閑話 大量任官
三好長慶の本が届くまで江口の合戦まで話が進まないかも。
1548年 11月 京 庭田 重保
今年は朝廷にとって良い年末を迎えることが出来そうであるな。これも多少のふっかけがあったが1万貫を快く出してくれた佐々木殿のおかげであるよ。
半家、名家などの下級貴族にも、摂関家と比べると援助の量は少ないが、銭、石鹸、酒などを2,3ヶ月に1度送ってくれる故、お家断絶の危機を免れたり、お家再興を果たした者も多いと聞く。
帝もこの行いには大層お喜びになっており、佐々木殿は近々、従三位にその息子は従四位上に進階するのではないかとの噂が広まっておる。
更には此度の1万貫を援助した佐々木殿の家中の者も一様に従五位の官位をお与えになるのだとか。
今や朝廷は大内よりも佐々木殿の援助に頼っている故大量の叙位任官があってもおかしくないであろうな。
同月 京 近衛稙家
京の主な殿上人が帝によって、帝の御簾の前に集められた。此度の議題は恐らく佐々木殿とその家中による1万貫の献金についてであろう。
殿上人が集まった時、御簾の向こうから着物の擦れる音が聞こえ、我らは皆頭を下げ帝の着席を待つ。少しの間をおいて、帝か顔を上げるように仰られた。そして直ぐに私は帝の前に来るように言われた。
「稙家、此度はよく1万貫を献金させた。これにより悲願であった内裏の修繕を行うことができるようになった。」
「これも主上の恩徳によるものであり、わたくしめはただ主上の意を伝えただけでございます。」
「して稙家、朕は此度の献金に如何にして報いれば良いと思う。」
「私めの考えを述べるなら、官位をお与えになるのが良いかと。具体的には、定頼を従三位参議、義賢を従四位上近衛中将、その他佐々木家中の者にそれぞれ従五位上下の官位を与えれば良いかと。」
「今の朝廷に出来ることは官位を与えるくらいしかあるまい。定頼には加えて伊勢守の官職を与えよ。」
私は返事と共に頭を下げ、元の場所に戻る。これで献金に対する恩賞を確保することが出来た。これで我が近衛家と六角家の絆はより一層深まることになるであろうよ。
同月 観音寺城
再び京から朝廷の使者として近衛稙家がやってきた。やはりこの時代の人間は貴賎に関わらずとてもよく動く。これは見習わないといけないな。
そして彼がやってきた要件としてはあの1万貫の献金に対する朝廷からの恩賞を伝えに来たようだ。
その内容は、祖父定頼が従三位参議となり六角氏初の公卿、殿上人となったのだ。加えて伊勢守に任官され、六角氏は遂に近江、伊賀、伊勢の3カ国の太守となったのだ。
父義賢は、従四位上と叙され、近衛中将として任官されたのだ。他の多くの家臣達も従五位上、下に叙されいった。例えば俺の守役である三雲定持は従五位上に叙されている。
これにより六角氏は西の大内氏に勝るとも劣らない位の正式な官位を持った家臣を抱える事となったのである。
興奮冷めやまぬ中、今までやってきた中で最も大きな成功を収めることが出来たのだ。それは硝石の輸入と自家生産に成功したのである。これにより、火薬の生産を安定させることが出来る。
これに合わせて、国友村のより招聘した鉄砲鍛冶の元、銃身、銃床、発射機構の生産を伊賀、甲賀などの秘密を保ちやすい土地にて量産を開始した。
量産にあたって、従来の火縄銃から多少改良しているものと別の型の火縄銃を同時に生産することになった。
従来の火縄銃との違いは、銃身と銃床の固定を目釘ではなく、円環上のバンドを使用していることだ。これを使用することにより、目釘よりも銃床にしっかりと固定でき、取り外しも簡単にすることが出来るのだ。
2つ目の別の火縄銃は欧州で使われているようなブラウン・ベス、シャルルヴィルマスケット銃のような長銃身、肩当ての着いた銃床を持つ火縄銃である。
これを日本の銃で例えると、長さは狭間筒で口径は中筒である。これは普通の人であれば肩当て付きの銃床でなければ構えることが出来ないのである。これを使用するために、肩の辺りを切り欠いた鎧を用意、量産しているのだ。
他にも、雨の日でもある程度使えるようにする為に、火縄を火持ちの良い木綿に変更し、硝石で煮た後に漆で表面をコーティングした雨火縄を制作したり、火蓋付近に雨避けの皮製の四角い傘のようなものを付ける雨覆いを制作している。
更に早合を更に進化させた紙薬莢の制作にも挑戦している。これには蝋が必要なのだが、今の日本では大規模な養蜂を行っていないので、代わりに数年前に明から輸入したハゼノキの蝋を代用することにする。
しかし、ハゼノキの大規模な生産が必要になるので紙薬莢が実用化されるにはあと数年は必要になるだろうな。
今この銃にかける情熱こそが将来、三好や織田などと戦う時に大きな威力を発揮してくれるだろう。
早く主人公を元服させて、三好、斎藤を殴りたくてたまらない。
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