している。
悔しいかな。何とかして幕府を再び盛り上げる為に君側の奸である三好長慶を除かなければならぬ。
観音寺城 亀寿丸
三好長慶の行動によって将軍義輝を始めとする一部の幕臣には、三好に対する不信感が出てきたようだ。特に上野信孝が中心となり、反三好活動を展開しているようだ。しかし、殆どの幕臣はこの和睦を守ろうとしており、極一部しか活動は広がっていない。
我が六角家としても、この和睦が崩れると再び三好家と戦う可能性が出てくる。国内に注力している現状で三好家とは戦いたくない。そこで、甲賀衆に命じて上野信孝を中心とした幕臣らが三好長慶を排除しようと画策している情報を畿内に流させよう。疫病神である将軍は、三好家に抱え込ませていた方が此方にとっては都合が良い。
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