表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/31

16

 怪我のお詫びと完治のお祝いを兼ねて、大量の焼き菓子をこしらえたステラがやって来たのは、狙ったようにお三時の頃合いだった。手ずから作ったと言う菓子からは、とても良い香りがする。


「こんなに沢山、わざわざありが…」

「オリヴィア様?」


 オリヴィアは突然、石像のように固まってしまった。菓子を受け取ろうと持ち上げた手が不自然な位置で止まっている。目も限界まで見開いており、異変が起きたのは一目瞭然だった。


「あの、私になにか…」

「……それ」

「えっ?」

「…その、ネックレス…!」


 瞬きも忘れたオリヴィアが凝視しているのは、ステラの首にかかるパライバトルマリンである。希少価値が非情に高い宝石であり、祖父からの贈り物でもあるそれを目利きに長けたオリヴィアが見間違えることはない。盗難騒ぎの原因となった首飾りを、いったい何故ステラが持っているのだ。

 嫌な考えに囚われ、オリヴィアの声が震えたのとは正反対に、ステラは鈴が転がるような声で答える。


「これですか?叔父様からいただいたんですけど、とても綺麗ですよね。私はあまり詳しくないのですが、オリヴィア様がびっくりするくらい高価なものなんでしょうか」

「………」

「あれ?私、変なことを言ってしまいましたか?」

「……いえ。ステラ様の叔父様は、どちらでその首飾りを買われたのですか」

「えぇと…?これは誕生日の贈り物としていただいて…お店まではちょっとわからないです…すみません」


 叔父は宝石商に知り合いがいるらしいが、名前まではステラも知らないという。


「…謂れのある品なのでしょうか?」


 遠慮がちに尋ねられた問いに、どう返答して良いかわからない。オリヴィアは視線を泳がせた後、なんでもないと告げた。お粗末な繕い方だった。当然、ステラには見透かされていた。


「私は頼りないと思いますが、オリヴィア様に隠し事をされるのは寂しいです…」


 困り眉をしながら肩を落とされれば、聞いている側に罪悪感を抱かせた。心なしかラベンダー色の瞳も潤んでいる。可憐な美少女にこんな顔をされて、突き放すことなどできやしない。

 説明を余儀なくされたオリヴィアは事情を掻い摘んで話した。紛失した首飾りがステラの身に付けているものに瓜二つなのだと。その説明を聞くにつれて、ステラはみるみる顔色を悪くしていった。そして終いには真っ青になり、大慌てで首飾りを外したのだった。


「申し訳ありません!オリヴィア様の持ち物だったなんて…恥知らずもいいところですっ。すみません、お返しします!」


 可哀想なくらい必死な様子を見て、逆にオリヴィアは冷静になった。


「…いいえ。あなたの叔父様が買い取ったのですから、それはもうステラ様のものですわ」

「駄目です!盗まれた物は、あるべき場所に戻すべきです!」


 正論であるが、姪のために大金をはたいた叔父の気持ちを思うと、おいそれと返してもらうのは憚られる。それに、くだんの首飾りは「差し上げた」ことで折り合いをつけたのだ。誕生日の品だったと言うし、ステラに譲っても構わなかった。

 しかし肝心のステラが断固として首を横に振る。最終的に根負けしたのはオリヴィアであった。


「では、購入した際の価格を教えていただけますか。お支払いします」

「いえ!不要です!叔父様には私からお話しておきます。きっと叔父様もそうしろと仰るので」

「ですが…」

「本当に大丈夫ですから。私には不釣り合いな宝石です。オリヴィア様が身に付けてこそ、輝くと思います!」


 こうして天使の笑顔に押し切られる形で首飾りは手元に戻ってきた。しかし手放しで喜べるほど、オリヴィアは単純ではなかった。




 例の一件をひどく気に掛けていたレティも、首飾りを見るなり声をひっくり返した。ついでに、持っていたお盆もひっくり返していた。ありのままを話せば、やはり複雑な表情を覗かせる。


「それってつまり…」

「みなまで言わなくていいわ」


 首飾りを盗み出したのはステラではないか。二人の頭の中では同じ疑惑が浮上していた。

 何故ならあの頃、オリヴィアの私室を出入りしていた人間は限られているのだ。家族と使用人、それから───病欠とされていたオリヴィアを何度か見舞った人物。その首に失くした宝石があったのだから、疑いをかけられても致し方あるまい。


「…釈然としないわね。動機がわからないもの」


 ただ高価な宝石に目が眩んだのなら返す必要は無い。そもそもオリヴィアの前で身に付けたりしないだろう。自分が犯人ですと明かしていったいどうする。金銭に困っていたという線も限りなく薄い。もしそうならばさっさと金貨に換えているはずだ。

 となると、ステラの話していたことは事実なのだろうと結論付けるしかなくなる。だが、オリヴィアはどうにも納得がいかない。あの純真無垢な笑顔を疑うのは良心が痛むが、己の直感が怪しいと告げている。


