将軍挙兵 前編
やっぱり足利将軍家と付き合うのは大変やな。
1547年3月 観音寺城
寺に坊主達の読経の声が響き渡る。父上の2人目の正室が産褥が原因で亡くなってしまった。1人目の正室、俺の母も産褥で、亡くしているの父上にとって言葉に表せないほどの悲痛な思いであろう。唯一の慰めは子供は元気に生まれたことだろう。
しかし、戦国乱世の世の中は悲しみにくれることを許してはくれなかった。
葬儀を終える間もなく京から大殿の義晴、将軍義輝が兵を上げ山城北白川城へ入り籠城の構えを取ったとの報が入ってきた。その目的は、晴元を討つためとの事だ。
もともと義晴と晴元は3年前の1543年に揉めており、この時は祖父定頼の仲介で収まったが関係性はどうやら好転しなかったようだ。前年の10月には氏綱を管領として、それを定頼も承認してきるとの噂まで流れていた。新将軍就任と機として、晴元を見限り、細川氏綱と手を結ぶ決断をしたのだろう。
将軍、晴元を討つために挙兵との報を聞いた儂は頭を抱えるしかなかった。
(新将軍就任を機に何か行動を起こすとは思っていたが、まさか兵をあげるとはさすがに考えもせんかった。)
(蝙蝠の如く陣営をコロコロ変える将軍、同族との争いに忙殺され政治に参画出来ない娘婿の細川晴元。皆揃って儂の胃を痛めつける事ばかりやりおる。近頃の楽しみは息子と孫の成長だけよ。)
頭を抱えつつ、同じ部屋にいる息子義賢を見ると頭を切り替え京からの情報を精査している。その成長した姿に頼もしさを覚えつつ、これからの善後策を考え始める。
父や祖父が将軍挙兵の報でてんやわんやしているのを尻目に、今年から田植えの方法を正条植とその一種である並木植にするために、田植えの間隔に沿って木枠を作り三~六角柱状にした「田植定規(田植枠)」を制作を依頼している。
何故ここまで正条植と並木植にこだわっているのかとゆうと、間隔に植えることで水田内の日当たり、風通しが良くなり収穫量を増大させることもあるが、等間隔に植えることにより除草機を導入できるのだ。
導入する予定の除草機は八反取りとその発展型の水田中耕除草機だ。八反取りは八反ずりとも言われ、史実では明治末期に開発された除草用農具だ。舟形の木枠に釘や小さい刃が取り付けられた固定式や、回転式の歯が付いている回転式がある。これで、表土を浅くかき回すことで雑草を除草することができる。
除草時に泥で水が濁ることによって雑草の成長を抑制する副次効果が発生する。ただし、雑草が成長しきってから使用しても効果はなく、あくまでも発芽直後の段階で定期的に使用することが重要なのである。
それまで除草農具として普及していた雁爪と比較して倍以上の作業効率を持ち、中腰にならず立ったまま作業できる。そのため、腰の負担が軽減されるなど画期的な発明だった。
除草剤の普及で現代では殆ど使用されなくなったが、無農薬農法が見直されると部分的に復活している。構造が単純なので家の倉庫で放置されていた物を修理したり、木製部分をアルミフレームに改良されたものが販売されるなど、なんだかんだ使用され続けている。
水田中耕除草機は八反取りの発展型の除草農具だ。こちらは、明治半ばに発明された中耕用農具の田打ち車を改良したものである。大まかな構造として舟形の枠と前から滑走板、前転車、後転車からなり、これを前後に押したり引いたりするだけで中耕と除草を同時に行える画期的農具なのだ。
今回は人力では出来ない3条、5条用の畜力を前提としたものを導入する。家畜が通る分だけ条間を余分に空ける、並木植をする予定なのでスムーズに導入ができるだろう。
この農具は畦間を押すため、株間の除草はできない欠点があるが、縦軸回転爪も付け加えた改良版の水田中耕除草機とを作成する。
何故ここまで除草機を導入することに固執しているのかと言うと、除草作業は旧来型の稲作においては多大な労働力が割かれる作業であり、一説によると稲作における労働力の半分を占めていたと言われている。
生産性をあげることにより、農業に関わる時間を短縮し、農民が他の作業に従事する時間を作ることができるのだ。
1547年4月 京
将軍が自らの打倒の兵を上げたことを知った細川晴元の行動は素早かった。4月1日には、東山に陣取り、北白川城を包囲した。包囲してすぐに城攻めをしながったのは、摂津の平定に専念するためだったようだ。
祖父、父共に状況を静観し特に大きな動きはなかった。しかし山城国との国境の砦や城などに兵量を運び込ませるなど、着々と戦の気配が近づいてきた。
俺は、田畑の生産量をあげるために準備として、お馴染みの塩水選や温湯消毒、浸種の試験的運用を始めた。塩水選は除き残りの2つを説明しよう。
温湯消毒はいもち病などの病害対策として行われるものだ。60度の温水に10分間漬け込んで消毒を行う。本来は温度が高過ぎても低過ぎても駄目で、一定時間維持しなくてはいけないので、しっかりとやるなら温度計が必要なのだが、そんな便利な物はないので感覚で行う。
深さ3~5mの井戸の水温がおおよそ15℃であり、これと同量の沸騰した水を加えた時の温度がおおよそ50℃となる。なので、沸騰した水を若干多く入れて、指を突っ込んだ時に長時間入れられない程度が60℃となる。この温湯消毒は、若干温度が異なるが麦でも可能である。
浸種は種籾を一斉に発芽させるために、必要な水分を吸収させる作業ことだ。積算温度(平均気温×日数)で100日℃が必要で、低過ぎても高すぎても育成や発芽にばらつきが出るため、水温の目安は13~15℃が望ましい。こちらも、温度計があれば苦労しないのだが、前述の温湯消毒にあったように、季節によっても温度のバラつきが少ない井戸水を用いる方法を使用する。
均等に浸種させるために定期的に上下の入れ替えを行い、浸種の後半(おおよそ3日目くらい)には発芽阻害物質が水に溶けているため、水の交換が必要となる。
これらの準備を終え田植えが終わってさらに時間が経った6月末となっても状況は大きく変わらなかった。
晴元君普通に強いわ。




