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六角氏軍記~戦国乱世を生き抜きたい~  作者: タスマニア


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京極蜂起 2

昨日から実家に帰っているので更新が遅くなります。

 1551年 2月 佐和山城周辺 京極高広


 調略によって鎌刃城を攻略し、菖蒲獄を占領することに成功し、さらに1万余りの軍勢を持って佐和山城を包囲した京極高広は陣中において、笑いが止まらぬ様子であった。


 「浅井左兵衛尉、今の儂には定頼義賢の奴らが大いに混乱しておる姿が手に取るように分かるわい。」


 「某にも高広様の見事な御計略によって慌てふためく、六角の者共が僅からながら想像出来まする。」


 浅井久政の胡麻すりに更に気が良くなったのか、京極高広は更に話を続けた。


 「この佐和山城を落としたら直ぐさま観音寺城に攻め掛かり、そこにいる定頼の孫の首を切り落とし、坂本にいる彼奴の陣に投げ込んでくれようぞ。」


 この言葉に浅井久政は賛意を示しながら、心の中では余り良い思いを抱いていなかった。と言うのも、彼の息子である猿夜叉は六角への人質として観音寺城下に住んでおり、観音寺城に攻め込むと六角に命を奪われる可能性があるからだ。


 彼としては、息子が人質捕られていることや、大大名である六角氏との彼我の戦力差を考えると矛を交えることは反対であった。


 家臣たちの権力が強い浅井家では、反六角の家臣達を抑えることが出来ず、仕方なく旧主の京極高広の誘いに乗っただけであった。


 (もし、佐和山城を落とせたとしても、頼りの三好が将軍との和解の斡旋などを条件に六角と和睦したらどうするぞ。我らなんぞ寄せ集めの烏合の衆。背後を気にしなくて良くなった六角との戦は、鎧袖一触で負ける未来しか見えぬ。


 京極も我が家臣達も六角定頼という男を見くびっておる。我が父浅井亮政が全力を持って戦ってもなお勝つことの出来なかった怪物ぞ。幾ら歳を取ったと言っても、奴の活動を見る限り、体の衰えはあれど頭の方はより研ぎ澄まされておる。何とかせねば我が浅井の命運はここで京極と共に尽きようぞ。)



            観音寺城


 評定の場では坂本からの援軍の到着の見込みが立たない現在、蒲生定秀は出陣に反対し、三雲賢持、青地茂綱両名は例え小勢でも出陣し国衆達に戦う気概があることを示さなければならないとして、出陣を主張している。


 俺としてはここで出陣しなければ、近江中郡の国衆達が雪崩を打って京極方に着くという恐れがあるので三雲・青地を応援している。しかし、蒲生の軍勢が少ないので城を固めるべきとの意見も十分に納得できる。


 このままでは、何も決められないと思い一度議論の仕切り直しをしようとしたところに、一人の男が部屋への入室を願い出てきた。


 「若様、何とか援軍を率いて戻って参りました。」


 部屋に入ってきたのは、永原重澄・三雲定持の両名であった。


 「若様、義賢様より2千余りの騎馬を援軍として預かり、観音寺城へ駆けつけて参りました。それと同時に蒲生定秀殿宛に義賢様より書状をお預かりしております。」


 永原より書状を受け取った蒲生は、読み進めて行くうちに表情が苦虫を噛み潰したよう険しくなって行った。


 「父上、書状には一体何が書かれていたのですか?」


 「御屋形様が倒れた今、坂本で義賢様が当主代理で指揮を取っており、将軍の命もあってこちらへの本格的な援軍が遅れる。城の留守衆は遣わした援軍と共に城に最低限の兵を残し、京極と対陣せよ。この2つが書かれておった。」


 「何とそれは一大事。ならばここは直ぐさま出陣し、御屋形様の頭を悩ませる京極に一撃を加え、吉報を坂本に届けようでありませんか。」


 「茂綱、ここには対陣せよと書いてあるだけで、戦えとは書かれておらん。小勢で大軍に挑むなど愚の骨頂。」


 ここで両者の言い争いが始まりそうだったので、これを制し各々に出陣の準備を始めるように言う。


 援軍を合わせても6千余り、防御に徹すれば負ける事は恐らく無いだろうがこちらから攻めかかって勝てるは微妙な所だな。


 今回は前みたいにこっそりと着いて行こうとせず、堂々と準備をして着いて行こうとしたら、普通に着いて行けることとなったので拍子抜けした。


 やはり、兵士にも我が方が不利なことが伝わっておりいまいち士気が上がらないので、俺が出陣する事はあまり好ましくないが、背に腹はかえられぬと言うことで渋々了承されたようだ。


 行軍中についても、こっそり着いて来るという案もあったようだが、それでは意味が無いと言うことで堂々と旗を立てて進んで良い事となった。


 こっそり、大金を払って公家に書いてもらった旗印の初お目見えにちょうど良い機会となった。


 陣立としては、先陣に青地茂綱、右翼永原重澄、左翼に三雲賢持、後詰に俺と三雲定持となった。城の留守は蒲生定秀が自ら買ってでてくれた。彼に5百の兵を預け総勢5千5百の軍勢となった。これに何度使えるか分からないが、明国式の青銅砲3門と木砲2門の大砲が続く。


 先陣の更に先に甲賀衆を配置し、敵の斥候などを狩り、敵にこの行軍を悟られぬようにする。


 恐らく戦場は犬上川と佐和山城の間にある平原となる事だろう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この後の江北・越前・美濃の情勢はどうなるんだろう。楽しみにしてます。
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