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六角氏軍記~戦国乱世を生き抜きたい~  作者: タスマニア


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王室の藩幹・武門の棟梁

義輝の官位低すぎ。

1552年 正月 1日 観音寺城


 「義賢、義賢は何処におる。」


 「父上、義賢はお傍におりまするぞ。」


 「儂の命もあと一日持つかどうか。お前に伝えたいことがある。然と聞け。」


 病が身体を蝕み切っているのか、定頼の顔には汗が浮かんでいる。しかし、その顔に苦痛は浮かんでいない。その恐るべき精神力で押さえ込んでいるのだ。


 「はっ」


 「何度も言ったがお前は儂が居なくても十分にやって行ける。無駄に心配することは無い。今までやってきた事を繰り返すのみ。心配なのは孫の亀寿よ。彼奴は、教育次第で我が家を繁栄か滅亡のどちらかに導く事となる。儂もお前も構ってやれず寂しい思いをさせた。儂も病の身をおして、色々と教えたが如何せん時間が足りぬ。三雲定持だけに任せるのでは無くお前も確りと彼奴に目を向けてやるのだ。」


 僅かな時間も惜しいとばかりに、一気に話しきる。戦場では大きく響き渡る声を何度も張り上げていた巨星の声とは思えない程、その声は掠れていた。


 「父上、これ以上はお体にさわります。」


 「どうせあと幾許かの命構わん。儂とお前の様な関係をお前は、儂の立場となり亀寿と関係を築くのだ。必ず良い関係を作るのだ。我が六角家がここまで繁栄出来たのも家臣との強固な関係があってこそ。人を大切にすることこと我が六角家繁栄の秘訣。亀寿は、人にどう見られるか、対人関係が不得手と見えた、ここを必ずや直させよ。家臣達に最後の言葉をかけてやること、孫の治世を見ることなく旅立つのは全くの無念。これからは草葉の陰でお前達を見守ることとしよう。」


 遺言を述べ終わった六角定頼は、義賢に系図等の伝来の品を送った後、再び眠りについた。齢58、稀代の英傑の最期は穏やかな物であった。


 翌日、祖父の死の報と共に起こされた俺は、近江興禅寺より来た僧侶が経を唱え、殿のお名前を呼びつつ没後喚起を行い、生死を確認するのを遠くより眺めている。


 隣に居る三雲定持は、大粒の涙を流し、祖父に向かって頭を下げている。その他の家臣も皆涙を流し声を押し殺している。


 死を確認された祖父は、北枕に寝かせられ、衣をかけられる。そして、僧侶が枕元に点けられていた燈明の火で、香に火を移す。そして他の家臣達が几帳や逆さにした屏風を祖父の周りに建て巡らせた。


 そして、僧侶が先導する形で読経が行われる。香が炊かれ、蝋燭の火が揺れ、読経の響く中祖父の遺体は、棺の中に収められお寺の方へ運ばれて行く。


 寺に運ばれた祖父の遺体は、沐浴をした後に髪の毛を剃られ、死化粧を施され、墨染の衣を着せられ、袈裟を付けてもらい、最後に帽子を被せられる。一連の流れを行うのにかなりの時間がかかった。その間に父上が六角家当主になりこの葬儀の喪主を務めている。


 そして葬儀は、2月7日近江興禅寺で盛大に行われる事となった。数多の公家・武士多くの人々が、参加したものだった。さらには、勅使が帝の代理としてやってこられた。そして、祖父定頼は、正三位大納言が追贈された。


 よく教え導いてくれた祖父の死は、俺にとってとても大きなことであった。祖父の対人関係能力の改善という遺言は、確りと心に刻んで起きたい。


 新当主になった義賢の初仕事は、早速訪れた朝廷からの使者を持て成すことから始まった。


 「我が父の弔問の為に遠路遥々よりの来訪、精一杯歓迎させていただきます。」


 そう言いながら、上座に座る朝廷からの使者を持て成して行く。そして、場が温まったところで使者が口を開く。


 「先の弔問では、帝は、勤王家であった佐々木参議従三位定頼朝臣殿の死を大いに悲しまれ、定頼殿の功績に鑑み正三位大納言を送られたことを伝えました。此度の訪問では、義賢殿のこれからの勤王を望むと共に新当主就任のご祝に帝は、従三位左近衛大将に義賢殿を任じられた。これからのより一層の忠義を求めるものである。」


 「これから、朝廷へのますますの忠義を尽くす所存であります。」


 このあとも多少会話を交わし後、使者に御礼の品を持たせた後京に向けて出立するのを見送る事となった。


 本来は、将軍を挟んで官位の叙位任官を行うのだが、帝の代理としてやってきた使者に否と言える訳もなく義賢は、従三位左近衛大将となってしまった。この時の将軍足利義輝の官位は従四位下であり参議と左近衛中将である。


 この叙位任官は、将軍足利義輝を軽んじるものであり、朝廷は足利よりも六角を頼りにしていることを完全に内外に知らしめる事となった。


      同月 摂津国 石山本願寺


 「門主様、今月の晦日六角定頼殿が亡くなられたようです。」


 「それは、本当か。」


 「はっ、明照寺からの報告であり、本当の様でございます。」


 証如は、部屋にいる者を皆下がらせると狂喜乱舞した。幾ら自らの長男の妻に六角定頼の猶子を迎え入れたとは言え、常に多大な圧力を掛けてくる六角定頼は、疎ましい存在であった。


 (やっとあの、老いぼれがくたばった!大変な朗報であり、年来の不快さが忽ち解消されたわい。まさに宿願がかなった時ぞ!)


 そのような相手が死んだこともあって本願寺は、多少のお祭り騒ぎであったという。



      摂津国 越水城 三好長逸


 (定頼の死の報告により三好家中には明るい兆しが漂っている。主戦派の定頼の後を継いだ義賢は、我らとの和平を模索しているという。さらに我らの後背を脅かす事を期待されていた大内は、大規模な内乱に巻き込まれておる。将軍との和解も近いかもしれぬ。)


 そのような事を考えていると主君三好長慶は、松永久秀を呼び出し命を与える。


 「松永は、私の代理として弔問と新当主の六角義賢殿と、和議を結べるかどうか探って欲しい。」


 「了解しました。必ずや和議の為の協議を行って参ります。」


 長慶は、新たな領国を確りと確保する為に、ここで細川と六角の仲を割き将軍と和睦したい思いがある。それに家督の継承で統制が取りにくい今ならば、三好に有利な和議を結べるだろうとの考えもあった。


 (もし和議が上手く行けば我らは、天下の殆どを掌握する事が出来る。四国の田舎者が主君を押しのけて天下を握ることが出来るのだ。)

六角家当主が将軍の上司になっちゃった。捩れ国会とかのレベルじゃねえ!

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「従四位上」定頼朝臣殿の死を大いに悲しまれ、定頼殿の功績に鑑み正三位大納言を送られた 新当主就任のご祝に帝は、従三位「上」左近衛大将に義賢殿を任じられた。 以前の大量任官時に 祖父定頼が従三位参…
[気になる点] 近衛大将って平安時代以降(以前は参議以上)基本的に権大納言以上から左大臣が兼任する官職で大臣の兼任も多い事から本来上の権大納言よりも重職と見做されていたそうです。 例えば、信長も大納…
[良い点] 祝 三位越え!
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