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六角氏軍記~戦国乱世を生き抜きたい~  作者: タスマニア


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伊賀平定

これからもゆっくり更新していきます。

1548年 5月 観音寺城


 祖父定頼が帰ってきたかと思えば直ぐに戦の準備が始まった。伊賀国、南部の国衆が次々と服属を表明している中、大和国宇陀郡、伊賀国に勢力を持つ百地正永から服属を申し出る密書が届いたのだ。これが決め手となり、長野氏と対峙している北畠氏の横っ腹を殴りつけ、伊賀から追い出そうとしているのだ。


 祖父と父でこの北畠攻めには、隔たりがあったようだ。理由としては、祖父の娘、父から見れば妹が北畠家当主北畠具教に嫁いでおり、北畠、六角両氏は縁戚関係なのだ。


 祖父としては、ここで叩いて置くことで北畠の伊勢における勢力拡大を妨害し、六角の勢力を広げたいのだ。しかし、父は北畠と伊勢を二分すれば良いと考えており、伊勢での両氏がぶつからないための婚姻ではないかと主張していたのだ。


 両者が、激論を交わした結果伊賀から北畠の勢力を追い出すだけに留め、本拠地である南伊勢には侵攻を行わない事となった。


 伊賀、甲賀の忍び達を総動員して、北畠に感づかれないように徴発を行っていく。兵糧を各地の砦に運び込み、武装した兵士達を前線へ送って行く。そして動員が整った5月末、父義賢を総大将とした1万5千人の軍が伊賀南部へと雪崩込んだ。


 それと同時に、百地氏を初めとした伊賀南部の国衆達が一斉に蜂起した。そして、父義賢は国衆の案内を受け伊賀郡、名張郡を占領し手薄となっている北畠の本拠地多芸を伺う構えを見せた。


 これまでにおいて、北畠側に直接の被害は殆ど出ていない。せいぜい、代官が拘束されているくらいだろう。


 対する北畠は長野氏と対峙していた、槍の名手である家城之清を引き抜き対峙させた。そして、前当主である北畠晴具自ら兵を率いて多芸の守りを固めている。


 家城之清を長野氏との前線から引き抜いてしまった為、長野氏の攻勢が激しくなり劣勢になっているようだ。特に若い北畠具教と長野稙藤との経験の差が少しづつ現れている。


 ここで、祖父定頼は北畠晴具に、伊賀から完全に手を引くこと、もし引いてくれるなら北畠と一緒に長野氏を攻めることを約束するとの内容を送った。


 北畠晴具は、かなり葛藤したようだが具教からの援軍要請、志摩での国衆の不穏な動きの報により、背に腹はかえられぬと和睦を受け入れることを決めた。これが6月の初旬なので、僅か2週間程で伊賀南部を完全に制圧したこととなる。


 和睦の知らせを受けた父、祖父はすぐさま行動を開始した。父は北畠晴具と合流し北畠具教への援助に向かう。祖父は梅戸高実に3千の兵を与え北から長野氏を攻めるように命じ、大原高保に2千の兵を与え、西から攻めるように命じた。


 北畠との戦に領内の戦力を集中させていた長野稙藤は全くの備えをしておらず、一挙に伊勢上野城、今徳城、安濃津を失うこととなった。これがとどめとなり、長野稙藤は六角に降伏することになった。もう一度言う「六角」に降伏したのである。


 この長野稙藤のタダでは終わらない最後の足掻きにより、せっかく纏まりかけた六角と北畠の仲が拗れてきた。そもそも、六角としてはこの戦は手伝い戦であり、北畠としても自分がこの戦の主役であると考えていた。


 それが援軍のはずの六角に降伏してしまったのだから大騒ぎである。現地にいる父義賢は北畠晴具、具教親子から激しく詰められて、祖父にどうしたら良いかと助けを求めたようだ。


 祖父はこれについて予想していたかのように解決策を提示してきた。まず、長野氏の領土のうち、六角と北畠がそれぞれ占領した地域をそれぞれの領土に加え、長野氏は六角と北畠に両属。そして、長野稙藤は北畠から養子を迎え入れる。六角が占領している宇陀郡を北畠に返還、北畠から六角の男子に嫁を出すという内容であった。


 この案は北畠側にとって不利な条件であったが、この案を断ると、六角の大軍に加え領地奪還に燃える長野氏も加わり攻められることとなる。断るという選択肢はあってないようなものなのだ。


 北畠側は苦渋の思いでこの和睦を呑むこととなった。この和睦により、北畠の伊勢制覇の夢は潰えた。対して、六角氏は伊賀・北伊勢を完全に支配下へと組み込むことになりその領土を大きく広げることに成功した。


 此度の戦で得たものの中でもっとも大きなものは安濃津であろう。この港はかつて京の重要な外港・東国への玄関口として重要な位置を占めていた。1468年に発生した明応の大地震による津波で壊滅的な被害を受けて大きく衰退した。しかし、その重要性はあまり変わってはいない。


 この安濃津を通して、伊勢湾での海上交通に一枚噛むことができるようになる。六角氏はついに海を得たのだ。


 伊勢での覇権を潰された北畠は、大和国、紀伊国への勢力の拡大を図っていくようだ。不穏な動きのあった志摩国の支配体制を強化しようと画策している。


 例え縁戚関係であるとはいえ、互いに争うこととなる。まさに、生き馬の目を射抜くような戦国の世だなと感じた。


 俺が当主となったとき、最盛期を迎えている三好氏にもし押されていれば誰かから背中を撃たれるかもしれない。

ご意見・ご感想お待ちてしおります。

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