10 よく晴れた森の夜
師匠に連れられて一度だけ貴族の屋敷にいったことがある。なんでもその屋敷の当主様と師匠は新人時代からの付き合いだそうで、お互いに持ちつ持たれつで協力し合っているのだとか。師匠の冒険者としての仕事の最初の依頼主で、その時に意気投合したらしい。
気のよさそうなおじさんだというのが私の第一印象だったけど、ああ見えて結構なやり手らしく、若いころから師匠と一緒になっていろいろと“やんちゃ”していたんだって。君は私たちみたいにはなるんじゃないぞ、と笑いながら頭をなでてくれた。
師匠たちは何かの依頼の話をしていたらしい。もっとも、当時の私は師匠たちのお話よりも、目の前にあるたくさんの料理に目が釘付けになっていた。
今まで見たことのない料理。師匠に連れられての旅の途中では、ご飯はだいたい乾燥した携帯食だったから、最初はそれが料理だととても信じられなかった。
獲物が狩れたり、自生している果物を見つけたりすることができればパサパサしていないものを食べることができたけど、基本的には火を通すだけの調理だった。見た目だって気にしない。安全にお腹いっぱい食べられればそれでよかったから。
町の食事処でも、師匠は基本的に味よりも量を好んだ。旅の途中のご飯よりは何倍もおいしいけど、大雑把な味が多かったし、見た目が若干豪快だったから、幼い私にはそれがちょっとだけ不満だった。
ところが、どうだ。
そのの料理は見た目もきれいで、今までに食べたことのない味がした。とろとろで柔らかいお肉もあったし、あったかくていい匂いのするオニオンスープもあった。すこし堅苦しい雰囲気だったのと量が少なかったことを除けば百点満点だ。
あとで知ったことだけど、あれでもマナーとかをぶち壊した和やかなものだったらしい。本場の貴族の食事はもっと窮屈で少量で、メシを喰った気がしない、と師匠がぼやいているのを聞いたことがある。
その日は依頼の話だけで終わるはずだったのに、師匠と当主様が酒盛りを始めたので結局一泊することになった。
通された客室にあった、初めて見るふかふかのベッド! まるで雲の上に寝そべったかのようで、とっても気持ちよかった!
旅の途中ではごつごつしたところに薄っぺらい毛布を引いて寝ることができればまだマシ、といった生活だったし、地面に直接寝ることだってザラにあった。
それに比べて、あのベッドのなんと柔らかかったことだろう。ほのかにお日様の香りもした。
今までの自分の環境がいかに酷いものだったのかを悟り、師匠に抗議したら、あんないいベッドは普通の家にはないと言われた。
基本的に宿代はケチる傾向にある師匠だったけど、その理由がいい布団に慣れると後でつらくなる、というものだったと知ったのは割と後になってからだった。
さて、そんなわけで私の人生の中での極上の体験というのはおいしい料理とふかふかのベッドの二つだった。
今の私ならこの二つを手に入れることもできないわけではない。それでも私には目的があるから、それを手に入れることはしない。
不真面目そうにみえて自らをしっかり律していた師匠を見習って、おいしいものにもふかふかなものにも、あまり近付かないようにしていたけど……。
大森林で出会ったミナミ。いろいろあって彼と一緒に夕飯を食べることになった。そこで食べたお肉のおいしさといったら!
あの時の料理の何倍もおいしくて、どれだけ食べてもまだまだ食べられそうだった。不覚にもそのおいしさに周りが見えなくなってしまっていた……と後になって気づく。
あの味は忘れられそうにない。師匠の行動の本当の意味がわかった気がする。あんなのを毎日食べていたら、人間堕落する。きっと元の食生活には戻れない。
あのあと私はそのまま気持ち良くなってしまって眠ってしまったらしい。ふかふかのベッドの中で頬ずりしていた。
たぶん夢だと思う。きっと夢のはずだ。だって、あそこにベッドはないし、宿にもこんなふかふかのベッドなんてないから。
きっと、ううん、絶対あの時のベッドだ。おいしいものを食べたから、あの時のことを思い出したのだろう。今ではもうこれに頬ずりできることなんてできないもん。
……夢の中なんだから、夢の中くらい好きにしたっていいかな。
ふかふか、すりすり。
ああ、やっぱりこの感触はいい。あの時のベッドよりもいい感触だ。こっちはどこか温かみがあるかも。全身が包まれている感じもいいな。
ふかふか、ふかふか、ぺしっ。
……ぺしってなんだろう? 叩いた右手がざらついている。お布団にこんな感触あったっけ?
