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ドラクル・コード  作者: 室木 柴
第一章 ルール・オブ・ヴィジョン
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第四話 逃げたのか、向かったのか

 色あせてくすんだ黄色。それがレフォリエの貝の色だ。

 箱から一枚ずつ取り出されるたび、窓から入り込む光にあたってきらりと輝く。夜にも関わらず人々を照らす陽光はさえざえと白い。

 うっすらしらむ部屋のなかで、貝殻がぶつかりあう軽く安い音が響く。

 集合会場で一番大きな机のうえに貝を放っていく大人も、それを見つめる子どもも、なにひとつしゃべらない。

 誰もが厳かに口を閉じている。不安そうにあちこちに目配せをする幼子たちも、しじまに満ちた空気に押さえつけられ、むずがる声ひとつあげなかった。

 しじまとは神々がものをいわぬ状態、沈黙が破られることは神がものをいうこと。愛ある女神は眠りのなか。つまりは神の言葉は災いを呼ぶのだ。そういったのは誰だったか。

 そのなかで肩の力を抜いてたたずんでいるのは二人だけだ。

 レフォリエは恐れることなく、もうひとりに目を向けた。

 彼女もまたまっすぐにレフォリエを見つめ返す。


――今年はきみだね。


 部族全員が入れた貝殻のほとんどすべてが黄色なのを見て、彼女:ソクルタは言った気がした。

 彼女の後ろにひかえていたうつろな目の男たちが、投票の終わりを察して動き出す。

 いずれも全身に豹を思わせる呪術の刺青をいれた、たくましい偉丈夫である。

 《御使い》に選ばれ、女王のしもべとなった勇猛なる戦士の遺体(オセロメー)どもだ。普段は黒曜石の刃を挟んだ木剣を携えているが、今日は何もついていない棍棒をさげている。

 毎年、彼らはそうやって集会場の出口をふさぎ、いけにえ選びの投票が終わるまで待つ。

 だが彼女たちを疎む視線はない。

 族長は貝殻の数を確かめると、レフォリエの手をとりソクルタの前へ連れていく。


「名はレフォリエ。年は七つではありますが、物覚えはよく、川底から誰よりも多くの宝石を拾うものです。太陽神(アマゥヅ)もお喜びになるでしょう」

「必ず送り届けます」


 簡潔な一言は心身に沁みるように真摯な声音だった。ソクルタは恭しく族長へ頭をさげる。

 そしてひざを曲げてレフォリエに目線を合わせる。


「黄金を溶かしたような髪と目だね。輝きの色だ。何も恐れることはないよ、きみの祈りで太陽の寿命は延び、世は生きながらえる。迎える我らが主も悪いようにはしないだろう」


