54.後先を考えなかった結果
朝起きたら、リクウがいなかった。
そのことに、ルナリアは驚いたりはしない。
リクウは毎日朝早くに稽古をしていて、その後にちょっとぶらつくというのはよくある話だ。
しかし、朝食の時間になってもいないのはどこかおかしかった。
スフェーンに聞いてもリクウの行き先は知らぬという。
この時もまだ、ルナリアは心配していなかった。
リクウは気まぐれなところもあるし、ルリも気まぐれである。
どちらかの気分で、朝食を外でとる、というのはそれなりにありそうに思えた。
ミューデリアが来て、考えが変わった。
「アイツ、出て行っちゃったんじゃないの?」
その言葉に、ルナリアは衝撃を受けた。
考えてもみなかった。
リクウは、近々ここを出ると言っていた。
その発言と、今日の不在を繋げては考えなかった。
だって、何の断りもなく急にいなくなってしまうなど、普通に考えてあるはずがない。
ピクニックに行く約束だってしたのだ。
けれども、その普通はロシャーガでの考え方であり、マトーニャ流の別れというのは、猫のようにいつの間にかいなくなってしまうというものなのかもしれない。
「ミュ、ミューちゃんどうしよう!?」
ルナリアは半ばパニックになりそう叫ぶ。
ルナリアの剣幕に狼狽したのか、ミューデリアは慌てて、
「じょ、冗談よ! いくらアイツでも何も告げずにいなくなるはずないでしょ」
「じゃあリクウさんはどこにいったの?」
「それは――――」
とミューデリアも黙り込む。
単にきまぐれな散歩に出かけたのかもしれない。
それしか理由が思い当たらず、暫定的にルナリアはリクウの不在をそう結論付けた。
が、いつまで経ってもリクウは戻ってこない。
リクウはいずれ去ってしまう人間ではあるし、もう少しすればこの状態が日常になるというのに、ルナリアは気になって仕方がなかった。
散々世話になっておいて、恩返しも見送りもできずに別れるなどルナリアには考えられない。
午前にやっていた調合も心ここにあらずで、三度も分量を間違えた。
昼を過ぎても、リクウは戻っては来なかった。
ここに来て、朝の散歩という線も極めて薄くなったと言わざるを得ない。
昼食の時間に、ルナリアと、ミューデリアと、スフェーンの三人は半ば雑談のように話し合った。
議題は、じゃあなぜいなくなっているのか。
ルナリアもスフェーンもとくに案が浮かばずにいると、ミューデリアがつぶやくように言った。
「アイツ、もしかしてアロマ山に行ったんじゃないの?」
ルナリアは、すぐにはその言葉の意味を理解できなかった。
リクウがアロマ山に行く理由なんてないのでは、そこそまで考えて、ようやく気づいた。
竜だ。
竜の討伐だ。
ルナリアは、スフェーンの改良には上質の魔石が必要という話をリクウにした。
ミューデリアは、リクウが竜の魔石を取りに行ったのではないかと言っているのだ。
いかにもありそうな話に思えた。
今考えるとリクウは竜に対して並々ならぬ興味を持っていた気がする。
何も告げずに出かけたのも、急に魔石を持ち帰ってサプライズをするつもりというのもかなり有り得そうに思える。
「ど、どど、どうしよう!? ギルドに依頼して救助とかお願いできるかな!?」
「うーん…… それは無理じゃない? そもそも明日討伐隊が出発するんだから、行ったとしたらそれに先んじて討伐しようって腹だったんでしょ? もしアイツが本当にアロマ山に行ったんなら、どういう結果にしろ、明日にはわかるんじゃない?」
どういう結果。
不吉な言葉だった。
ミューデリアはルナリアの顔色を読んだのか、
「大丈夫よ、きっと。アイツだって熟練の、その、戦士でしょ? 無理だってわかったら退くくらいするわよ。優秀な戦士ほど引き際をわきまえてるってお父様が言ってたわ」