あれ、私はいま……?
「っ!」
「あ、起きた?」
ミナミは夜、眠れなかった。理由はおそらく、ゾンビだからだ。
いつの間にか横になって寝息を立てているレイアをみて、そろそろ眠らなくてはと横になったまではよかったのだが、いくらがんばってもすぐに目が覚めてしまったのだ。
精神的な休息は必要なはずなので、眠るという行為そのものはできるはずだが、ゾンビとなったことで肉体的疲労が皆無に近くなったのだろう。おそらく、もっと疲労した状態でなら眠れるのだろうが、少なくとも今はどう頑張っても眠れそうになかった。
そうなると暇だった。周りには焚き火の明かりとウルリンの毛皮や牙しかない。ゲームや漫画があるわけがなかった。
そこでミナミはこの時間を魔法の練習に費やすことにした。まずは手始めに、手を動かさずに周りにある毛皮や牙を目の前に集めることにする。どうせ回収するのだから、練習も兼ねたほうがいい。
「わぉ」
軽く念じただけで、モノが周りに集まってくる。魔法というよりかは超能力のようだ。一回り大きい牙と毛皮はキングウルリンのものだろう。
「やっぱ臭うし……派手にシミがついてるんだよなぁ」
次に毛皮と自分の制服の洗濯をしようとした。毛皮も制服もかなり汚れていたからだ。というか、鮮血がべっとりとついていてとても元が制服であったようには見えない。
いちおう毎日風呂に入るくらい清潔な日本人にとって、汚れた服を着続けるというのにはかなりの抵抗があった。
風呂にも入りたかったが、この場で熱湯を出して全裸になるのはどこか気が引ける。寝てるとは言え異性がすぐそこにいるのだ。それに風呂桶もない。
ならばせめてと、着ているものの洗濯で我慢しようとしたのだ。毛皮は制服のついでである。
「洗濯機……っと」
洗濯機の水流のように水を操れないか試してみる。火と同じように、なんかこう、出来ると思えば水を出すことができた。魔法を使うということは第六の感覚を使うことと同義らしい。それをいかにうまく扱えるのかが、魔法の実力に直結しているようだ。
空中に渦巻く水球を作りあげる。安定しているのを確認して、ミナミは脱いだワイシャツをそこに投げ入れた。
「うぉぉ」
一瞬で水球が赤く染まった。どうやら見た目以上に汚れていたらしい。しかし、汚れというものは一瞬でここまで落ちるものなのだろうかとミナミは不思議に思う。
母が白いシャツにこぼした醤油のシミを抜いたときはもっとかかっていたのをミナミは覚えている、ふざけていた兄ともども、こっぴどく叱られたのも記憶にしっかり刻まれている。
「魔法……だからかなぁ」
すぐにきれいになるのは魔法で洗濯したからだろう。ある程度たって取り出したワイシャツはシミもしわもなくなっていた。
どうやら何をどうしたいかを明確に意識して魔法を使うと、ある程度はその効果が結果に反映されるようだ。さっきの肉も魔法の火で焼いたからおいしかったのかもしれない。
とりあえず上だけ洗濯したミナミは次に毛皮を水球に投げ入れた。さすがにいっぺんに入りきらなかったので、もうひとつ水球を作り、魔法を使って投げ入れる。
ミナミはじいちゃんが毛皮の処理をしているのを見たことがある。はぎ取ったばかりの毛皮はごわごわして、とても普通に売られている毛皮製品と同じようになるとは思えなかったのだが、処理された毛皮はお店で売っている毛皮製品よりもふわふわしていた。ひとつひとつを丁寧に手仕上げすると上等なものが作れるそうだ。
そんなことを思い出しながら毛皮を“処理”していく。『洗う』と念じるよりもあの時の毛皮と同じように処理する、と念じたほうが効率がよさそうな気がしたからだ。
「うん……こんなもんかな?」
三十分近くかけて、ようやくミナミは毛皮の処理を終わらせた。じいちゃんが作った毛皮よりもうまくできており、その仕上がりに満足する。
ふわふわでなめらかな手触りで、高級ブランドものといっても疑われないだろう。さっきまではあった獣臭さも抜けている。猿っぽい魔物から作ったというのに随分と立派なものだ。これを加工して町で売れば、少しはお金になるはずだ。
とりあえず今は何に加工するかは置いておくことにする。しかし、せっかく作ったそれをそのまましまってしまうのはなんだか癪に障った。生まれたばかりのちっぽけなミナミの職人魂がそれを良しとしなかったのだ。
