将軍挙兵後編
六角義賢公の頃の六角氏は上下の朝倉、北畠しか味方がいないという辛さ。若狭武田氏は内紛、三好は絶好調、斎藤氏は信用が出来ない。これは大変ですわ。
1547年7月 観音寺城
6月末に摂津を平定し終えた細川晴元は今月の12日京都の相国寺に入り、北白川城への本格的な城攻めに入った。ここで、我が六角氏も当主定頼直々に軍を率いて上洛を行った。
上洛した六角勢は、東山に陣をはり、史実の通り、将軍と細川晴元を和解させるために、城を囲み将軍に圧力をかけつつ双方の和解に向けた交渉を始めた。
北白川城
遠くから大殿の怒声が聞こえて来る。どうやら六角定頼殿が晴元方に着いたことが余程驚きであったのだろう。これは、無理もない。長年の習慣を無視してまで烏帽子親に定頼殿を任命させ、従四位上の位まで授けたのだ。ここまでの便宜を測っておいて晴元と同心するとは思わなかったのだろう。
儂ら幕臣も、定頼殿の援軍を見込んでの挙兵であったがゆえ、今の状況は全くの想定外である。今や他の幕臣達は将軍の意地として、城を枕に討死だの、一かバチか敵陣へ打ってでるだのの議論が交わされておる。
何も決まらぬ議論を交わしていると、既に3日が経ち15日となっていた。そこへ六角定頼殿からの使者が、将軍宛に届いたようだ。儂ら幕臣が将軍様の前に集まり書状の内容を聞くこととなった。どうやら大殿は、奥に引きこもっておられるようだ。
「皆知っての通り佐々木弾正定頼からの書状が届いた。」
将軍の口上の後、伊勢貞孝殿が書状を読み上げる。内容としては、定頼殿は晴元方に着いたわけではなく、両者を仲介するために出兵したのであり将軍と鉾をまじ合わせる気は無い。そして、晴元との仲介を行う準備があり良い返事をお待ちしているとの内容出会った。
「皆、この書状について忌憚無き意見を申すのだ。」
儂はこの議論は大きく割れると思っていたが、 晴元との戦の継続を主張する強硬派が突然いなくなったように、晴元との仲介を定頼殿に依頼しようと短時間の内に決まってしまった。
やはり、仲介のためとはいえ定頼殿が晴元と一緒に城を囲んでいることが大きいのであろう。最後の判断は将軍様次第となったが、既に坂本か慈照寺のどちらに御座所を移すかの話が始まっており、晴元との和談は既定路線となっている。
和談の話は将軍、大殿両方の裁可を得ることが出来たが故、トントン拍子に進み、我々将軍側は晴元との間に定頼殿が入り、定頼殿の熱心な仲介の願いに根負けしたとすることで面目を保ちつつ和談することが出来た。
19日、我らは大殿、将軍を奉じながら山をくだり坂本へ帰ることとなった。我らは再び定頼殿の庇護下へ入る事となる。いまや、幕府は定頼殿の庇護無しでは形を保つことすら難しい状況である。儂はこの出来事で、幕府の行く末は暗いであろうと思わざるえなくなった。
観音寺城
忍びからの報告によると、祖父の仲介により将軍達が坂本へ帰ったあと、21日晴元配下の三好政長らが細川氏綱と遊佐長教と摂津舎利寺で戦い勝利を収めている。
晴元は、この勢いのまま細川氏綱への攻勢を強め氏綱派の壊滅させたいようだ。祖父定頼も晴元を助けるために閏7月3日氏綱派の籠る高雄を攻めている。この巻き添えを食らって神護寺が全焼している。
8月 観音寺城
八反取り、水中耕除草機の評判は備中鍬等とは比べ物にもならない程良い。あちこちの村から配備を陳情する文書が届く。こちらも配備したいのだがいかんせん、今までの農機具よりも複雑であり量産するための体制を整えられていないこと、田畑の耕地整理が出来てないので導入が難しいなどのボトルネックが沢山ある。
改革はまだまだ道半ばであることを思い知らされる。改革の速度に弾みをつけるため、耕地整理を行い、並木植を行っている村へ優先的に配備することを村へ通達していく。もう、稲を植え直すことは出来ないのでこの基準は来年から適用されることになる。
8月11日、三好政長・畠山等が河内若林に出陣し、畠山政国・遊佐長教等が籠る高屋城を攻めた。これをしのげなかった遊佐達は降伏した。これによりさらに勢いを得た晴元勢は各地の細川氏綱勢との戦いを、各地で強めていく。これにより晴元と氏綱の争いは晴元側が、有利になっていくだろう。
近頃、俺は文化人としての名声を得るために隣国の美濃国守護土岐頼芸から鷹の絵を学んでいる。これでも前世では幼稚園から高校生までは絵を描いていたのだ。何枚か鷹の絵を手本として描き頼芸に先生として添削をして欲しいとの書状とガラス細工等のお土産を持たせて使者を送った。
しばらくすると、頼芸から返書が届いた。とても初めて描いた鷹の絵とは思えないとの褒め言葉に続いて、改善の要点が事細かに書いてあった。流石名人、要点が簡潔にまとめてありとても分かりやすい。
彼には美濃を追われてほしくないのだが、まだまだ土岐頼芸とはあまり親しくないので助言は聞き入れられないだろう。是非とも斎藤利政以外の家臣と仲を深めていって欲しいものだ。
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