「そうかな?」
「そうよ」
その夜になっても、リクウは戻らなかった。
ルナリアは、なかなか寝付くことができなかった。
***
翌々日の夕方頃だった。
まだリクウは帰ってきていない。
討伐隊もまだ戻ってきていないが、アロマ山の距離から考えて、今日中には戻ってくるはずであった。
どんな結果にせよ、今日中に何かがわかるはずだった。
リクウが本当にアロマ山に行ったのか。
行っていたとしたらどういう結果になったのか。
ミューデリアの言っていた、どんな結果にしろ、という言葉がルナリアの脳裏にこだまし続けていた。。
ルナリアは店を閉めて、二階のリビングで休んでいた。
スフェーンがお茶をいれてくれて、ミューデリアと二人で仕事終わりのいっときを過ごしている。
ミューデリアがルナリアの店を手伝ってくれた日からの習慣だった。
いつもなら楽しい時間であるのに、今日は気が気ではない。
そんな時だった。
「帰ったぞーーーー!!」
階下から声がした。
紛れもなくリクウの声だった。
「リクウさんだ!!」
ミューデリアも安堵の息を漏らしていた。
「まったく人騒がせなやつ。一体何してたんだか問い詰めてやりましょう」
ルナリアが立って、ミューデリアも続いた。
階段を走って降りる。
最後の三段はジャンプで一気に降りた。
一階には、リクウとルリがいた。
ルリの方はいつも通りだが、リクウの方はいつも通りとはいい難い。
全体的に薄汚れていて、数日野外で過ごしていたのはひと目でわかる。
何よりもいつも通りではなかったのは、その手に大きな魔石を抱いていることであった。
「おら、ルナリアの店の素材採取班様がご所望のものを取ってきたぞ」
とリクウは誇らしげに魔石を掲げた。
「ほ、ほんとに取ってきたんですか!?」
「ったりまえよ、真都揶の武僧をナメんなって話だ」
「どうしてこんなに時間がかかったんですか!? 心配したんですよ!!」
「いやぁー、それは……」
とリクウは急に言葉を濁す。
「こやつ、呆れたことに討伐した後のことを何も考えておらなんだ。解体もなにもできんから竜の死骸の前で散々おろおろした挙げ句」
「おいバカやめろ」
リクウがルリの口を塞ごうとするが、ルリはそれをするりと躱して、
「どうにもできないと結論を下してからも横取りされるのを恐れて動けず、最終的には後から来た討伐隊に泣きついて手伝ってもらったんじゃ。まったく情けない」
言いながらも、ルリの機嫌はかなり良さそうに見える。
どことなく、リクウのことを誇らしげにでも思っている風だ。
「俺のかっこよさが台無しじゃねーか」
「かっこよくなるためにやったんじゃないんじゃろ?」
「そりゃそうだけどよ……」
リクウは顔を引き締めて、
「とにかく、これがご所望の品だ。長らく世話になってた恩返しみたいなもんだ。使ってくれ」
そう言って、リクウは大きな魔石をルナリアに渡してきた。
ルナリアは魔石を受け取りながら、
「ありがとうございます。けど本当に心配したんですからね。無茶はやめてください」
「最後だからのちょっと無茶だ。これでスフェーンがもっと笑えるようになるんだろ? それなら価値はあるさ」
そう言うリクウの笑顔は曇りがなく、何の迷いもなく、誰かが笑えるようになるためだけに命をかけるその姿は、本当に聖人のように見えた。
「というわけで、今日は宴会にしよう。竜関係の買い取りでちょっとした金持ちになれるらしくてな、奮発していい酒を買ってきたんだ」
その夜、リクウはいつになく飲んで酔っ払っていた。
その様は、聖人とは程遠い、俗っぽさにまみれていた。
それでも、この上なく楽しそうではあったのだけれど。