「……お」
ふとレイアをみると、彼女が地面に直に寝そべっていることに気づいた。いくらなんでも、これでは風邪を引いてしまうかもしれない。寝心地だって最悪だろう。
「あらよっと」
大量にある毛皮の一部を敷き詰め、その上に魔法でレイアを運ぶ。直接運ばないのはただ単にミナミがチキンであるからだ。運動会のフォークダンス以外では女の子と触れ合ったことがないというのに、寝ているところを抱き上げられるわけがない。
「これでよし」
彼女の上にさらに毛皮をかけてやる。これで防寒もばっちりだろう。遠目からみると、熊に抱きつかれているようにも見えなくもない。このセカイに熊が普通の熊がいるかどうかは不明だが。
そのまましばらくぼーっとしているとレイアはもぞもぞ動きだした。その様子にミナミは笑ってしまう。カズハも寝像がひどくていつもタオルケットをうっちゃらかしており、それとなんとなく被って見えてしまったのだ。
幸いにもレイアはそこまで寝像はひどくないようだが、彼女は幸せそうに毛皮に頬ずりを繰り返していた。
そして、朝。
「それで? あなたは一体なにをしているの?」
「なにって……。オレンジジュースを飲んでいるだけだよ? あ、レイアも飲む? 自分で言うのもなんだけど、結構おいしくできたんだ」
ミナミが宙に浮かんだオレンジ色の水球にグラスを浸しながら言った。
あの後さらに暇になったミナミは、自分にできることの限界を調べようとして、ものすごいことに気づいてしまったのだ。
なんと、出来ないことがなかったのだ。
少なくとも自分の頭で考えうる限りのことはできそうだった。このセカイでは、魔法を使用すれば理論上なんでもできることになる。『すごい魔法の才能』があるミナミは、なんでもできるようなものなのだ。
手始めに地中の成分から二酸化ケイ素っぽいものをみつけ、グラスっぽいものを作り上げた。自分でも出来るとは思わなかったが、どうやら完成品のイメージがしっかりしていたため、魔法でうまくめんどくさいところを何とかしてくれたらしい。魔法がここまで便利だとはミナミは想像すらしなかった。
さて、グラスが出来たのだから、何かを飲みたくなってくるのが人というものだろう。ちょうどそれなりに喉も乾いていたミナミはダメもとで水球がオレンジジュースになるように念じてみた。
それまでうまくいってしまったのだから、もう驚くほかない。
毎朝学校にいくまえに飲んでいた濃縮還元100パーセントのオレンジジュース。ミナミはこれを朝に飲まないといつも調子が悪かった。100パーセントというところがミソなのだ。こいつでないと意味がない。
ぐびりと喉を動かす。いつもと同じ、実においしいオレンジジュースだ、朝にふさわしいフレッシュな気分である。
「そうじゃなくて、いや、それもつっこみたいことだけど、この毛皮は何? 一晩であれだけの量を処理するのも大変だし、これ、そこらの高級品よりもいいモノじゃない?」
「ああ、えーと、魔法で服の洗濯のついでに洗ったらそうなってた。レイアの寝心地わるそうだったから布団代わりにかけといたんだけど……」
「……ありがとう。とってもよく眠れたわ」
レイアが一瞬照れたような驚いたような表情を見せた後、何かを悟ったかのような目で返事をした。
──うん、ここいらでもうぶっちゃけてもいいよな。
もともと対して隠すつもりもなかったが、唐突にどうでもよくなったミナミはちびちびとジュースを飲みながらそんなことを考える。
どうせ、この後質問攻めにあいそうだし、レイア悪いやつではなさそうなのだ。聞かれて答えるよりかは自分からバラしたほうが好感も持てるというものだろう。
レイアの照れた顔に惚れただけかもしれないけど、それこそ今のミナミにはどうでもよいことだった。
「はーい、ちゅうもーく。今から衝撃重大発表をしまーす」
「い、いきなりどうしたのよ?」
徹夜明けの妙なテンションになっていたミナミは、ジュースの入ったグラスを掲げながら宣言した。気分はすっかり人気番組のアナウンサーである。
「おれさ……」
「おれさ?」
「このセカイの人間じゃないんだよね」
20150426 文法、形式を含めた改稿。