 レフォリエは返事をしなかった。

 黙って長袖に重ねた毛布をはおりなおす。夏とはいえ夜は肌寒い。

 小さな手とからだを、ココワがくれた毛布で完全にくるみ、肌の一部も見せない。

 できる限りレフォリエの胸と毛布の内を隠したかった。

 その態度にソクルタはわずかに苦笑した。それ以上話さない。ただ一度レフォリエの髪を撫で、オセロメーたちに抱き上げさせる。


「生け贄が決まった。朝になり次第、森へ連れて行く!」


 高らかに叫ぶ。笛のような声音が集会場いっぱいに響き渡る。

 一瞬、心なしか刺青の男たちが陶酔しているように立ち尽くす。

 その音色にきき惚れる暇もなく、《御使い》:ソクルタに応えるように巨大な咆哮が集会場を揺らす。

 思わず余裕を投げ捨てて、レフォリエも耳を塞ぐ。

 びりびりと肌が痛い。そして外にあれがいるのだと気づき、場違いに胸が高鳴った。胴の真ん中あたりが「ぎゅ」、と苦しくなる。

 おとぎ話を聞かされる子どもなら、誰しも一度は恐ろしさを語られ、夢見る生き物――(ドラゴン)だ。


「女王の魔獣。初めてみた」


 頬を染めるレフォリエの両脇にソクルタが腕を差し入れた。母が我が子にそうするのと同じ形で大切に抱えなおされ、軽々と小動物のようにもちあげられる。

 他のオセロメーが重い扉をゆっくりと開け放つ。

 冷たい強い風が一気に吹き込み、レフォリエの幼い肌を叩いた。

 ぶわ、と髪を舞い上げたのは自然の風だけではない。そのなかに生ぬるいものが混ざったことを、鋭敏なレフォリエの感覚は見逃さない。

 レフォリエを待ち望んでいたかのように、扉のすぐ前に竜は控えていた。

 恐怖よりもまず、子ども特有の無謀な好奇心がうずく。レフォリエは口笛を吹きたい気分になって、抱えられたまま指をのばす。


「本物だ……でかいな」


 どすんどすん。大きな足音をたて――実際は頭の中で勝手に鳴らしただけかもしれない――竜がいかつい顔面をレフォリエに近づける。

 鼻息が軽く前髪をかきあげた。風圧に負けずに目をこらす。

 まず目に入ったのは半透明の膜でおおわれた眼球だった。

 ぬめぬめとてる目玉からは何を感じているのかわからない。

 なのに、明確な知性をもってレフォリエを「運んでいくもの」として見ている気がする。

 ひととは異なる不気味な目に唾を飲む。

 正面から見た竜:《クルイグ》はトカゲに似ていた。亀にも見える。背中の鱗が特に大きくゴツゴツしているせいだ。

 妖魔にも色々あるが、竜は特別な存在である。

 度々語られた族長の昔語りのひとつを信じるなら、「同じ竜」は決して存在しないのだという。

 彼らは繁殖で生まれない。竜は種ではなく形、純粋な「ちから」だ。

 今まで遠目にしか見たことのない《クルイグ》に、レフォリエの思う竜とは違って翼がないのもおかしなことではなかった。

 全身を覆う鱗は真っ黒で、一枚一枚が岩のようだ。ただの鱗でないのは一目でわかる。見る向きによって、無骨な黒のなかに橙の熱い輝きが揺らぐ。

 川の流れから拾いあげる黒曜石の頑丈さと琥珀の妖艶とを併せ持っていた。

 四つの足でしっかりと大地を踏みしめ、誇り高く這うものであると主張する。

 触ろうとすると低くうなられた。


「危ないから、私の近くへおいで」


 ソクルタは慣れた動作で鱗に足をかけ、鞍に腰をかけた。

 そのなめらかな登りっぷりは、餌を求めて崖をのぼる山羊にも負けずとも劣らない。

 スマートとはいいがたい体躯に乗せられた鞍は、厳つい見た目には不釣り合いだ。そこに二人で身を寄せ合って座る。

 続いて命綱に、丈夫なひもを互いの腰に巻く。レフォリエに自分にしっかとしがみつくよう命じ、返事も確認せず《クルイグ》の首筋に触れた。

 足音を殺し、ゆっくり少女たちを労わるように竜が歩き出す。それでも人の徒歩よりはずっと速い。

 木々が視界に入る前に、レフォリエは背後を一瞥する。

 旅立ちは見てはならないという暗黙の掟があるからか、見送るものは誰もなかった。

 寂しさがないといえば嘘になる。

 かぶりをふって弱気な気持ちを落とす。とにかく前を向かねば、と毛布の内側を探る。

 その間にも、どんどん日頃は絶対に入ってはならないといわれている森の奥へ入り込んでいく。


「このまま進めば、泉につくのか……じゃなかった、つくんですか」


 自分からは何も話さないソクルタに問う。

 ソクルタは油断なく周囲を警戒していた。あくまで前を向いたまま頷く。


「女神が水浴びをしたという伝説の残る泉だよ。そこで息絶えることで魂が水を通じて冥界の川に流れつき、主のもとへ渡る」

「ここにも竜がいるって本当?」

「まあ、ね。大丈夫、あれは人から竜に成った個体だから理性も知性もあるはず。めったなことでは襲ってこないだろう。この子と違ってね」


 そういって《クルイグ》の首筋を撫ぜてみせる。

 レフォリエは意外に思って声をあげた。

 初めてであった時はあれほど冷たかったのに、まるでただの娘のような話し方をするではないか。


「なんだい?」

「いや……さっきまでと随分印象が違うから。それにいいの? その竜は女王様が魔法でつくった特別な獣なんでしょう」


 妖魔といえど《御使い》の獣だけが忌避されないのは、そういうことだ。

 すると問いかけに応えようとしてか、わずかに振り返られて心臓が跳ねる。


「こわいから、前を見てて!」


 初めて乗る竜を信頼しきれない風を装って叫ぶ。

 レフォリエには彼女に集中を欠いてほしかった。だから適当に話しかけただけだ。


「ごめんなさいね。でも、ずっと緊張するのも大変でしょう。無駄な苦労は少ない方がいいよね。生きている人間の目はここにはないのだから、同じ女王の元で暮らす友と思って頂戴」


