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六角氏軍記~戦国乱世を生き抜きたい~  作者: タスマニア


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嵐の前の静けさ

今週末にも頑張って投稿する予定です。

 1550年 5月 穴太 朽木稙綱


 大御所の葬儀は定頼殿が差配を行い、細かな所は進藤貞治殿が万事を受け持つこととなった。貞治殿は大御所が流浪した時でも、忠節を尽くしお褒めに預かった人物。大御所も忠義の者に見送られることには満足であろう。


 葬儀の資金は殆どを六角氏の援助の元に行われているが故、此度の大御所の四十九日は僅か20日程で切り上げられてしまった。


 これには何人かの幕臣が不満の声を挙げたが、我ら朽木氏は先月の高島郡河上荘俵山での高島氏との戦いで援軍を出して貰った手前声を上げることが出来ん。


 ことある度に、我が幕府の命運は六角氏に握られていることを実感させられる。六角氏の強勢とは対照的に幕府は衰退していくまま。儂も歳を重ねたせいなのか悲嘆にくれ愚痴を息子たちに溢すばかりである。



       6月 観音寺城


 足利義輝は喪中にも関わらず、父義晴の意志を果たすため今月9日に中尾城に入城した。この1日前には三好氏の上洛に対応し、細川晴元が勝軍山に軍を進めている。


 晴元は、丹波の有力国衆である蘆田・萩野といった面々に自軍の配置を教える等、密に連絡を取っている。


 我ら六角も来月の頭には晴元に援軍を出す予定である。これから三好との本格的な戦が始まるだろう。


       7月 観音寺城


 義輝が近江坂本にて御前沙汰始を行った。これにより事実上の代始めの政務が行われるようになった。


 そして8日には、祖父定頼に率いられた六角氏の軍勢が坂本より出発し、京の吉田・北白川まで進出した。そこで晴元勢と合流したようだ。


 この動きに対して、三好長慶は14日に山崎に本陣置き、三好長逸・弓助長虎親子に1万8千の軍勢を与え、一条で迎撃を命じたようだ。


 この戦いは我らの劣勢に進んでいた。お陰で、見物していた人々が晴元勢に悪口を言ったり、地子銭の支払いを拒否するなどの出来事が起こった。


 京から視点を移すと、北近江に何やら怪しげな動きがあるとの報告が入ってきた。浅井が京極と手を組み我らに反抗する動きがあるようだ。


 伊賀・甲賀の忍び達を鎌刃城・佐和山城などの浅井領との最前線の城に入れる。もしこれらの城が敵方に寝返った場合の保険としておく。そして周辺の地理などを事細かに調べさせ地図を作らせる。


 恐らく、彼らが蜂起するなら我々が本格的に三好と戦い始めた時になるであろう。蜂起した彼らの頬をぶっ叩けるように準備しなければならない。


        7月 観音寺城


 今月の始め、堺より1人の明国人が観音寺城を訪れてきた。彼は明国で大砲を作っていた職人であり、倭寇に攫われ堺にやってきたようだ。そこで、三雲定持の配下に見出されここ観音寺城にやって来たそうだ。彼の名は張宇というそうだ。


 まさに、彼こそ俺の求めていた人材である。俺は直ぐさま彼を召し抱えると、彼に他の火薬兵器の知識は無いのかを問いただす。すると彼は明国の火薬兵器に関して広く深い知識を持っているようだ。


 これはまさに天の配剤としか考えられない出来事だ。彼に火薬兵器の知識を紙に書き写しさせると同時に、彼を伊賀に送りそこで鋳物師達と共に大砲の製造を行わせる。


 これが一門でも間に合えば、城門を軽々吹き飛ばすことや城壁を崩して城攻めがかなりやりやすくなる。伊賀に送った彼らが早く大砲を作り上げてくれることを祈らずにはいられなかった。


 彼を見送ったあと三雲定持を呼び出し、明国から火薬・銃などの兵器、製鉄などの技術書等が手に入れば高く買取るといいつけ、より一層堺・山口などの対外貿易の盛んな地で配下の者を活動させるように命じた。


 さらに、ゴムを入手するために泡立草の栽培に力を入れ始めた。泡立草から採れるゴムは、伸縮性と強度が従来の天然ゴムと比べて劣る。しかし、抽出に有機溶剤ではなく酸を加えていたので再現するハードルは低い。


 方法として、地上部分10cm残して収穫、洗浄、袋詰めし、圧搾機にかけ、絞り出した後、濾過した乳液に重量比0.1%の酢酸か0.06%の蟻酸を加えれば凝固したゴムを回収出来る。


 これはかつて圧力鍋の密封剤を作る時と全く同じ方法であるが、圧力鍋を作る時は僅かな数だけで良かったので作ってからはゴムに関しては殆ど放置となっていた。


 これからは大量生産するために本格的に生産を始める。ゴムはタイヤや手袋、靴など無限に近い使い道がある一度生産していたのに、用済みとばかりにここまで放置していたことが悔やまれる。



      8月  観音寺城


 細川晴元が援軍を求めてどうやら越前朝倉氏の元へ下向したようだ。晴元としては、領国である摂津を失い、残りの領国である丹波なども細川氏綱の残党が蜂起するなど完全に統制を失っている今、1人でも多くの軍勢が欲しいのだろう。


 彼自身の率いる軍勢は、僅かであり殆どを六角氏の軍勢で補っている。お陰で彼の幕府内での発言権は僅かなものになっている。そこで、越前朝倉氏などの他の大名の軍勢を動員することで我が六角氏の発言権を小さくしたいのだろう。


 ただ幾ら豊かな近江、伊勢を領有する六角氏とはいえ、ほぼ単独で三好長慶を抑え込むのは至難の業である。何とかして他の大名から援軍を引き出して貰いたいものだ。



      9月  観音寺城


 京では六角・細川勢と三好勢が互いに睨み合ったまま小競り合いを繰り返すのみであり、大きな決戦は両軍共に避けているようだ。


 京の戦乱を避けて下向してきた、何人かの公家との交流をすることが出来た。彼らと蹴鞠をしたり、和歌の添削等をやってもらい幾らかの銭や布を送った。やはり彼らは一流の文化人であり、彼らとの繋がりはとても役に立つ。これからも大事にしていきたいものだ。


 9月末、三好の領国内で米の値段が上がるなどの大きな動きが入ってきた。どうやら三好は10月に大きな決戦を挑む気なのかもしれない。恐らくこれと連動して浅井・京極も行動を始めるだろう。


 こちらも直ぐに動けるように足軽等を甲賀などに少しづつ集めて行かなければならないだろう。

浅井・京極を大砲で吹っ飛ばしてえ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 数え6歳位の太郎君(信玄)に三十路の正室とは、諏訪に足元も見られていますね。 ただ、そこまでして諏訪と同盟しても望月や村上が邪魔して諏訪が武田に加勢に行けず、今川との停戦も出来なければ、史実…
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