31 姫様の決意
私は心の中で優秀な人間だと自負していました。
もちろん、人前でそのような態度をとったりすることはありませんが、毎日のようにちょっとしたことでも褒められていたのなら、そう思っていてもそう不思議はないでしょう。
聞き分けもよいし、粗相もしない。けれども私と同じ年代の子供の大半は、大人の言うことなどきかないやんちゃなものばかりだというではないですか。
手伝いは全然やらず、勉強もやらず、言うことは聞かずに率先してイタズラをする。それがお父様やお母様に迷惑をかけるとは考えないのでしょうか?
私の生まれが少々特別だということは認めましょう。それでも、私は周りの子供たちがこうも自分と違うことに、いらいらしてしまうことがありました。正しいのは自分のはずなのに、どうして“私”がみんなと違うのでしょう。違うのは“みんな”のはずなのに。
そして、今。
私はそんな“正しくないこと”を、“みんな”と同じような、言いつけを破ることをしています。
おかしい話です。あれだけ嫌っていたことをやっている自分にいらいらしないどころか、むしろちょっとわくわくしてすらいるのですから。もしかしたら、“みんな”もこういう気分だったのかもしれませんね。
尤も、罪悪感がないのは大義名分があるから──という理由が大きいでしょう。
私がいいことをするたびに褒めてくれたリティス。お勉強をちゃんとやっているときも、お父様やお母様の言いつけを守っておとなしくしていたときも、いつもそばにいてくれて、笑いながら私を褒めてくれました。そんな大好きな彼女のために、私は今ここにいるのですから。
リティスは私たちのお世話をしてくれるメイドさん兼教育係です。もうずっと前から、私が物心がついたときにはすでに、私の生活の中に当たり前のようにリティスは存在しておりました。
他の子とはちがい、真面目な私はリティスにとっても気心の置けない人間だったと思います。自惚れかもしれませんが、他の子よりも可愛がってくれたようにも感じます。
もちろん、リティスは他の子も大好きです。笑いながら、『子供は元気なほうがいいですよ』なんていってましたから。
そんなリティスですが、ある日突然具合が悪そうによろよろとしておりました。事実、数時間後にはリティスは立っていられなくなるほどになり、私はあわてて──半ベソをかきながら人を呼んだものです。
幸いにも命にかかわるような病気ではなかったのですが、その病気は彼女の種族──黄泉人だけにしか発症しない特殊な病気でした。安静にしていたら自然に治るとお医者様は言っておりましたが、その間、およそ二年近くもリティスはベッドから離れられず、苦しい思いをしなくてはならないというではありませんか!
幸か不幸か、薬が無いわけではないそうです。しかし黄泉人だけしか罹らない病気であり自然に治ること、そして特殊な病気ゆえに薬の材料も特別で、簡単には手に入らないというのです。
私は悲しかったです。どうしてリティスがこんな目に合わなくてはならないのでしょうか。どうして日頃優秀だと褒められる私は、ただ黙ってリティスを見ていることしかできないのか!