 正直、私も初仕事で緊張しているの。

 こっそり秘密を打ち明ける姿が、仕事へ忠実であろうという仮面なのか、本心なのか、幼いレフォリエには見破れない。


「恐かったの?」


 そう聞かれたので頷いておく。内心、ばかにするな、といういじけた気持ちを押し殺す。

 確かに、恐ろしい。竜よりも死ぬことが何より怖い。レフォリエは生きるのが好きだ。

 生け贄をかってでたのはココワを確実に助けるためにすぎない。

 だからこうして運ばれる今もなお、レフォリエはこのまま生きるか死ぬか、迷っていた。

 毛布の内側に隠した黒曜石のナイフを握りしめる。

 もしも死にたくないと決めたなら、この黒曜石のナイフで縄を切る算段だ。

 人の目がなくなってもまだ行動に移していないのは、また別の恐怖のためである。


「この子は世界を漂う魔力から生まれたの。大地を走る熱の脈、硬くそびえる岩の山……そういった息吹から。どちらかといえば動物や精霊に近いよ。多分、もともといた妖魔はそういったものなのでしょうね。海の妖魔がそんな感じだったもの」


 レフォリエの沈黙をたやすくほどけない緊張ととり、ソクルタは《クルイグ》や海の妖魔について語る。

 ここに来る前の海の集落で、他の住民とともに妖魔と戦ったこと。

 海の集落が老人に冷たいのは、老いて衰えた人間は戦いにおいて邪魔になり足手まといになり、迷惑がられることが多いからだということ。

 でも本当は骨肉をわけた家族を疎みたくないこと。環境がそうしてしまっていること。

 他の子どもなら目を輝かせて耳を傾けたかもしれない話ばかりだった。

 しかしここではないどこかの物語は、今のレフォリエの気持ちをますますかき乱す。

 面白い、そう思うからこそ、行ってみたい。この目でみて、舌で味わい、肌で感じられたらどんなに人生が豊かになるだろう。死んでは行けないのだ。

 今まで捧げられた沢山の生け贄のなかで一人ぐらい足りなくても、大丈夫なのではないか。

 いや、それで何か起きたらどうするのだ。ココワは、養父はどうなる。

 身をかがめ、縄をつかむ。ナイフを持つ指にちからがこもらない。


「なにかな」


 ソクルタが突如いぶかしむ。

 ぎょっととびあがってしまったが、ソクルタはこちらを向いていない。

 ソクルタは空を見上げていた。首が痛くなるのではないかと思うほど、まっすぐに。


「どうしたんですか」

「……そんな、今までこんなこと一度もなかったのに」


 ほんのわずかばかり慌てた様子でソクルタが《クルイグ》の腹にけりをいれる。

 それまで悠然と歩んでいたクルイグが前足をあげた。そしていつでも走り出せると鼓舞するように地面を数度かく。

 突然のことに思わずレフォリエは綱を両手でつかみ、態勢を保とうとしてしまった。

 反射的な判断だった。

 己の無事を確認した安堵もつかの間。

 離した手から黒曜石のナイフが曲線を描いて地に落ちた。

 音もなく舞う石は周囲の月明かりを吸い込むように輝いて、小さくとも目で追ってしまう。


「それはなにかな」


 仮面をかぶったか、脱ぎ去ったか。怜悧な鈴の声が耳朶を打つ。

 てっぺんから足元まで血が一気に下がっていく。こんな感覚は初めてで、レフォリエには自分がどのような顔なのかもわからない。


「これは、」


 今ここで殺されてしまう?

