河内動揺
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1551年 5月 山崎 三好長逸
将軍との戦いに向けて準備を進めて行く中、突然の悲報が我らの元に入ってきた。それは我が殿の義父である遊佐長教が暗殺されたのだ。
遊佐長教殿は、殿の重要な同盟者であり、良き兄貴分の方であった。また、余所者であった我らを暖かく迎えてくださり、三好家が畿内で基盤を築くのを大いに手伝ってくださった恩人である。ここで長教殿が不幸にも亡くなられたことは我らにとって大きな損失である。
長教殿は今月の5日、帰依しておられた時宗の僧侶である珠阿弥によって殺されたようだ。この珠阿弥は長教と対立していた何者かに買収され事に及んだようだ。長教殿の跡継ぎはまだ齢3つであり、家中の混乱を納めることは出来ない。故に長教殿が亡くなったことが広く知られ動揺が広がれば、将軍がつけ込む隙が生まれてしまう。
河内国が動揺すれば、背後が荒れることとなる山城国を抑える事が難しくなる。帝の御座す場所を抑えられなくなったら、我らの唯一の正統性を失う事となる。
これを防ぐために、殿は長教殿の死を最低3ヶ月は伏せるように仰られた。更に深く介入し、遊佐家家中を纏めるために遊佐氏内衆の二大勢力である萱振氏と安見氏の婚姻を纏められた。
遊佐家中の混乱が広がれば、遊佐が支えていた畠山家中が同じように乱れる。そのようになれば当然河内が乱れる。この混乱が隣接する紀伊、大和が乱れればここぞとばかりに将軍の腕が伸びるであろう。
我ら三好家家臣一同混乱が広がらぬことと遊佐長教殿が成仏出来ることを願うばかりである。
6月 観音寺城
史実通り先月遊佐長教が時宗の僧侶に暗殺されたことを知った俺は、伊賀・甲賀の忍びを動員して安見宗房が遊佐家中を牛耳るために遊佐長教を暗殺したとの風聞を畿内各国に流させた。
これにより、死を伏せられていたことが明るみになったことにより、萱振・中小路・中田・吉益と安見・走井・丹下等の河内国内の有力者の対立が発生し国内が大きく動揺する事となった。
三好側の素早い対応により他の国に動揺が広がることはなかったが、将軍との戦に集中出来なくすることは出来た。この対立は戦で決着が着くまで収まらないだろう。
三好から視点を国内に移すと、今浜城の主要部分が完成し京極高吉が入ることとなった。正室は人質として観音寺城城下の屋敷に留め置かれることとなった。また、浅井氏は京極高吉の配下には入らず六角氏に服属する事が取り決められた。
六角氏領国内は北近江を除き、伊賀・伊勢は比較的安定している。しかし、北伊勢で怪しい動きを見せていた千草氏を攻めることが決まった。北伊勢での六角氏直轄領を増やし、伊勢での六角氏の立場を確たるものとするためだ。
伊賀では、国内の往来を良くするために道の整備を進めている。伊賀には泥炭がありこれを使って色々なことをやるのに整備された道は必要だからだ。道には長期間使えるように人造石法を使用したものによって作られている。
この人造石は、既存の三和土を改良したものであり、風化した花崗岩からなる真砂土と石灰をおよそ7:3の比率で混ぜたものを使用する。今回の道では、割石の間の目地に人造石を充填して道を作っている。
三好・国内と見終わって次は将軍関係である。将軍の為に一応坂本に置いてある軍勢だが、一部の国衆の動員を解いたりするなど少しづつ数を減らしている。これは、父義賢の方針が祖父とは違い、三好との戦を避けて交渉によって将軍を京に戻したいという立場の現れなのだろう。
当の将軍本人は今、混乱している河内の中で萱振氏等の三好と近しい安見氏と対立している国衆に調略の手を伸ばしている。河内国内の三好派を駆逐し、山城を挟撃できる体制にしたいのであろう。細川晴元もこれに与同して摂津での蜂起を求める手紙を盛んに送っているようだ。
交渉するにせよ、戦を行うにせよ三好氏が混乱し弱体化してくれた方が我が六角氏にとってはありがたい。その為には労力を惜しまないし、将軍も晴元も持ちうる力を十分に奮ってほしいものだ。
6月 三好長逸
「何故、我が義父の死が漏れたのであろうか?」
殿は深刻な顔をしながら呟く。この疑問はもっともだ。我らもそこまで長い期間隠し通せるとは考えていなかったが、これ程をまでに短い期間で露見するとは思わなかった。
さらには、流布された内容が問題である。遊佐・畠山家中で流れていた噂は萱振賢継が暗殺の主犯ではないかというものであったが、市中に流れているのは安見宗房が、遊佐・畠山家中の権力を握るために遊佐長教を排除したというものであった。しかも、この後者の噂が畿内各国で幅広く流布されている。
これによって、遊佐・畠山家中は萱振氏・安見氏をそれぞれ筆頭に対立が激しくなりつつある。更に萱振氏には将軍の調略の手が伸びているとの報告もある。何とか河内国内で動揺を収めようとしたが、大和・紀伊等の河内国に隣接している地域では少なからず動揺が発生している。しかし、南近畿が大きく混乱するとような事態は避けられた。
「恐らく、この河内の動揺は戦に発展するであろう。松永久秀に、河内の有力者で将軍になびきそうな者を調べ出すように命じよ。いざとなれば我らが直接河内を支配しなければならぬかもしれん。」
某は殿のお言葉を松永に伝えるために部屋から下がるのであった。
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