再び荒れる畿内 三好長慶の台頭
三好長慶のこれからの勢力の伸長がヤバすぎる。
1548年 10月 観音寺城
約1万貫の献金要請だが、俺が7割を出し残りの3割は家臣達からの寄付によって賄う事となった。これは家臣達に、正式な官位を与えて貰えるきっかけになるのではないのかとの俺の個人的な下心が入っている。
1万貫の銭を纏め、資金を出してくれた家臣達の名前を書状に書きまとめ、帝に提出物する書状に加えている。細々とした、事務作業を見ているととある公家からの書状が届いた。
その公家とは、山科言継であった。書状の内容は支援のおかげで生活が楽になったことの感謝、京で最近起きたこと、俺が土岐頼芸から習っている鷹の絵を見てみたいなどのことが前半に書かれていた。
後半が本題の様で、祖父である定頼の判断により知行地が三井寺に奪われてしまい、とても困っていることが書かれていた。そして、最後に三条院西実隆直筆の和歌を送ることが書かれており、実際に書状の中に入っていた。
流石にこれは手に余ると判断し、この書状を持って父義賢の元へ出向き、書状を見せた。父が言うには山科言継は、知行地を何とか取り返すために祖父定頼、父義賢に書状を送っていたが尽く不発に終わったため、一か八かで俺に書状を送って来たらしい。
流石に元服すらしていない俺の言葉を祖父が聞き入れるはずもない。しかし、山科言継とのツテは維持したい。この両者を立てるために、今回横領されたとされる野村・西山両郷の代わりとして近江にある俺の私有地を寄進することを提案することにする。
何故相手である三井寺に寄進して、野村・西山を変えさせないかと言うと、これは祖父定頼が裁定を下し、異論を受け付けなかった案件であり、変に出しゃばってより拗れることを恐れたからだ。
将来的には、俺が当主となった時に何とかしてこの問題を解決してくいつもりである。山科殿にはしばらくの間代わりの土地で我慢してもらおう。
この旨を認めた書状と一緒に、集めることができ1万貫を京へと送る準備を、整えて行く。
1548年 12月 京 近衛稙家
10月に御所の修復のための献金が届いた故、修理が始まったこと誠に喜ばしい。それと同時に、御所に先んじて修理を行う訳には行かぬと自粛しておった我ら公家の邸宅も少しづつ修理が始まっておる。
細川国慶らの反晴元勢力の首魁である、細川氏綱も没落後し畿内の騒乱は少しづつ収束に向かっておった。そのおり、細川晴元とその配下三好某が決裂し、戦が始まったとの報が入ってきた。天下の安寧はまだまだ遠きことを思い知らされる。京が戦乱に巻き込まれぬことを祈るしかあるまい。
1548年 12月 観音寺城
畿内は今再び騒乱の渦中にある。10月28日、三好長慶の叔父である三好政長が主君晴元に長慶のことを讒言し、そのことを知った三好長慶は細川晴元と遂に断交してしまったのだ。
この断行は、今まで互いに行ったことが積み重なってこのようなことになったのだ。
例として、三好長慶は4月下旬、河内若林に在陣し畠山政国・遊佐長教の籠る高屋城を攻め落としたのだが、そこで晴元の許可なく遊佐長教の娘を妻に迎えたのだ。
晴元は摂津国人池田信正が密かに長教に通じたことに理由に、今年の5月6日に彼を自害に追い込むほど遊佐氏と手を結ぶことについて厳しい態度をとっていた。
今考えれば長慶はこの時には晴元からの離反を考えていたのだろう。
元を言えば、彼長慶は父元長を事実上晴元に殺されていたり、寵臣であった和田親五郎も殺されるなど様々な恨み辛みが重なっており、常に離反の機会を狙っていたのだろう。
其の機会こそが、上記の叔父政長の晴元への讒言だったのだろう。
ことこれに至り、三好長慶は遊佐長教と謀り、潜伏していた細川氏綱を頭へと担ぎ弟の十河一存と共に政長の子政勝が立て篭もる摂津榎並城を包囲する動きを見せた。
1549年 正月 観音寺城
長慶と晴元の戦いは年が明けたあと、ますます激しくなるばかりである。そして祖父定頼は今月そうそう遊佐長教が摂津闕郡へ出兵したとの報を受けると、和泉国人に激を飛ばした。これは長慶を挟撃するためのものであった。
3月 観音寺城
先月18日、三好長慶と遊佐長教は摂津責めについての会談を行った。その後、26日淡路より、長慶の実弟である安宅冬康が来援し、これを迎えるために長慶直々に尼崎に出陣した。これを支援するために長教は、河内17箇所に陣をはり支援に当たっている。
そして、今月の1日、長慶の軍が三好政長の軍が籠る摂津柴島城を攻め落とし、その勢いに乗り三好政勝の籠る摂津榎並城を遂に包囲したのだ。
ちなみに、同日我ら六角氏も晴元を援助するため、軍勢を上洛させたのである。しかし、六角氏の軍と将軍の軍とで小競り合いが起き死者を出してしまったようだ。
4月 観音寺城
今月には細川晴元が近江に下り、祖父定頼と摂津攻めについての話し合いが行われた。ちらりと見た晴元は少しくたびれた精悍な男であった。しかし、その姿からは全てを疑っているような、誰も信じていないような雰囲気を感じた。まさに畿内の伏魔殿の奥深くに潜む妖怪であった。
「義父上の手を煩わせるような事態になり誠に恥ずかしい限りです。」
そう言って儂の目の前で軽く頭を下げる男は、前にあった時よりもさらに掴みどころが無くなっておる。畿内という伏魔殿で揉まれたら皆このようになるのか、それともこの男が元から持っておったものか。
「晴元殿は儂の娘婿。援助をせぬわけがなかろう。そのような事より、摂津攻めについて語ろうではないか。今この瞬間も謀反人の三好は勢力を増しておる。」
「そのようですな。では早速・・・」
この後、儂は欠郡に援軍を出し、晴元は丹波より三好に攻撃を仕掛けることが取り決められた。
儂との会談を終えた晴元は軍の準備があるといいすぐに近江を立つことになった。京へ上る彼を見送る。此度の反乱、最悪の場合は手切れも選択肢にのぼるであろな。
三好長慶の資料がもうすぐ届くので、これから三好側の視点が増えるかも。
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