 ソクルタが見上げていた空から激しい風が吹き付けたのは、レフォリエが乾いたくちびるを舐めて濡らした時だった。


「嘘でしょう、勘違いであって!」


 祈るような悲鳴を耳にして、先ほどの彼女と同じようにまっすぐに上へ顔をあげた。

 呼吸がとまる。

 それは、竜だった。

 黒い天を舞う美しい竜。

 全身を覆うは青金石の絢爛さ。

 何物にもおかされない濃密な青の奥から、羽ばたく瞬きの間、小さな黄金が重ねて煌めく。

 しなやかな長い首ののどだけは霞んだ白で染められ、穢れない高貴を示す。

 こうもりの翼は星を縫い付けた外套だった。

 二本の角の切っ先の向きがぐるんとまわるのを見て、ようやくレフォリエは青金石の竜が身をひるがえしたのに気がつく。


「えっえっ」


 いつかのココワのような声を上げた頃には、未熟な骨にどすんと衝撃が走った後だった。

 胸の奥から空気が全部出てしまったような気がする。

 ごほごほ咳込んで、数度のまたたきと生理的な涙を繰り返す。

 ようやく視界が晴れ渡った時、見たこともない世界が広がっていた。


「寒い」


 真っ先に出た言葉に我ながら呆れる。

 まず認識できたのは、何もかもさらけ出した浮遊感だ。次に足が地面についていない事実。そして一面に広がった森の緑の絨毯、丸みを帯びてどこまでも広がる空の果て。

 未知の光景に呼吸を奪われ、自分が乗っている大きな爪つきの足に気が付いたのは一番最後だった。


「……竜?」


 竜、そう、竜だ。

 人の意志に女王の魔法。自然では決して生まれることのない特別な存在。

 なぜかレフォリエは、器用なことに特別な竜の足に乗っけられていた。


「竜、竜だ、おとぎ話の!」


 本能的な死の恐怖に丸太のような足へ抱きつく。

 その間も自分の口から脈絡のない単語が飛び出してくる。

 どうしてこんなに興奮しているのか、驚くほどだった。

 騒がしい小娘に、竜がちらと目玉を動かす。

 全身に比べればちょうどいい大きさなのに、それだけでレフォリエの頭ほどある。


「ああ――ああ、なるほど。確かに。これは違う。《クルイグ》とは全然」


 風をきる翼は静かで、乗り心地も《クルイグ》に乗っていた時よりずっといい。

 非常な気遣い屋の如く絶妙な飛行技術だった。もしかしたら、魔法を使っているのかもしれない。

 なにより、その瞳に映る凪いだ知性に、レフォリエは心優しい養父を思い出した。


――生きたい。


 その瞳を、世界を見ているうちに、明確な願いが生まれる。

 この胸の高鳴りが永遠に止まってしまうなんて、つらすぎる。

 レフォリエはそういう少女だった。


「《ヴァラール》! 生け贄をおろしなさい! それは世の礎である!」


 レフォリエの意識が現実に戻る。

 はっとして地上を見下ろす。

 《クルイグ》が木々をなぎ倒して、すさまじい勢いで駆ける。

 ソクルタは激しく揺れる胴体の上で見事にバランスをとっていた。その芯の通った背筋に、改めてレフォリエはソクルタが女王の《御使い》、そして猛者とともに武器を振るう戦士なのだと認識する。


「それは女王への反逆である、わかっているのか!」

「――無論」


 低く、しかし腹の底に響くような声は、すぐそばから聞こえてきた。


「されどそれはお前のあるじが押し付けた命。我が女王はただ一人。この俺の前で王の真似事など笑わせる」

「それでも、世が乱れることはよしとしないだろう! 貴様は騎士であろうに!」

「かつての話。今宵は不用心であったと嘆くがいい、次は姉上に通る道の助言でも乞うのだな」


 人間臭く鼻を鳴らし、竜は更に先へと飛び立とうとする。

 レフォリエには話の流れはよくわからない。このままいけば妖魔の餌になるのかもしれないが、このまま《御使い》に運ばれるよりは勝ちのめがある。

 飛び降りろ、とばかりに下方から突き刺さる視線を無視し、レフォリエは全力でしがみついた。


「なら、仕方ない」


 耳にぎりぎり届いた呟きは、位置を思えば気のせいだったかもしれぬ。

 しかし途端に膨れ上がった下方からの威圧感に総毛だつ。

 産毛がざわざわして気持ちが悪い。不穏な予感に、飛び降りれそうな場所を探そうと目配せした時だ。

 《クルイグ》の破壊的な咆哮が、鼓膜をつんざいた。


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