第四話「エルフとドヴェルグ」
丸い椀に、妹のシグがなみなみと白いスープを注ぐ。
暖めなおしたスープから、湯気とともに甘いミルクと野菜の香りがわきあがった。
何故、初対面の人間の少女と食卓を囲むことになっているのか。
答えはそう複雑ではない。
ひとつはアーロンがノリでレフォリエをかばってしまったから。
そしてシグが美しい旅人に興味津々だったからだ。
シグはほとんどひとりで地下世界から出たことがない。
職人として一人前になるまで師匠である親族の同伴なしに出歩いてはいけない……という時代からだいぶ経ったが、親父は娘が心配らしい。
その父は、食事の気配をさとると仕事部屋からちらと顔を見せた。
しかしレフォリエを一瞥するとテーブルから椀とパンをもって、のっそり鍛冶場に戻ってしまった。
アーロンのヒト嫌いは、別段父譲りではない。
むしろ愛想を振る舞うのが苦手なはずな父が、出て行く際にレフォリエに会釈をしていった。
――金髪、金眼。
畏れるように短く呟いて。
シグはそんな父をいぶかしがる目で見送った。
もっともすぐに「まあいつもの愛想の悪さか」ときりかえる。
シグは椅子を持ち上げて、スープの匂いをスンとかいでいたレフォリエに近い場所に座った。
「ねえねえ、どこから来たの?」
「生まれは森。ここにはエルフの里を通ってから来た」
「へえ……ヒトにしては随分旅をするんだね」
スープをひとくち含もうとしたアーロンも、その遍歴には興味をもった。
人間の居住地域は妖魔が立ち入り出来ない安全地帯として守られている。
女神の代行者である女王との契約だ。
したいしたくないに関わらず、魔の存在である妖魔は服従する。
最も、それは技と知性に置く妖魔の話だ。
ドヴェルグやエルフが人智の及ばぬ神秘の技を司る妖精であるならば、獣の姿をした妖魔は性質も荒ぶる自然の精に近い。
彼らの役目は生きること、食すこと、在ることそのものであり、一部を除いて会話の余地はない。
居住地域と地域の間には、そういった獣の妖魔がうろついている。
女王の加護で守られて侵入は防げても、人間がみずから領域を踏み出せば当然危険だ。
この山の地に多い商売人達は、優秀な護衛――腕っ節と頑丈さに自信のあるドヴェルグが商品の販促もかねて請け負うこともある――を雇って旅をするのだ。
いける金細工か、素晴らしい毛並みのキツネのような姿をした、ろくなともがらもつれだっていない人間の少女がそんな旅をするなど、にわかに信じられなかった。
いわれてみれば、腹筋や二の腕には薄い脂肪と筋肉がしっかり骨を覆っていた。よくはしるトナカイのような頼もしさがある。
「でも、ここにくるまでに、幾つも危ない場所を通らなきゃいけなかったでしょ? 海ほど危険じゃないにしろ、谷も山もあっただろうし」
「ああ、まあそうでもなかったさ。わたしに限ってはな。旅に慣れている友人がいたから」
「友達も来てるの?」
「ここにはいない。図体のでかい奴だからな……今はどこぞで休んでいるだろう」
友達。友達たち、ではなく。
ひとりだけなのだろうか。よほど腕がたつ友人なのだろう。
シグも感嘆に子どもっぽく声をのびあがらせた。
「へえーえ! 楽しそう! エルフの里や森ってどんなところ?」
「森は、あー、まあ穏やかなとこだよ。平和といってもいいかも。
のんびりやりたいよう生きてるのがわたし達の生き方なんだ。川があって、子どもは妖魔の森と繋がっている川から琥珀をはじめとした宝石をとって暮らす。
エルフの里は……なんだか随分きらびやかなところだったな。
派手ではなかったが、あちこちに宝石を編んだ蔦のすだれが風にそよいでいて。
綺麗だなあと手をあてながら歩いていたら怒られた。侵入者を迷わせる混乱の魔術が仕込んであるのだと。里のエルフが案内人として付いていてくれないと、すぐ迷子になる。
