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六角氏軍記~戦国乱世を生き抜きたい~  作者: タスマニア


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和睦そして内政

内政といいつ内政の話がありません。

   1552年 2月 越水城  三好長逸


 松永久秀が六角方との交渉の成果を三好長慶に話している中、三好長逸は顔を険しくしながら考えに老ける。


 (此度の和睦には、儂を含め多くの家臣が賛成しておる。殿の弟方を筆頭に極一部和睦に反対するものもいるが。されど、気に食わぬのが新参者の松永が此度の和睦の取り纏め役に抜擢された事だ。


 この重要な事柄に、一族や譜代の重臣を使わず新参者を用いるとは殿はどのような考えをお持ちなのか?)


 「長逸、長逸。恐ろしい顔で宙を睨んでおるがどうかしたか?」


 「これは、これは。顔に出ておりましたか。」


 「大いに顔に出ておった。まるで修羅の如き形相であった。」


 松永久秀との話がひと段落したのか、殿が儂を揶揄う様な感じで話しかけてきた。


 「和睦後の領地を治める困難を考えておりました故。」


 「気が早いぞ長逸。今は、松永久秀の話をよく聞くのだ。重臣のお主が何も知らぬことは許されぬぞ。」


 「はは。」


 「久秀、皆の為にもう一度話してやってくれ。」


 「はっ。此度の六角家を訪れ内情を見てきましたが、定頼の死による家中の動揺は殆ど見られませんでした。


 少し煽るような物言いをしても当主義賢は、家臣をよく抑えておりました。まだ粗削りではありますが、相当優秀な男でありました。加えて優秀な家臣団を持ち、多くの若手の台頭もあると聞きました。


 ここで和睦を結ばず、このまま戦い続ければ勝つことは出来たとしても、大きな損害を受けることとなります。それは、三好家の将来の為にはなりませぬ。更には、相手には将軍が付いており、大義はあちらにあります。ここは、一時の恥を堪え六角家に和睦を乞うべきです。」


 「されど、六角家は自らに有利な条件を出して来ている。ならば我らも他の条項で相手に譲歩を求めるべきではないか?敗者の如く出された条件を諾々と飲むべきでは無いだろう!」


 和睦反対派の十河一存が反論する。これには多くの家臣達が賛意を示す。現状は、細川晴元は力を失い六角家は少しではあるが動揺しているのだ。松永久秀は直ぐさま反論する。


 「されど六角は、まだまだ余裕を残しておりまする。傘下に加えた、浅井などの北近江衆・北畠などの伊勢衆が後に控えておりまする。六角が支配しておる領域は、130万石に上り(のぼり)まする。対する我らは、瀬戸の海によって領地が2分されておるのですぞ。戦が長引けば、摂津・和泉の者達が再び反旗を翻すかもしれませぬ。ここは、一時の恥を堪え、領地の安定化を図ることこそ100年先を見据えた大計にございます。」


 三好長慶は、両者の議論を聴きながらゆっくりと腕を組み目を閉じ考えを纏め始めた。三好長逸・十河一存・安宅冬康ら、一族・譜代の重臣達は和睦に反対である事を徐に顔に出している。考えを纏めた三好長慶が口を開く。


 「此度は、六角家の出した条件を全て飲み、和を請おうではないか。我らは、所詮阿波の田舎者、摂津・和泉らの国人は心の底からは我らには心服していないだろう。まずは畿内での足固めを行わなければならぬ。六角と雌雄を決するのは、それからでも遅くはあるまい。」


 三好家を一代でこれ程までの大勢力に導いた英傑の判断に逆らえる者など誰も居ないのだ。ここに六角と三好の和議がなる事となった。


   1552年 2月 観音寺城


 今月の28日、我が六角と三好の和議が成った。これにより将軍足利義輝は、京に帰ることとなる。俺としては、三好家内部で大きな反対が生じるとは思っていた。今回の和睦を取り纏めた松永久秀が相当優秀である事が伺える。


 その松永久秀は、出生がはっきりとしない男であり、そのような男に大任を任せられる三好長慶は、やはりこの時代の英傑である。


 才気煥発な人物とは、正面を構えて戦いたくは無いな。このまま、三好との友好が続くと嬉しいものだ。


 これから数日後、将軍上洛の為に六角家は、数千人の兵を護衛としてつけた。この行列の様子は、これを見た人々を驚愕させるものであった。


 今回の和睦の目玉である人質交換は、戌の刻に細川晴元次男は入洛し、東寺に入った時から始まった。そこでは、三好千熊丸などの三好側の多数の出迎えが待っていた。六角家は、細川晴元次男、蒲生・後藤・三雲の子息を人質として差し出し、三好家は、千熊丸・松永・斎藤の息子・三好日向の息女を人質として、それぞれ交換を行った。


 これにより、三好家と六角家は今までの遺恨を全て水に流し新たな関係を築いて行くこととなった。


 話を外交から、近江国内の内政に目を向ける。そこで見て欲しいのがこの図である。


挿絵(By みてみん)


 ・黄色は、六角氏・赤色は、京極氏の直轄領であり灰色は、浅井氏領である。残念ながら浅井氏の直轄領を詳しく探ることが出来なかった。


 祖父・父の2代に渡る大名権力の強化の結晶がこの南近江における黄色範囲広さである。そして、将来この黄色に加わる予定の赤色の京極氏直轄領を含めると近江での六角家の地盤かかつて無い程に強化されていることが分かる。


 近江の凡そ、4分の1を占めるこの範囲の中では検地が行われ、土地の生産能力を把握し、新たな農法・農具の普及が進んでおり、他の近江国内の同じような土地と比べ約2割の生産能力の向上が見られている。さらに、道路を整備し、関所の数を減らし商売をやりやすくする。


 これらの施策により六角家は、多くの銭を獲得することに成功している。いざとなればこれを軍事力に転換する事が出来る。六角家は、家臣を強力な統制下に置く戦国大名へと脱皮しつつあるのだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 三好三人衆と譜代の面々、そういうとこだぞ そういう自分達の方が凄い、偉いという、新参の癖に生意気だという傲慢さがあるから、松永久秀が使者に送り込まれるし、松永に手柄取られるんだぞー そう…
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