私がリティスのお見舞いに行くと、いつも彼女は弱弱しく笑ってありがとうと言います。私はただ、そこにいることしかできないというのに。
自分のふがいなさを、力の無さを呪いました。大好きな人が弱っているのを、ただただ見ているだけの私を呪いました。
そんな時です。私のあまりの様子に見かねた弟が、こそこそと耳打ちしてくれたのです。
──姉さま、もしかしたら、お薬、見つけられるかもしれない。
弟が言うには、城下の街に“鬼の市”と呼ばれる冒険者御用達の素材買取所あるそうなのです。そこはなんでもそろうといわれるほどの規模で、そこになら薬の材料があるかもしれない、と。
飛び上がるほど喜びました。普段“悪いこと”をしている弟達ですがどうもその時に知ったようです。悪いことも、全てが悪いわけではないと知った瞬間でした。しかし──
──僕たちは、いけない。
普段から“悪いこと”をしている弟達はしっかりとマークされています。教育係であるリティスが倒れている今、そのマークも今までよりも強くなっているというのです。
つまり、そのマークをかいくぐれる可能性があるのは私だけでした。
情けない話ですが、私は怖くなりました。ただでさえ“悪いこと”をするというのに、その上さらに一人であの冒険者が入り浸る場所へと行かなくてはならないのですから。
弟は冒険者は悪い人ではないといいますが、お話を聞く限りでは屈強で怪力、魔物であれば例え子であろうと容赦せずに虐殺する血も涙もない連中です。それも、常に複数人で群れ、一匹に対して複数で囲んで虐殺すると聞きます。そんな恐ろしい連中のところへ行かねばならぬというのに、恐怖しないはずがありません。
──姉さましか、できないんだ。
普段なんだかんだでリティスの手を煩わせている弟達ですが、リティスのことが嫌いなわけではありません。私と同じくらいリティスのことは大好きだというのは知っております。そんな弟達が、涙をこらえて私に託してきたのです。
何もできないつらさは、私だって痛いほどわかります。ここで断るという選択をとるのは私自身が許せませんでした。
そして、決行の日。
弟達と出し合ったおこずかいをもち、その時を待ちます。そして──
「おいっ! あっちだ!」
「くそっ! ちくしょう、毎度のことながら地味にはやい!」
弟達がいつもよりちょっと派手に何かをやらかしたようです。そちらに注意が向いているうちに私は用意したフード付きマントをすっぽりとかぶって、街の人たちと同じように見える変装を確認してから、初めて一人で城下街へと降りて行ったのでした。
「よ──っす、おひさぁ」
「お、久しぶりエディ」
「久しぶりです、エディさん」
飴作りからしばらく。ちょっと長い休みを明けたミナミは、レイアと共にギルドから受けた討伐依頼を片づけたところである。今は大量の成果を持って鬼の市に来ていた。
「相変わらずいっぱいあるなぁ……スカイアントか」
「ええ。ぼちぼちいい稼ぎになりましたよ!」
討伐対象は空蟻と呼ばれる中型の鳥。その名の通りアリのような硬い甲殻をもち、空を何十匹という数で覆い尽くす驚異的な魔物だ。
普段は山の中に生息しているらしいが、ここ最近で餌不足になり、山から下りてきてしまったらしい。幸いにも死傷者はでていないものの、作物が荒らされるなどの被害があったため、討伐依頼が出されたとのこと。
ちょっと遠い場所だったが報酬金もなかなかよかったため、ミナミたちはごろすけにのってささっと飛んでいったのである。
硬い甲殻を持ち、空を飛びまわってコンビネーションで攻めてくる空蟻は、一匹一匹の攻撃力は大したことはないとはいえ、なかなか厄介な相手だ。普通の冒険者にとってはなかなか戦いづらく、想定以上の苦戦を強いられることは疑いようがない。
とはいえ、ミナミにとってはさして問題ではない。基本的に群れている魔物はむしろカモだ。ちょろっとレイアが一匹を打ち落とし、そいつをミナミがゾンビ化させれば後はいつもどおり、最後の一匹になるまで空蟻同士で潰し合いを始めるという寸法である。
目の濁った空蟻の嘴が別の空蟻の甲殻を突き刺すと、一瞬その空蟻の動きが止まり落ちだす。すぐにまた動き出すが、そのころにはその空蟻の目も濁っている。なかなか迫力のある空中戦だったといえよう。
特に最後の一匹、リーダー格のやたらすばしっこいやつは前後上下左右、正真正銘逃げ場なく、五十匹近くに囲まれたというのにうまく逃げ回っていたというから驚きである。もちろん、最終的には力尽きてしまったが。
