表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六角氏軍記~戦国乱世を生き抜きたい~  作者: タスマニア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/79

三好長慶暗殺未遂

台風動かなすぎ。

  1551年  3月 山崎  三好長逸


 殿が襲撃を受け早くも数日が経った。まさか武門の棟梁である将軍が暗殺を仕掛けてこようとは誰が考えたであろうか。だが、このことによって将軍の権威はますます下がっておる。


 現に我らの元には山崎で重きをなす者は当然として、遠くの京まで我が殿のお見舞いに駆けつけているのが何よりの証拠であろう。何時の時代も卑怯な下衆は嫌われるのだ。


 我らとしてもこのままやられたい放題では、三好氏の面目が丸潰れである。殿の傷が治れば、そお遠くない日に将軍との激しい戦が始まるであろう。


 さて、将軍が卑劣なことに我が殿の暗殺を図ったのは、将軍が我らに対して極めて劣勢な立場にあるということだ。


 我らと将軍が支配している両国を比べると、将軍側は主に丹波、若狭、近江、伊賀、伊勢、志摩の6カ国。石高は合わせて190万石。我らは、讃岐、阿波、淡路、河内、摂津、和泉、山城、大和、紀伊の10ヶ国。石高は合わせて200万石。我らの方が僅かに優勢である。


 これを見るとそんなに将軍側が劣勢とは思えない。しかし、若狭の武田氏は家中の不和が大きく我らに戦力を向ける余裕は無い。細川晴元は、領国の殆どを失い、残った丹波も敵味方入り交じる様子であり統制が殆ど取れていない。それに晴元の手勢は僅かでありそれも今までの戦で大きく損耗しておる。


 最も手強い相手である六角定頼は、最近北近江支配に大きな前進があったがつい最近まで、北近江では反六角勢力が蜂起していた。これを平定した今でも、背後の美濃斎藤氏とは元国主の土岐頼芸を巡って関係が悪化しており、常に背後を気にしなければならず我らに対し全力を出せない。


 更に、当の六角定頼は病に伏せっており、その職務を代行すべき六角義賢は将軍の命によって坂本に縛り付けられており、内政において大きな混乱が生じており我らへの対応は二の次となっている。


 これに対し我らの事情としては、四国において讃岐の背後に位置する伊予国主の河野氏は国内を纏めきれていない。更に南伊予には西園寺氏等の河野氏に反抗する勢力が多くあり、我らと敵対することを望んでいない。


 土佐国では、一条氏、安芸氏、長宗我部氏等が激しく争っており土佐国の外に目を向ける余裕はない。


 摂津の背後の播磨国では、国主の赤松氏の勢力が守護代である浦上氏との争いで大きく退潮し、そのせいで大小の領主が互いに争いあっており我らと敵対する大きな勢力は存在しない。


 これらのことから分かるように、将軍側の大名達は皆国内が混乱しているか、背後に大きな脅威を抱えており我らとの戦いに専念が出来ていない。それに対し、我らは将軍側との戦に集中出来ており石高差以上に我らは有利に立っている。


 無論我らも完璧ではなく、大きな弱点を抱えている。それは我らが急速に拡大したことと殿の跡継ぎがまだまだ幼いことである。


 やはり我らの本貫地は阿波のある四国である。ここ畿内では我らは余所者であり、従っている畿内の有力者達は我らが強いから従っているだけであり、心の中では田舎者や余所者として侮蔑しておるであろう。


 もしここで殿の身になにかあり、我が家中が大きく動揺すれば、我らのことを心では侮蔑しておる有力者達は一気に反旗を翻すであろう。


 此度の殿暗殺未遂は、先程話した将軍側の劣勢をひっくり返へすために将軍ができる唯一の手段なのだ。この手段を取るということは将軍が相当に追い詰められていることを示しておる。


 現に殿が襲われた時、成功失敗を問わず我らが混乱していることを見込んで香西元成などが東山を焼き払ったのが将軍が主犯である何よりの証拠だ。


 もし進士賢光の単独犯なら、なぜあ奴らが殿が襲われた翌日に我らを攻めることが出来るのか。まさか進士が物の怪を操っているのではあるまい。将軍が計画を立てて後ろで糸を引かねばあれ程連携が取れるわけがない。


 我らが畿内の覇権を握っている今、将軍との和睦は将軍の最後の頼みの綱である六角定頼の寿命と息子の方針であろう。どちらにせよ我らは、将軍の卑劣さを喧伝しつつ、畿内の王者として堂々と戦い続けるのみである。



            4月 観音寺城


 平井定武に兵の指揮を任せたことによって父義賢が観音寺城に帰城することが出来た。これにより。滞っていた政務をやっと捌くことができる。


 坂田郡へ京極高吉を配置するために今浜に城を建てる為の資材、人員の徴発。浅井久政への処罰など溜まりに溜まったものを一気に捌いていく。


 今浜に城を建てる為に在地の有力者から資材、人員を徴発し、次は、浅井氏を完全に支配下に入れるために平井定武の娘を義賢の養子として浅井久政の息子猿夜叉との婚姻を結ばせることを決めた。


 北近江の問題を次々と捌き、他にも観音寺城に持ち込まれる各地からの嘆願、訴訟案件なども捌いていく。範囲は北近江から南伊勢までと広範囲に渡る。


 父が八面六臂の活躍をしている中、俺はひたすら祖父の経験や哲学を勉強し吸収していく。

順調に見える三好側ですがこれから大きな事件が起こるのでお楽しみに。

いいね・ご意見・ご感想お待ちしております。


 作中の今浜は、現在の滋賀県長浜になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 長浜となってますが、多分今浜の間違いでは? 作中の長浜が秀吉の居城だった長浜の事だとしたら、20数年後信長の長の字を一字拝領し、今浜の浜と合わせて長浜と名付けたので、この時代はまだ存…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