「告発しますか…?」

「まずはお父様にお話してみるわ」


 その後、話を聞いたメルヴィンも渋面を作っていた。当主の指示により、とりあえずこの件は保留となる。


「ことの次第がはっきりするまで、今後、ステラ嬢と二人きりで会うのは控えなさい」


 低い声でそう命じられたオリヴィアは、少しの間を置いてから頷いたのだった。




 つくづく隠し事が苦手だと痛感したのは、ウルバノとの個人的な茶会の席である。よくもまあフレッドへの片想いを秘め続けることができたものだ。それだって最後の最後で暴かれてしまったから、本当にオリヴィアは嘘をつくのが不向きなのだろう。いや、開口一番に浮かない顔をしていると指摘してきたウルバノの観察眼が素晴らしいのか。


「そのお顔のままですと、リーンハルト様にも感付かれてしまいますよ?吐露することで、重荷が軽くなることもあります。わたくしで良ければお付き合いしますわ」


 そんな風に言われたら、どうやって抵抗していいか分からなくなる。"最上の麗人"を相手に下手な誤魔化しは通用しない。徒労に終わるだけだ。それは悟っているのだが、オリヴィアはどうしても逡巡してしまう。返す言葉を見つけられない彼女は「…あの方が浮かれきっている今なら、問題ありませんが」というウルバノの呟きも耳に入ってこなかった。


「…もったいないご提案です」

「あら…つれないですわね」

「お気持ちは大変嬉しく思います。ですが、この話をすればとある方の名誉を傷付けかねません。わたしの胸に秘めておくのが良いかと」


 ウルバノが片眉を上げた。たったそれだけの動作がとても様になっている。


「オリヴィア様」

「はい」

「中傷と事実は全くの別物ですわ。わたくしが聞きたいのは、オリヴィア様がその目でご覧になった事実ですの」


 言ってる意味はお分かりですね。実際に言葉に出されたわけではないが、妖艶な笑みには逆らえない圧がある。

完全に退路を断たれたオリヴィアは意を決して口を開いたのだった。


 時々短い質問を挟みつつ、ウルバノは根気よく話に付き合ってくれた。話し終えた時、確かに張り詰めていた心が幾らか解れた気がする。


「ステラ様の言い分を鵜呑みにするのは賢明ではありませんわね。わたくしも探りを入れてみましょう」


 微笑みを消したウルバノは、話の締めくくりにそう言った。


「ウルバノ様のお手を煩わせるなど、滅相もございません!お話を聞いてくださっただけでも、充分すぎるくらいですわ!」


 オリヴィアが慌てて首を横に振ると、艶かしい唇に再び美麗な弧が浮かんだ。


「わたくし、気になる事はとことん追及する性分ですのよ。ですからこれは、探究心を満たしたいというわたくしの我儘ですわ。お気になさらず」

「そうは仰っても…」

「どうしても気に病んでしまわれるのでしたら、オリヴィア様がお描きになった絵を頂けるかしら?」

「わ、わたしの絵、ですか?」

「ええ。オリヴィア様が、わたくしのために描いてくださる一枚が欲しいのです」


 素人の絵が対価になるのか甚だ疑問であるが、本人が希望する以上、文句はつけられない。しかしリーンハルトといい、ウルバノといい、どうして金銭的価値のないものを欲しがるのか。刺繍も絵画も、名人に依頼すれば一級品が手に入るのに。オリヴィアは心底不思議に思うのだった。


「ところで」


 ウルバノが笑みを深めて、話題を切り替えようとする。その感じに覚えがあったオリヴィアは身を固くした。


「上手いこと、言葉は纏まりましたか?」


 なんのことでしょう?などととぼけたが最後、容赦のない追撃が来るのは容易く予想できた。聞き返すまでもない、リーンハルトとの仲について問われているのだ。前回、彼をどう思うか聞かれた際はあやふやに終わったので、今回は逃がしてもらえないだろう。


「うっ…あの、何と申しますか……うぅ」

「ふふっ、ゆっくりで大丈夫ですわ」


 髪色より赤くなっている顔が答えのようなものだが、ウルバノはあくまで言葉による返答を促す。


「…正直なところ」

「ええ」

「す、好きかどうかか…は、まだよくわからないのですが」

「はい」


 面と向かって言いにくいことでもはっきり口にするオリヴィアがしどろもどろになっている。これは面白い。虐めすぎかと思うものの、ウルバノは自重しない。一生懸命に言葉を選んでいる様子を、お可愛らしい方だなと眺めるだけだった。


「…出会って間もない頃は、リーンハルト様の良いところが全然見えなかったんです」

「今は違う、と?」

「はい。今は、わざわざ目を凝らさなくても、たくさん見つかるようになりました。それは幸せなことだと…感じています」


 噛み締めるように、オリヴィアは一言一言をゆっくり紡いだ。

 人はそれを恋と呼ぶだなんて野暮なことをウルバノが言うはずもなかった。こんなにも純粋で透き通った想いに、第三者が手を加えるのはいただけない。


(羨ましいですこと。あの方に妬いてしまいそうですわ)


 もっと詳しく聞きたいところだが、あまり虐めては距離を置かれてしまうかもしれない。ウルバノにとってそれは由々しき事態であり、とてもじゃないが容認できない。"最上の麗人"にいたく気に入られているとも知らず、オリヴィアは顔から火を吹きそうになりながら俯いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] うわぁ、嫌な予感が的中してしまいましたか? いやまだ何か、どんでん返しが用意されている? それはそれとして、今回もオリヴィアが可愛らしい♪ ウルバノ様が言わない分、読者の我々が言っちゃい…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