「そういやじーさんとパースがそわそわしてたぜ。そろそろアレの解体ショーやってやれよ」
「いっけね、すっかり忘れてた」
「やっぱ忘れてたかぁ。いまから打ち合わせしとけば? どうせ、またいつもの場所でやるんだろ?」
「うん。じゃ、決まったら連絡する」
そう言ってエディは去っていった。彼も冒険の後だったのだろう。一人で何をやっていたのか気になるが、それよりも買い取りだ。
空蟻の素材もそこそこ高く売れる。その硬い甲殻はその見た目や硬さの割になかなか軽く、特に防具の材料として重宝されている。重かったらきっと空蟻も飛べないからだろう。自然というのはうまくできている。
「今日はいくらになるかしら~♪」
「もうだいぶ溜まってきたよなぁ、お金」
ミナミの能力とごろすけの機動力、そしてレイアの的確な指示のおかげでエレメンタルバターにはお金が結構なペースで入ってきている。たぶんミナミ一人ではうまくいかなかっただろう。ミナミが無計画なこともあるが、この手のことはレイアがすごくしっかりしていたため、彼女に任せればだいたいのことはうまくいったのである。
この調子でいけば夢の新築エレメンタルバターももうすぐできるかもしれない。順調な未来に思いを馳せながら、ミナミはギン爺さんの部屋へと向かっていった。
「じゃ、解体は三日後、市のなかで」
「うむ、金はいつものとこに振り込んでおく。いやぁ、いい仕事したのぅ」
交渉終了後の緩んだ空気。本来なら秘密のお話をする場所に似つかわしくないそれが、三人の間に広がっていく。
毎度のことだが、あれだけ大量の素材を普通に持ち込むわけにはいかない。そもそもあんなにいっぱいのものを持ってくることは普通は出来ないのだ。もはやこの部屋はミナミたち専用ルームに近いものになっている。
「にしても、解体は本当にここでいいのかのぅ? こういっちゃなんだが、結構人来るぞ?」
「構いませんよ。パースさんとギン爺さんと、あとここの職人数人くらいでしょ?」
「もしかしたら噂を聞きつけた学者連中がくるかもしれん」
「ああ、ギン爺さん学者さんあまり好きじゃないんでしたっけ? 自分も学者のはしくれなのに」
「ワシが嫌いなのは学者じゃなくて、自ら動かん口だけの学者じゃ。あいつらは本当になっとらん」
「そういえばパースさんも似たようなこと言ってましたねぇ」
「うむ、パー坊は弟子だからな。ワシと同じ考えでも不思議はないのぅ」
「なんだかいいですねぇ、そういうの」
「そうじゃろそうじゃろ?」
「はいスト──ップ! いいかげん帰るわよ!」
ずっと会話に置いてけぼりにされていたレイアが遮る。結構長い時間喋っていたから、レイアが怒るのも無理はないだろう。
「あ、ちょっとまってくれ。ちょっとここ見ておきたいんだ」
「……わかったわ。ただし、三十分くらいで切り上げること。今日は買い出しするって言ってあったよね?」
「荷物持ちはまかせてください、ハイ」
言うか言わないかのうちにレイアはさっさと部屋から出ていく。今からソフィと合流して食料品の類を買いに行くのである。
子供もいるとはいえ七人分の食料はなかなか量がある。当然、ソフィ一人では重労働だ。できるだけレイアやミナミが買い出しにはついていくのがエレメンタルバターでのルールである。
「随分尻にしかれとるのぅ……」
「はは……今回は忘れていたおれが悪いですよ。それに、あれが重労働なのは事実なんで」
ミナミは一度巾着なしでついていったことがあるのだが、重さよりも嵩が張ってとてもじゃないけど歩けなかった。ソフィは何往復かして買い出ししていたらしいが、大変だったことだろう。巾着が使えるミナミが付き添えば、あれもずいぶん楽になる。なら、手伝わない道理はない。
「そだ、これあげますよ。おすそわけです」
「これは?」
「めずらしいもの、ですかね? 食べ物です。おれが出ていったら開けてくださいね」
ギン爺さんの前にきれいにラッピングした小袋をぽんと置く。中身はもちろん先日作ったあれだ。
「あのとき言ったことを覚えておいてくれるとはのぅ」
「そういう約束だったじゃないですか。約束は割と守るほうですよ」
そういってミナミも部屋から出て行った。ミナミが部屋から出てすぐに、ギン爺さんの驚きの声が聞こえたのは言うまでもない。
私は途方にくれました。せっかくあの鬼の市に来たというのに、探していた薬の材料は見つからなかったのです。なんでも少し前にこの市のヌシと呼ばれる方が伝手で手に入れたそうなのですが、今はもうないとのこと。
「そ、そんな……!」
