京極蜂起
戦の書き方がわからん。
1550年 10月 観音寺城
今月後半つい義輝方が軍勢を中尾城から打って出た。しかし、三好長逸・十河一存・芥川孫十郎によって鴨川で撃退されてしまった。
此方としてはしっかりと城に立て篭り、普請を続けていれば良いものをと思ってしまった。しかし、祖父や父が三好勢と対陣している間に、北伊勢・伊賀より軍勢を集める事が出来た。およそ1千5百の軍勢である。
軍勢には、鉄砲・弾薬も十分に行き渡り、三間半(役6.4m)の長柄槍を配備し、練された弓兵、統一された鎧兜が配備されている。そして各地の拠点となる城には兵糧・弾薬・矢が充分に備蓄されている。
この軍勢は大将を三雲賢持とし、甲賀に集められ、北近江・京どちらの方面で何か不測の事態が起こっても素早く対応出来るように備えている。
北近江に派遣してある忍びからは浅井・京極が蜂起することは確実との報が入ってきている。ここで京極家当主京極高広を討ち取りたい。その為に高広の行動を重点的に調べるように命を出す。
ここで京極高広を討ち取り、残党を打ち破ることが出来れば北近江を完全に六角氏の者とすることができる。
11月 京 三好長慶
19日、遂に摂津などの我が領国より4万の軍勢が上洛してきた。この軍勢を持って六角・細川勢を打ち破ることが出来れば、将軍も我らと和を結ぶに違いない。
また、これから蜂起するであろう京極を支援するために家臣である松永長頼に3千の軍勢を与え、山中越えを通らせ大津を荒らすよに命ずる。
そして、長頼の山中越えを支援するため、この長い将軍家との争いを終わらせるために援軍が来て勢いの付いた今、中尾城に攻めかかる。
「諸君、我らはこの勢いを殺さず、明日には中尾城に攻めかかる。各々準備を怠るな。」
同月 観音寺城
松永長頼の近江坂本攻めは忍びからの報告を得た祖父定頼が山岡景隆に迎撃を命じ、無事に撃退することが出来たようだ。
しかし背後を未遂とはいえ攻撃されたことに驚いた義輝は中尾城を焼き近江坂本に撤退してきた。坂本では不安だったのかさらに奥の堅田にまで逃げ込んだようだ。
同じく晴元も軍勢が少ないので中尾城を支えきれず一緒になって逃げてきた。これがかつて強勢を誇った細川京兆家の成れの果てなのかと嘆く祖父の顔が思い浮かぶ。
将軍没落の報の少し前に京極高広が近江中郡の犬神郡多賀・四十九院に出兵したとの報告が入ってきた。どうやら軍勢は凡そ3千人であり、装備は整っていない者が多いようだ。
相手はこちらの2倍だが正面からぶつかり合わなければ勝機はあるとして、三雲賢持に出陣を命ずる。
そして、軍勢が観音寺城の近くを横切った時に、守役の三雲定持が、居ないのを良い事に置き手紙を置き、監視の目を何とか潜り合流することに成功した。
やってきた俺を見て賢持は何とか俺を城に返そうとする。当たり前だ。仮に俺に死なれたら大問題になるからだ。
「若様、どうかお城へお帰りください。戦場では何が起こるか分かりませぬ。それに敵は我らの2倍、負けるかもしれませぬ。」
「構わぬ。どうしても駄目と言うなら俺を縛って城へ送り返せばいいだろ。」
こう、苦言を呈す賢持に言い切ったら本当に縛られて城に送り帰らされた。ここはくっ付いって行って華麗な勝利を飾るはずだったのに、現実は送り返され、帰ってきた三雲定持に拳骨を落とされこっぴどく叱られることとなった。
そして、俺を送り返した賢持は放火・略奪に勤しんだ後撤退する京極勢を鉄砲の一斉射撃と長柄槍の突撃によって散々に破り、京極高広を没落させることに成功していた。
三雲賢持
若様を送り返した後、我らは京極勢を追い払う為に多賀に向かう。京極勢はあそこ一帯で放火・略奪を行っており、周囲への警戒は疎かになっている、よって百済寺から左回りに迂回して、奴らの後ろを取り退路を断つこととする。
幸いにもここにいる兵士は、皆しっかりと訓練を受け体力の有る者達である。険しい道のりでも難無くこなすことが出来るだろう。
大きく迂回したお陰で、奴らの後ろに陣取ることが出来た。簡単な逆茂木、馬防柵を設置しその前に槍足軽、後ろに鉄砲・弓足軽達を配置し待ち構えることとなった。
放火・略奪を終えた京極勢が敵の来ぬ間に撤退したいのか列を整えて我らの陣地の正面にやってきた。我らの陣地を見て最初は動揺していたが、我らが小勢だと知ると乱れた軍勢を建て直し一息に推し潰そうと一気に攻めてきた。
鉄砲足軽達が射程外での発砲をしないように抑えつつ、奴らが射程に入るのを待ち構える。
京極高広
六角勢に背後を取られた時は抜かったと思ったが、直に見ると我らの半分以下の小勢出会った。多少の陣地は作ってあったが、まだまだ我らを防ぐには不十分。
ここでグズグズしていては敵の援軍が続々と到着して我らは包囲されるかもしれぬ。ここは数を頼みにして一挙に攻め潰すのが吉とみた。
中央を食い破る為に動揺する兵を宥め隊列を整えさせ、兵を鼓舞する。
「敵小勢!ここで敵将の首を取れば褒賞は思うままぞ。」
儂の言葉に兵士の士気は上がった。今や戦の勝敗を決めるのは数よ。例え百人力の勇者がおったとしても唯の兵100人の方が強く使い道が多い。
法螺貝の音と共に我らの兵士が一斉に駆け出す。道があまり広くない故、行軍時の隊列が少し広がっただけだが、その分縦の厚さは分厚い。
我が兵と敵の距離30間ほどに縮まった瞬間、敵陣が爆音と共に大量の煙が出できた。余りの轟音に馬が驚き、危うく振り落とされかけた。儂の周囲を見渡すと、儂の馬廻の者が数人馬から振り落とされていた。
そして少しの間が空いたと思った瞬間、また轟音と煙が発生した。儂らは何とかして先陣の様子を知りたいが、煙のせいで我が先陣がどうなったが見えぬ。唯、後続の兵達が動揺しておる。
「これはいかん。後ろが崩れれば軍は崩壊する。本陣を前に出し兵を督戦するのだ。」
兵の鼓舞の為、本陣を前に出す命を下していると、山の方から風が吹き煙が晴れていく。そこには、数多の兵士の死体が転がっていた。見る限り、全て我が兵である。
追い討ちを掛けるが如く、敵の槍兵が完全に崩れた先陣を突き破り、動揺しておる後続の兵を蹴散らして行く。
敗北を悟った我らは本陣の兵を纏め、美濃の方に向かって落ち延びる事となった。この屈辱決して忘れまいぞ。
内政やっている方が楽ですわ。
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