そういえば、ドヴェルグの見目はエルフにそっくりだな。エルフ達は君たちをダークエルフと呼んでいたけど」
「白耳長らしいな。高慢チキなんだ、あいつらは」
「兄貴ったらまた。あっちもそういういいかたされたら、いい気がしないよ」
「どうせここにはいないだろ」
ふんと鼻を鳴らす。
ドヴェルグはお世辞にもエルフと仲が良いとは言えない。
山の外からやってきた人間のなかには、ドヴェルグを小柄で醜い邪悪な一族だと想像する無礼者もいる。
エルフ達が繊細で輝かしい美貌の一族だから、それと真逆の一族なのだと思ったのだろう。
一人前になるまで一人で出かけられない風習も、人間が穢れた種族ならば奴隷にしてもいいとのたまって誘拐された子どもが何人も出たせいなのだ。
時代が進むと、誘拐は減っていった。ドヴェルグと人間を平等だと訴える人間も現われだした。
されど所詮、女王に庇護された種族だ。
ドヴェルグから攻撃されることはないという安心があるから、上から目線で「平等を与えてやろう」などと見下せる。
異なる種に、自分の都合を押しつけ、ねじ曲げ、利用する。
個々で違いがあったとしても、全体でみればそれが人間の在り方だ。
「ほー。君たちはエルフを白耳長というのか。いや、気に障ったのなら謝る。ごめん」
「兄貴がへそ曲がりなんだよ。ドヴェルグとエルフが親戚みたいなものなのも事実だもん」
シグはアーロンの苦虫をかみつぶしたような顔になるのも構わず、素直に教えてしまう。
「元々エルフとドヴェルグの祖は同じなんだ。昔いたアールヴっていう妖精らしい。その頃はどちらも今のエルフよりの姿だったらしいよ。手先が器用で、目が良く、魔法の扱いに長けた種だったんだ」
「それがどうしてエルフとドヴェルグに?」
「時間が経過するごとに、アールヴのなかにも個体差が出始めた。
狩猟を得意とする者同士が婚姻し、鍛冶を好むもの同士が近づき、風の魔法を扱うもの同士が子を成して、火に親しむものが自分たちにより適合した暮らし方を模索して……」
シグは椀をおき、てのひらを中空に差し出してみせる。
手のひらの上の空間、そこにある漠然とした気配が濃くなると、たまった気配――魔力に着火したように小さな火の玉が生まれた。
「積み重ねるうち、全く別の種といえるくらいに、趣味嗜好と得手不得手に差異が出た。天の姉妹として、狩猟と風を得意とするエルフと、地の兄弟として鍛冶と火を得意とするドヴェルグに」
今度はレフォリエの目が輝く番だった。
種族の話になった途端、露骨に身を乗り出す。
「妖魔の発生って、調べたら色んな説があるんだよね。最近では人間より妖魔が先にいた、っていう文献が多かった。
だがグラ……まじょ……知り合いのお姉さん? が持ってた手記だと『本物の古い魔の者はいる、でもそういう奴らは遠い向こうに行ってしまった』んだってあった。どういう意味かわかるか?」
アーロンとシグは顔を見合わせる。
遠くへ行った古い魔。形を変えながら生き続けている種としての妖魔には、去った、という表現に当てはまらない。
「古い魔のものっていうのは、大精霊や神性のことかな」
「うーん。あたしたちは若い個体だから会ったことないんだけれど、神や精霊は《存在そのもの》だっていうね。魔獣とは格が違う。
自然から生まれたのではなく、自然とイコール……意志と存在を有する概念、現象。
対して、あたしたちは種族っていえばいいのかな。食べるし、暮らす必要があるもんね」
「女王の住まう城に飼われているという竜や聖域を守る神獣ならかろうじてあてはまるか」
少なくとも、それらは海馬や妖精といったおとぎの存在より凄まじいちからをもった、伝説の生き物だ。
アーロンたち魔の種族でさえ、一生のうちに一度お目にかかれるかどうか。
考えてみれば、古い魔はまったくおよびのつかない存在だ。
「伝説かあ。ねえ兄貴、あの本ってどこやったっけ」