「ど、どしたの!? な、何か深い事情でもあったの……!?」
くしゃくしゃに顔をゆがめた私を見た職員のおねえさんは、ぎょっとして事情を聞いてきました。本来なら他人にべらべら自分のことを喋るような真似はしないのですが、頭がぐちゃぐちゃになっていた私は、その時ばかりは喋ってしまいました。もちろん、肝心なところは伏せましたが。
「そっか……。そのリティスさんって人を助けたいんだね」
「はい……」
「でもあの病気はなぁ……ギン爺さんもあんだけ派手にやってたし、あんときすっからかんになってたしなぁ……」
「もう、大丈夫です。ないものは、どうしようもないです」
どうしようもない、という言葉が出たとき、また私は泣きそうになりました。せっかく弟たちが私に託してくれた思いも、リティスを助けるという私の意思もここで潰えてしまったのですから。
「ちょ、ちょっと! もう、泣かないでよ。こっちも泣きたくなっちゃうよ……!」
「す、すみ、ま、せん」
「……ねぇ、薬はなくてもさ、プレゼントをあげるってのはどうだろう?」
「ぷれぜんと?」
「そう。あなたからもらえたらきっとうれしいんじゃないかな?」
その言葉にどれほど救われたことでしょう。そのおねえさんがまるで女神さまのように見えました。
「つらいときってさ、とにかく気分が落ち込むの。今のあなたもそうでしょう?」
こくりとうなずく。
「だからさ、なにか面白い物とか、珍しい物とかなんでもいいから──あっ! キミ、ちょうどいいところに!」
おねえさんが指さしたところには一人の冒険者がおりました。いまのリティスのように顔色の悪い、なんだかあまり特徴のない男性です。意外だったのは、冒険者の恰好をしているというのに、あまり逞しくないところでしょうか。
「……えっといつものお姉さん、ですよね」
「そうそう、ギン爺さんとの連絡役に使われているお姉さん」
「……なんかすみません」
まぁそれは置いといて、とおねえさんは続けます。
「ちょっと相談したいんだけど、プレゼントになりそうなもんしらない?」
「ああ、迷子ですか? その子」
「いや、違うんだけど……たぶんこの子のお姉ちゃん的な人が病気で、薬が買えなかったからせめて何かプレゼントをって」
「なるほど……」
「ギン爺さんに気に入られるくらいだからなにかいいモノ知ってるかな、と」
おねえさんの説明を聞くとその方は腰を落とし、私と目線を合わせて笑いかけてくれました。あまりにも迷いのないその行動と、何もかも忘れてしまうくらいに優しい笑顔に、なぜだかすごく安心できます。
「よくがんばったな」
「……え?」
「泣いてまでがんばるって、そうそうできないぞ」
いつのまにやら、私はその方に頭を撫でられていました。私が気付かないくらい自然な動作でした。
「そんなキミににーちゃんからプレゼントだ。お家に帰ってから、その人と一緒に開けるんだぞ。とってもおいしいんだ」
そう言って彼は、きれいにラッピングした小さな袋を二つ私に手渡してくれました。中に何が入っているのかはわかりませんが、私にはそれがとても素敵なもののように思えました。
「あ、ありが、とうご、ざいま、す。お、かね、は」
大事に懐にしまうとなぜかまた、悲しくないのに涙が出てきました。
「お金はいらない。プレゼントだからな。今はいっぱい、好きなだけ泣け」
リティス以外でぎゅっと抱きしめてくれたのは彼が初めてかもしれません。リティスとは違った温かさがありました。嬉しいはずなのにとめどなくあふれてくる涙は、もはや抑えられようがありません。
彼の胸の中で思いっきり泣きじゃくってしまったのは、しょうがないことですよね?
「キミ、すんごい手慣れているね…」
「ま、職業柄ってやつですかね」
「ところで、なんでまた都合よくプレゼントもってたの?」
「ちょうどギン爺さんにもおすそわけしに来たんですよ。お姉さんもお一ついかがです? ホントは別の仲間に渡そうとも思ってたんですけど、さっきうっかり渡しそびれちゃって」
「いいのかい?」
「まだ結構ありますからね。いつもお世話になっているお礼です」
めいっぱい彼の胸で泣いてすっきりした私は意気揚々と帰りました。お父様たちにはこってり叱られてしまったし、お薬の材料も買えなかったし、“悪いこと”をしてしまったりもしたけれど、後悔はしておりません。
そう、彼からもらったそれは、私たちにとっても、リティスにとっても奇跡のようなプレゼントだったのですから!
20160623 文法、形式を含めた改稿。




