後始末
ここからは三好側で大きなイベントがちらほら起きるので、三好視点が多くなります。
1551年 2月末 観音寺城
京極高広が討死したことにより、京極家当主の座は弟の京極高吉に移ることとなった。そして、現在京極高吉には後継となる男子がいないので、養子として弟の承亀丸を送ることになった。それと同時に、高吉の娘との婚約がきまった。
これにより、六角氏は京極氏を乗っ取ることとなり、北近江を完全に我が物にすることができる。浅井久政には、北近江の内浅井郡と伊香郡の2つのが安堵されたが、残りの坂田郡は京極高吉に渡される事となった。
これにより、犬上郡・坂田郡にいる浅井方の国衆の領地の没収が行われた。堀・今井の領地は我ら六角の直轄領となり、石高が大きく増える結果となった。さらに将来、京極の坂田郡が加わるので近江国内での六角氏権力の強化が図られて行くだろう。
稲葉山城 齋藤道三
「京極が討たれたか。」
苦い顔でボソリと呟く。最悪の場合は討たれると予想していたが、それが現実となると中々辛いものがある。恐らく六角の北近江侵食はさらに進んで行くだろう。
次の当主は六角に担がれた京極高吉に決まるだろう。なれば六角の軍勢が、土岐頼芸を奉じて北近江を通り関ヶ原を経由して攻め入って来る可能性が出てきた。
唯一幸いなことに、当主である六角定頼の命運は尽きかけてることだろう。故に直ぐに軍勢を集め攻めて来るといった事態にはなるまい。されど、息子の義賢は優秀な男だと聞いている。それに対して、このままあのバカ息子が我が家を継ぐようでは、行く末は織田の門に馬を繋ぐようになるか、六角に滅ぼされるかどちらかになるのかもしれんな。
我が齋藤家は、儂と父の2代での成り上がったが儂とバカ息子の2代で没落するようになるかもしれんな。嘆かわしいことよ。これも我不徳の報いというのだろうか。これからの舵取りにはより一層慎重さが求められる。我が周囲を見渡せば名門が多い。成り上がりは嫌われる。されど、国力を高め、美濃の立地を活かせば必ず活路は見いだせる。
男は、考え事によって乱れた心を落ち着かせるために自ら茶を立てる。皮肉なことに、男の心に安寧をもたらしてくれるのは、己が立てた茶室とそこに飾られた旧主の鷹の絵だけであった。
3月 観音寺城
今月の初め、伊勢貞孝が吉祥院に滞在する三好長慶の元を訪ね、そこで宴会が開かれ伊勢貞孝は大いに酒を飲んだようだ。そしてその夜伊勢氏の小童が、吉祥院に入り込み放火をしたようだ。
これを捕らえた所、共犯者がいたようで翌日の朝、近所で更に2人を捕らえたようだ。そして、その夜捕らえた3人を主犯として首を切ったがこの事件の関係者は60人に登ったと言われる。
伊勢貞孝は、中々狂った人物のようだ。こちらの見立てとしては、京の支配に三好氏の力を借りたい筈なのにその当主である三好長慶のいる場所を放火するなど、不可解な行動が多い。
一応将軍の命を受けているのかもしれないが、それはそれで、味方からの援護が見込めない敵地の中で、狂言回しを出来るなかなか胆力のある人物となる。やはり、幕府も一角の人材をまだまだ抱えている。これを侮ることはできないな。
中旬、伊勢貞孝邸に招かれた長慶が囲碁や乱舞を楽しんでいた所、進士賢光によって3度に渡り刀で斬りつけられたようだ。長慶は2刀目で負傷したようだが、命には別状が無かったようだ。そして、急遽京都を離れ山崎に戻ったようだ。下手人の進士賢光はその場で自害したようだ。
どうやら、この一連の三好長慶暗殺未遂事件は裏で将軍義輝が糸を引いていることが分かった。と言うのも、伊勢貞孝邸での暗殺未遂の翌日、丹波の宇津より進軍してきた三好政生や香西元成が東山一帯を焼き払っており、次の日には三好長虎が2万の兵を持って撃退されている。この攻撃は明らかに、暗殺未遂と連動しており義輝の策略と見て間違いないだろう。これは、追い込まれた義輝が三好長慶を暗殺することで情勢をひっくり返えそうとしたのだろう。
この暗殺事件の前に重臣である進藤貞治が没している。坂本より帰ってきて直ぐの寵臣の死によって祖父は気落ちしたのか、病は重くなるだけであり一向に良くなる気配を見せない。
父義賢が坂本で指揮を取っているが、祖父がこの有様では内政に大きな停滞が発生するのも時間の問題である。しかし、暗殺が失敗した今何時三好長慶が攻めてくるか分からない状況の今、父義賢が坂本から観音寺城に帰ることを将軍が許可してくれないのだ。
これに加えて、長期の動員を強いられている家臣達の不満が溜まっているようだ。将軍の命を無視する訳には行かないので渋々従っているが、何時爆発するか分からないようだ。父との手紙で良く愚痴られる。ここは、家臣を宥めるために再び貯めた銭、堀・今井が溜め込んでいた銭を父の元へ送る。これで不満が解消されると良いのだが。
祖父は良く俺を枕元へ呼ぶようになった。恐らく己の命が尽きる前に自らの持てる物を全て教えたいのであろう。
あれほど大きく見えた祖父の体は痩せ衰えている。祖父は震える手で様々事を紙に書き記し、それを、丁寧に教えてくれる。体力の続く限り、それを毎日繰り返す。俺への教育へ熱中したことによって、多少気が晴れたのか、医者によると少しづつ病が軽くなっているようだ。早く祖父の快癒を祈るばかりである。
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