「あの本? 昨日みてた設計図のこと?」
「違う違う。うちの子たちがみんな一度は読むおとぎ話のあれだよ。妖魔の起源話だっていう」
「『巨人の泥の物語』か。それなら覚えてる」
「やった、流石兄貴! じゃあ教えてあげてよ」
「え、なんで」
「ききたそうじゃん。何、本当は覚えてないの?」
わざわざ教えてやるのもしゃくだったが、シグの催促のにらみが鬱陶しい。
しかたがないので、諳んじてやることにする。
「『かつて、あらゆる生命がゆきと凍えのなかで震えていた古き時代』――」
かつて、あらゆる生命が雪と凍えのなかで震えていた古き時代。
小さな命が生きるにはあまりにも厳しい世界を、暖かに暮らせる世界に変えるため、創世の女神は世界樹へと姿を変えた。
それは同時に、荒涼の大地を跳梁跋扈していた巨大なる生の終わりでもあった。
巨竜。巨人。妨げのない無窮の空と大地を我が物としていたものども。
小さな命が腹いっぱいに食べ物を得て、余裕と前と武器と知恵を備えるようになると、だんだんと巨きなものは駆逐されていった。
それでも、本当に本当に大きな、一際偉大で強靱いものは、さながら川や溶岩や嵐といった自然そのもので、人の刃など森に落とした一本の針同然だった。
小さな命が栄えるには、彼らもまた眠らねばならない存在だった。
いまだまどろみのなかにあった女神は、世界中に張り巡らせた根から、真に巨大なるものをよどみとして吸い上げた。
巨大なるものの魂は、母なる女神の胎のなかで、あるがままのかたちに戻った。
幼子を揺り起こす朝光になり、山の陰でたたずむ暗闇になり。鳥を追う風と成って、暖炉で丸くなる炎を真似た。
巨大なるものの肉は、大地に横たわり、腐った肉は腐臭を発さず、泥になった。
女神がうたたねに吐息が泥に届くと、泥は練られて、新しい生き物を産みだした。
これを妖魔という。
泥の穢れを洗わずに通り過ぎた吐息は、遠い海と泉に届いた。清廉な吐息は冷たく清い水底の泥をこねて、弱く純粋な生き物を作った。
これを人という。
「まあ、俺は竜とか見たことないんだけれどね。実在するんだかどうだか」
「ふーん……穢れた土から妖魔が、綺麗な土から人をね……」
「……きいているか?」
その話のなかで唯一にして最大に腹が立つ部分を繰り返すレフォリエの頬を、苛立った口調でつねろうとする。
レフォリエはその指を花を手折るように軽く押し返す。
「いや、非常に参考になった。君たち、さては相当な世話焼きだな?」
「バッ、」
「そりゃあねー。守護者の子どもだもん。お兄ちゃんお姉ちゃん役として子守を任されることもしょっちゅうよ。兄貴はただでさえ凝り性だし」
「シグ。お前の口はちょっと溶接でもした方がいいんじゃないか?」
口をへのかたちにしようとしたら、何者かが頬をむにゅっといじくってきた。レフォリエだった。
「コワイ顔するなよ。可愛い妹じゃないか」
「誰のせいで怖い顔しなきゃいけないと思ってるんだ」
「別にわたしのせいじゃないからな。君がしたくてしてるんだから。まあとにかくだ。わたしは森からエルフの里を通って、ここに来た。
アーロンだっけ、君からすれば目的が気になるところだろうが。何、警戒しているようなことじゃないだろう、多分。
目的は二つ。一つは妖魔について知ること。
もうひとつは、なんというか……名物観光だよ」
はた、と兄妹は首を傾げた。
人間の土地ならともかく、ここは妖魔の地。
ドヴェルグと交渉を行う商人や御遣いを除けば、訪れる人間はいないというのに。
「ここに人が見るようなものなんてないぞ。人は誰もたちよらないんだから」
「いやいや、ある。あるともさ。よく知っているはずだぞ」
確信をもって、レフォリエは言う。
「一年に一度、必ず外部の人間が立ち入る場所があるじゃあないか」
「一年に一度……まさか」
「ああ。生け贄の儀式場所、《太陽石祭壇》だ」




