48.スフェーンと猫
ルナリアの家には、冷室なるものが存在する。
大きな箱型の魔導具で、魔石を媒介にして箱内を低温に保つ、氷室のような役割をするものだ。
これがあれば素材を長い期間良い状態で保つことができる。
この冷室の有用なところはそれのみならず、単純な食材を保管しておく場所としても最適でもある。
ルナリアは錬金術に使う素材に限らず、ナマモノと言えばだいたいここに入れている。
なぜ冷室の説明をしてるのかと言えば、リクウが今その前にいるからである。
朝もはよから人間大の箱の前で、リクウはルナリアに問い詰められていた。
「リクウさん、正直に言ってください、ミルク全部飲みましたよね?」
あらぬ疑いである。
リクウはミルクなど飲んでいない。
「いや知らんよ、俺はミルクなんて飲んでない」
「本当ですかぁ~?」
とルナリアは疑い深げに探りを入れてくる。
「そもそもなんで俺なんだよ?」
「だって、うちにいるのってリクウさんとルリちゃんとわたしだけじゃないですか。スーくんは飲みませんし」
「ミューちゃんかもしれないだろ?」
「それはないです、ミューちゃんとここに来る時はいつも一緒ですから。ミルクを飲んでるところなんて見てません」
「そうなると消去法で俺が犯人ってわけか」
「その通りです! 観念してください! 別に怒りませんから」
と言ってルナリアはビシっとリクウを指をさす。
しかしリクウは本当にミルクは飲んでいない。
冷室からミルクが消えているからには、何か理由があるのだろうが、それはリクウでは決してない。
「本当に俺じゃねぇって。ルリからも言ってやってくれよ」
冷室の中を見ていたルリが振り返って、
「なんじゃ?」
「だから俺の身の潔白を証明してくれよ。ミルクなんて飲んでないって」
「ああそれか、リクウはミルクは飲んでないぞ」
「え、あれ? 本当ですか?」
「本当じゃ、リクウは酒のツマミにとチーズをいくらか勝手に拝借しただけで、ミルクに触れてるところは見ていないわ」
ルナリアの冷たい視線がリクウに突き刺さる。
「ちょっと? リクウさん?」
「いやぁ、そんなこともあったかもなぁ。いや後から言おうと思ってたんだけど忘れててな?」
「本当ですか?」
「ほんとほんと、マジマジ、如尊に誓って」
むー、と声を出してルナリアは頬を膨らませていた。
「それより犯人探しをしたいんだろ? ミルクの」
「そうですけど、ミルクは、リクウさんじゃないんですね?」
「それは間違いない。俺の目を見てくれ」
ルナリアはリクウの目をじっと見つめ、
「逆に怪しく見えるんですけど」
「おいおい俺のこのきれいな目を見てどうしてそうなるんだよ」
「一応聞きますけど、ルリちゃんでもないですよね?」
「妾は勝手には飲まーぬ。食客としての礼儀をわきまえている故な」
「じゃあもしかして、泥棒とかですか?」
とルナリアは顔を青くするが、
「いやー、それはないんじゃねぇかな。そんなん入ったら俺が気づく」
そこに、スフェーンがやってきた。
「どうしたのですか? みなさん」
「あ、スーくん。あのね、冷室からミルクがなくなってたの。それでリクウさんかと思ってたけど違ったみたいで」
「お、そういや謝罪を受けてないぞ。あらぬ疑いのよ?」
「でも、チーズは勝手に食べましたよね?」
「いやそれは、まあ、はい……」
「なら帳消しです」
スフェーンが、見たこともない顔をしていた。
全体としては驚いた表情に見えなくもないが、それがどういった感情なのかは、リクウには読み取れなかった。
「ミルク、ヤギのミルクですよね?」
「そうそう、スーくん知ってる?」
「すみません、マスター、僕です」
「僕? 何が?」
「そのミルクを使ったのは僕です。申し訳ありません。一言伝えるべきでした。
ルナリアの方は、わかりやすく驚きの表情を浮かべていた。
「スーくんが、飲んだの?」
「いえ、飲んではいません」
「じゃあどうしたの?」
「その、猫に」
「ねこ」
ルナリアがオウム返しに言う。
「家の裏手の通りの路地裏に、怪我をした猫を見つけまして、その猫がひもじそうにしていたので、つい」
「スーくんがその猫を見つけて、助けてあげたの?」
「はい、申し訳ありません」
スフェーンが深々と頭を下げる。
「謝ることなんてないよ! すごくいいことだと思う! でも、どうしてそんなことしたの?」
「それは、リクウ様が誰かを助けるのは素晴らしいことだと言っていたので。僕もマスターが錬金術で人助けをしているところ見て、それは正しいことだと思いました。だからそれを実践してみようかと」
「立派じゃないかスフェーン、それが人としての正しい道ってやつよ」
「そうなら、いいんですが、マスターを困らせてしまったかもしれません」
スフェーンは自信がなさそうにしている。
「困ってなんかないよ! ちょっと驚いただけ。ねぇ、もしよければみんなでその猫を見に行かない? 店を開けるまでまだ時間があるし」
「それは良い案じゃ! 妾も猫がみたい! ねこねこねこねこ」
言いながらルリは両手で招き猫のようなポーズを取っている。
「それじゃあ、みんなで猫を見に行こうか」
店を出たところでちょうどミューデリアと出会った。
「なになに、アンタたち勢揃いでどうしたの?」
「おはようミューちゃん! みんなで猫を見に行くんだよ!」
「猫? なんで?」
「スーくんが怪我してる猫を見つけて、助けてあげたんだって。だからその子を見に行くの」
「助けたって、スフェーンが? 自発的に?」
「そうだよ、わたしとかリクウさんを見て、自分でも誰かのために何かをしたいって思ったみたいなの! これってすごくいいことだよね?」
「おう、もちろんいいことだ。スフェーン、お前は俺の弟子を名乗っていいぞ」
ミューデリアではなく、リクウが答えた。
半分は冗談のつもりで、ミューデリアからの突っ込みが入ると思っていたのだ。
しかしそうなることはなく、ミューデリアはリクウたちのことは目に入っていないかのように、自分の世界で何かを考えているようであった。
「おい、ミューちゃんどうした? おはよう?」
「あ、ああ、ごめんなさい、ちょっと気になったんだけど」
「何が?」
「なんでもないわ。たぶん気の所為」
「のうのう、猫はまだか?」
とルリは待ちきれぬ様子で歩くふりをする。
「ミューちゃんも一緒に見に行こうよ! きっとかわいいよ」
「しょうがないわねぇ……」
とミューデリアも同行した。
猫は鼠の獣人の住処のほど近くの裏路地にいた。
ゴミの山の一画のボロ布に包まれて休んでいるようであった。
まだ子猫で、薄い茶色の毛皮をしていた。
突然の来客にみーみーと不安そうに鳴いていたが、スフェーンの姿を認めると、子猫はピタリと鳴きやんだ。
「すごい、スーくんを見て鳴きやんだよ」
「偶然ではないですか?」
「そんなことないよ、懐いてるんだよきっと」
猫は確かに、スフェーンを見ているようであった。
「かあいいねー」
とルナリアがとろけた顔で言う。
それからしばらく、みんなで子猫を愛でていた。
それだけで、今日一日は素晴らしい日となった。
子猫のかわいさは偉大であった。




