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52.無心ではなく


 竜がどこにいるのかは、ひとつの課題になると考えていた。

 わかりやすく山頂、ということはまさかあるまい。

 竜は何かの目的――例えば繁殖とか――があってこの山に滞在しているはずであり、そういった場合は目立つ場所よりもむしろ目立たぬ場所にいる可能性のほうが高いと思われた。

 洞窟内や、谷間のような戦いにくい場所だとかなり不味い。

 その場合は撤退も考えねばならないとリクウは思っていた。


 が、意外なことに、竜は山頂にいた。

 かなり下からでもそれがわかる。

 森林地帯を抜け、視界が開けた瞬間からその姿は目に入った。

 山頂にいる赤黒い巨体は、自らの力を誇示するかのように堂々と佇んでいた。


 でかい。


 ちょっとした家と同じくらいの大きさがある。

 リクウは、これほど巨大な妖異とは戦った経験がない。

 動きは鈍そうに見えるが、余計な先入観は逆に危険であるような気がした。

 真都揶の龍であるなら当たり前に法術、妖術を使うが、この竜は果たしてどうなのか。


 恐怖は感じていない。

 全身に力が満ち、戦意が恐怖を塗りつぶしている。


 隣に浮かんでいたルリが、


「トカゲじゃな。やはり愚竜の国じゃ。あれが龍を名乗るとは失礼な話じゃ」

「弱い、か? あれが?」

「力はあるじゃろうが、オツムは動物じゃろう。あれなら妾は止めん。しかし油断はするなよ」

「しねーよあんなの見せられて」


 遠くからでも、その力はひしひしと感じていた。


 相手はまだリクウたちに気付いていない。

 仕掛けるならいきなりだ。

 妖異相手に名乗ろうなどというつもりは毛頭ない。

 

 それに、あの竜は既に人を殺めている。

 魔石を手に入れるための狩り以外にも、退治する理由は無数にあった。


「行くか」


 狙うは、速攻だ。

 生物としての能力は、明確に向こうが上だ。

 まともに殴り合ったら秒で死ぬだろう。

 ならば、何もさせずに勝つのが理想だ。


 いきなり行った。


 荒々しい岩肌を、リクウは人間離れした速度で走る。

 竜はまだリクウに気付いていない。

 寝てはいないのだろうが、首を地面に寝かせ、尾を巻いて休んでいるように見える。


 風を切る感触がリクウの全身をなめる。

 距離がぐんぐんと縮まる。

 

 あと五秒あれば密接できるといった距離で、竜が動いた。

 素早く首を上げ、はっきりとリクウを見据えた。

 爬虫類のような瞳が黄色い輝きを放っていた。


 構わず行った。

 二秒で距離を詰め、間合いに入る一秒前に杖を投げた。

 狙いは目、刺されば上等だがそんなものは最初ハナから期待しちゃいない。

 気を取られて一瞬でも時間が稼げればそれで十分だ。


 竜が首を曲げてあっさりと杖を避けた。


 上等。


 その時にはもう、リクウは攻撃の予備動作に入っていた。


 力強い踏み込み。

 一、二、三、盤石な踏み込みで全身の力を練り上げ、リクウは竜へと一心不乱に突撃した。


 竜にとって、地面に体をつけていたのは致命的だった。

 そのおかげで、リクウはしっかりと地に足をつけての攻撃ができた。


 リクウの身体が、竜の足の付け根に突き刺さった。


――――魂震。


 傍から見れば冗談のような光景が繰り広げられた。

 竜の巨体が浮き上がったのだ。

 小さな人間の体当たりを受けて。


 マジかよ。リクウは内心で戦慄する。

 完全な魂震が入ったのは間違いない。

 踏み込みも、練気も完璧な手応えだったし、竜の体にその力が通ったのも伝わってきた。


 それでも、竜を仕留めきれていないのはわかった。

 浮き上がったままの竜の尾が動き、リクウを狙おうとしていた。


 リクウは引くのではなく、更に踏み込むのを選んだ。

 影を置き去りにするような速度で疾走り、再度、


 一、二、三、


 竜の尾を掻い潜り、竜の着地を完全に捉えた。


 巨大なもの同士が激突するような轟音が響く。


 竜の咆哮が山中を満たした。

 二度目の魂震だ。


 竜が再び浮き、今度はろくな着地もできずに転がり、それでもまだ生きていた。


 冗談じゃない。

 二度目も完璧な魂震だった。

 それなのに竜は苦しそうに喘ぎこそすれ、生きてその体を動かしていた。

 魂震は文字通り必殺技である。

 まともに入って生きている相手がいるというのが、リクウには初めての経験だった。

 それどころか、二度も受けてなお生きているなど、リクウにとっては自信を喪失してもおかしくない出来事であった。


 何がトカゲだ、と頭の中でリクウは毒づく。

 魂震は全身全霊の必殺であり、かなりの霊気を消耗する技だ。

 二度連続で放っただけでも、全身が悲鳴を上げているのがわかった。

 三連続などリクウにとって未曾有であり、それが可能なのかすらわからない。


 それでも、やるしかなかった。

 効いてはいる、それは間違いない。今も竜の巨体が地面に転げたまま、耐えかねぬ苦痛を吐き出そうとでもしてるかのように暴れている。

 回復されるのが一番不味い。

 リクウとてもはや満身創痍だが、ここでの最善は、最大最強の攻撃をひたすら叩き込む以外にない。


 リクウは駆ける。

 もう何も考えずに、ただ無心で出来るかどうかもわからない三度目の魂震を――――


 そこまで考えて、リクウの魂がそれを否定した。

 そうじゃない、無心ではない。

 ここまで来たのならば、どんな些細なものでも、力になることを考えるべきだ。


 例えばルナリアの笑顔だとか。

 例えばミューデリアの怒った顔だとか。

 例えばスフェーンの困った顔だとか。


 例えば、アルテシオンで過ごした楽しかった出来事だとか。


 何のために戦っているのか。

 何のために力を絞り出しているのか。

 それを意識し、

 リクウは踏み込み、


 一歩目の踏み込みが地面をえぐりさらなる加速をもたらし、

 二歩目が練り上げた力の方向性を定め、

 三歩目が苦しみ喘ぐ巨体に照準を定め、


 全身全霊を込めた、三度目の”必殺”が、竜の巨体へと突き刺さった。

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